起承転結

ここは、ホテル槐(エンジュ)。

世界に名立たるVIPや著名人が泊まる一流ホテルである。



3ヶ月前にコンシェルジュとなった新米の江亀捗拵(エガメ チョコ)は、案内に対応に右往左往していた。



「お忙しいところ恐れ入ります。私は蔵織庵(クラシキ イオリ)と申します。錺禰纏(カザリネ マトイ)の家の者ですが、お嬢様はどちらに?」



にこやかに微笑みを称えた青年……庵は、自分の主である纏の所在を尋ねる。


庵は纏の執事兼専属世話係。



そして纏は、広大なレアメタルを発掘し今の地位を一代で築き上げた人を父にもつお嬢様だ。



「あ、はい!錺禰様でしたら中庭にいらっしゃいます。ご案内致します。」



噴水のある静かな中庭で、今はベンチに腰掛ける纏しかいないようだ。



「錺禰様、蔵織様が…」



「庵…!何しに来たの?」


「お嬢様を連れ戻しに、です。シークレットサービスを横目に抜け出して、挙げ句にタクシーを使って尾行を巻かれてしまいましたから。」



捕まえたタクシーに数分間ハザードを付けさせ待たせるという、スパイさながらのかご抜けを百戦錬磨の警護人相手に纏はやってのけたのだ。

「お嬢様、帰りますよ。」


「帰らないわ。」



「何度も同じこと言わせないで下さい。お嬢様がいないと会社が…」


「会社なら庵がいれば十分でしょ。シェルパみたく仕事してなさいよ。」



「お嬢様を連れ戻すことも私の仕事です。」


「六次の隔たりって知ってるわよね。家や会社にいるより、ここの方が沢山の人に会えるわ。これも仕事じゃなくって?……部屋に戻るわ。」



「え?錺禰様っ?!」



纏と庵の応酬を見ているしかなかった捗拵は、雰囲気に圧倒され中庭を去る纏を追い掛けることが出来なかった。



「ご迷惑をお掛けして申し訳ございません。」


「あ、いえ……迷惑などでは。」



「ここ数ヶ月ほどあの調子でして。」


「え?数ヶ月もですか?」



「会社は立ち上げてから落ち着きまして、お嬢様も16歳になられて。そうしましたら旦那様が、お嬢様の婿探しを始められて。」



纏は父親の婿探しが嫌らしく、こんな家出紛いのことを続けているらしい。



「まぁ、ホテルの予約は屋敷からですし、携帯のGPSも機能しています。社員からのメールもパソコンから返してるようで、居所を掴むのは容易いのですがね。」

「本当に居所が掴めないと緊急事態に社員が困る事を、お嬢様は分かっておられるので。」


「周りを見てのお考えなんですね。」



「ええ。お嬢様は、頑張れば必ず成功するなどそんなに世の中甘くないと分かっておられます。しかし成功者は努力しています。運や才能も確かに大切な要素ですが、それだけではその先に続いていかない。お嬢様は努める力を持ってらっしゃいます。」



纏のことを雄弁に語る庵は誇らしげで。



「錺禰様のこと好きなんですか?」


「………………。」



「し、失礼致しました!私ったら何を…」


「いえ。…好きですよ、一緒に育ちましたから。」



早くに亡くなった母親と忙しい父親に代わり、使用人もほとんど雇えなかった時からずっと。



「何故旦那様を止めないんです?錺禰様に言わないんですか?」



纏を傷付けないよう自分が傷付かないよう、嘘が増えてゆき偽りの自分を造り上げた。



「お嬢様と私では立場が違います。」



それはいつしか一人歩きして、本物の自分は二度と出てこれなくなる。



「今の時代に立場って…」


「決してお嬢様が悪いのではなく、私がそうさせてしまったのです。」

自己の想いを認識しても、手を差し伸べることなど今更出来る筈もなく。



「また、明日来ます。」



一度着けたら外すことの出来ない仮面を身にまとって。



「蔵織様っ!」



武器か、枷か?


さぁ、仮面舞踏会を続けよう。



「行っちゃった……。」



『プロフェッショナルとは?』



何も出来ずに落ち込む捗拵の頭に過る。



今は亡き祖父の言葉だ。



『あらゆる技能を持った職人が世界にはたくさんいる。職人技なんて大それたものなんか無いんだけど、僕も職人なんだよ。僕は、僕の人生の職人なんだ。』



上司にだって言われた。



『ほら、失敗は成功のもとって言うだろ。成功例だけ取り上げて採り入れたって無理だ。失敗例も考慮しないと上手くはいかない。凄く助かってるんだから、そのままな。』




感謝されたくて親切にするわけじゃない。


言われたいわけじゃないけど嬉しくなる。



認められた様で。必要とされてる様で。



あの人達がそうだった様に、ありがとうと言われる様な人でありたい、これからも頑張ると再び決心した新人の夏を思い出す。



「よしっ…!」



捗拵は何かを決めた。

「これはお六櫛って言いまして、有名な伝統工芸品なんですよ。」


「フォーチュンクッキー作ったのですが、食べませんか?」



「そのネックレス、アレキサンドライトっていうんですよね。」


「セーム皮っていいらしいですね。」



「あのシミ、顔に見えませんか?シュミラクラ現象っていう名前なんですって。」



捗拵が決めたことは、身に付けた雑学で纏との距離を縮めよう作戦だった。



庵は追い返される毎日であり、捗拵も距離を縮められないまま今日で6日目。



ただ捗拵には続ける根性だけ、寧ろ根性しか無かった。



「貴女も暇じゃないでしょう。自分の仕事しなさいよ。怒られてるの目に見えるし。それにね、お客に言うなら謝罪じゃなくて感謝の方がいいわ。」



すみません
ごめんなさい
申し訳ありません



頭が纏で一杯になるあまり右往左往することが増え、捗拵は謝ってばかりだった。



ありがとうございます
助かりました
嬉しかったです



「謝罪も大事だけど、感謝の言葉の方があったかい気持ちにならない?」


「はい!申し訳ございません、ありがとうございます!」



捗拵の変な返答に纏は思わず笑う。

「貴女を見てると庵を思い出すわ。」


「蔵織様をですか?」



「ええ。最初から作り笑顔が得意なんて嫌だわ。昔は庵も、私を何とかしようと必死だった。」



病気で亡くなった使用人の子供が庵だ。


恩に報いろうとしていたのか、殊更纏の世話を焼いていた。



「今では私以上に働き者で優秀よ。貴女もいずれそうなってね。応援してるわよ。」


「はい!………って、しまった!錺禰様とやっと話が出来たのに…」



振り返っても既に纏の姿はなく、捗拵はまたしても先輩達に怒られた。



仕事の捌き方が名前みたく、亀の様にチョコチョコしていて遅過ぎると。



「錺禰様、風邪をひかれますよ。」


「あら、貴女。」



夕方より小雨が降ってきたその夜。


正面玄関より少し脇に逸れた小道に纏が傘を差しながら立っていた。



「お散歩ですか?」


「ええ。私ね夜と雨が好きなの。住宅と街灯と月の明かりだけで昼の喧騒とは正反対の静寂。屋根や道路に打ちつけ騒音を掻き消す雨音。」



闇と音と水と。



「勿論昼も晴れ渡った空も、人が溢れてるのも好き。でも誰一人居ない道路を歩くのもいいわよ。年寄りみたいかしら?」

「いえいえ、そんなことは。怪しい人がいないか注意しながらしてください。危ないですから。」


「分かってるわ。」



急に親のような物言いの捗拵にまた笑いが込み上げる。



「眼鏡……」


「あぁ。普段はコンタクトなんだけど、面倒な時は眼鏡なの。」


「やっぱり眼鏡って面倒なんですね。私の祖父も面倒くさいって言ってましたから。」



捗拵の祖父は老眼だったから、余計にである。



「確かに面倒だけど、視力が悪いのを嫌だと思ったことは一度だって無いわ。」



眼鏡を外した当然見える世界はぼやけて、眼鏡をかければハッキリ見える。


外しても見えないことはないけれど、日常生活は困るからかける。



「眼鏡を外した世界が好きなのよね。景色も、光も、人も。まあるく、やさあしく見える気がするから。」



視力が良い捗拵には分からないが、眼鏡を外した時に見える世界は結構綺麗だと纏は思う。



「私は眼鏡と同じかもしれないわ。私がいなくても父は困らないし、会社も引き継ぎか庵がいればいいし。不要なお飾り……、私と比べては眼鏡に失礼ね。」



夜の闇と雨の水と相まって、自嘲する纏は何だか寂しそうに見える。

「錺禰は不要などでは…!お仕事は完璧ですし、お綺麗ですし、コンシェルジュにも気を配っていただいて…。絶対お飾りでも不要でもありません!」


「ふふっ、ありがとう。」



16歳に言う褒め言葉ではないような気がするが、必死で否定する捗拵に社交辞令ではないことだけは伝わってきて、纏は嬉しくなる。



「大体、結婚出来る歳になったからっていきなり婿探しって一体何時代よ。結局のところ継いで欲しいだけで、父は私のことなんて見てないと思わない?」



纏に相談すら無く、取引先などの大企業の御曹司ばかりを紹介された。



「跡継ぎ問題はどこのご家庭にもあるようですね。蔵織様はお仕事が落ち着かれたからと仰っていましたが。」



まだ言われてないが周りを見てるとそろそろ自分も、と思うだけで仕事が楽しい捗拵は気が重くなる。



「そうなのよ。私のことより自分の妻でも探せばいいのに。仕事に託つけて私を庵達に押し付けておいて、今更取り繕うように私の為って言われてもね。」



確かに、お金は年々増えて庵や使用人も居て、衣食住に何ら不自由は無かった。



ただ、一番欲しかった父親からの愛情を感じることは一度も無かった。

「会社も私に任せてれば大丈夫とか言うんだけど、会社は父や私だけではないわ。最終的に会社を構成してるのは社員よ。コンシェルジュの貴女だって、このホテルを構成してる一人なんだから。」



「確かにそうですね。蔵織様も、錺禰様はご自分の居られる場所を常に分かるようにしてると仰ってました。だから、社員の方は困らないと。」



庵の誇らしげな顔が目に浮かぶ。



「庵がそんなことを……。社員のことを考えるとね、手は抜きたくないのよ。父が捕まらない時に判断を下すのは私なんだけど、それは庵じゃ無理な時もあってね。」



自分の地位や名声があるのは、父親だけのお陰じゃないことを纏は理解している。



「こんな家出みたいなこと、子供染みてるって分かってるんだけど。庵を無理矢理引っ張って駆け落ちなんかしてみなさい。たちまち社員が困り果てるわ。」



纏と庵が居なくなれば、父親は血眼になって2人を探すだろう。


それも、怒りではなく心配で。



仕事が疎かになる……、いや寧ろ仕事一切を放り出すのは確実である。



「庵だってご両親のことがあるから私に仕えてるだけで。本当は迷惑でしょうね、こんな我が儘な私なんか。」

「それは…!」



違う、と言い掛けて捗拵は止まる。


纏と庵が両思いなのは2人の言動を見聞きしていれば、鈍い捗拵でも分かる。



しかし、自分が好きとは言ってはいけない気がした。


それに、他人の自分が好きと言っても信じてくれない気もした。



不器用で思いやりがあり過ぎるこの2人は。



「錺禰様は蔵織様のことを、とても大切に思われてるのですね。ですが、蔵織様は錺禰様のことを我が儘で迷惑、仕事の一環でしかないと思ってる。そういうことですよね。」


「え、ええ……まぁ…」



真顔で詰め寄る捗拵に、驚きのあまり少し纏は引きぎみだ。



「私が悩んでるといつも祖父が言ってくれました。『人生どうにも出来ない事がある。解決策など絶対ない時もある。だが一緒に悩む事は出来るんだ。』」



解決法が例え見付からずとも、祖父が居たから捗拵は何度だって前を向けた。



「錺禰様の決めた事に反対する方はあまりいらっしゃらないと思います。ですが、私は錺禰様が今なさってる事は間違ってると思います。お父上様の人生ではなく、錺禰様の人生です。一度きりの人生なんです。結論を出すのはお二人で悩んで考えた末ですよ!」

「貴女……」



赤の他人にどうしてそこまで必死に言えるのか、纏には分からなかった。



だけどお嬢様でも会社役員でも無く、錺禰纏だけを見てくれている気がした。



出会った頃の様な、何物にも染まっていない庵みたいに。



「…でも、2人で悩むってどうやって…?今更あの作り笑いを崩す方法なんて、私には思い付かないわ……」



我が儘を言っても、家出をしても、仮面みたく張り付いた偽物の笑顔を引き剥がす術を、纏は知らない。



「そ、それは……えーっとですね……」



捗拵もその実知らなかった。


庵の言葉の節々には、かなりの決意じみたものが感じられたからだ。



あれを崩すとなると骨が折れそうだが。



「貴女はお祖父様とどうしたの?お祖父様は一緒に悩んでくれたのよね?」


「はい…。祖父は私の話を聞いてくれて……あっ!!」



ユーレカ、我発見せり!

良い案を思い付いたとばかりな顔をした。



「お話しましょう!」


「はい?」



困惑する纏を置き去りに、捗拵は思い出したのだ。


優しく気概ある祖父の笑顔を見ながら話してる内に、いつの間にか悩みなどどうでもよくなってた事に。

「お嬢様?」


「庵。」



次の日、纏はホテルの会議室にいた。


眺めが良く最高のロケーションだと言う張り切った捗拵の提案により、会議室に2人きりを作ってもらったのだ。



庵を案内し下がる時の頑張ってという意味が込められた捗拵のアイコンタクトへ纏もそれに答えるよう静かに交わす。



「お戻りになられる気になった……という訳では無さそうですね。」


「相変わらず察しだけは良いわね。」



庵は纏の雰囲気から何かあると感じたらしく、窺うように尋ねる。



「このホテルは素晴らしいわ。内装も食事もサービスも。さっきのコンシェルジュは特に。」


「コンシェルジュ…?確か、私が最初にこちらへ伺った時に案内していただいた方ですね。」


「記憶力も相変わらず。」



執事としては完璧だと纏はつくづく思う。


執事としては、だが。



「そのコンシェルジュにね、気付かされたの。私がどうしたいのか、どう生きてきたいのか。私の人生、私でいる為に。」


「お嬢様はお嬢様です。他の誰でもございません。」



「それはお嬢様で会社役員の私、のことでしょう。そうではなくて、錺禰纏としての私、のことよ。」

「私には、家族も友達も社員もいるわ。だけど、私の世界は、最初から庵だけなの。どれだけ大切な人達がたくさんできたとしても、庵が居ないなら私の、錺禰纏の世界は意味を成さない。私にとって庵は、そういう存在なの。」



家を空けていた父親より早くに亡くなった母親より、纏の世界にはいつだって庵がいたから。



「……そう言っていただけて、執事としては」


「執事としてではないわ!」



一瞬間が空くも執事として答えようとする庵を、強めに否定して纏は遮る。



「お父様がいなくても、お母様がいなくなっても、寂しかったけど庵が居たから私は!……私は………!」



あまり見せてこなかった本心を、纏は上手く言えないながらも伝えようとする。



捗拵の言ったお話するとは、纏に庵へ本音を言ってもらうことだった。



友達と喧嘩した時なんかは、祖父に話を聞いてもらいながら話している内に、自分も悪いところがあったと謝る気になったり、大切な友達なんだと気づいたりした。


だから、普段一歩以上引いて接している2人も、纏がそうすれば庵の堅い決意も崩れると思ったのだ。



今まで言えずにいたであろう、寂しいや愛しいを全部。

「お嬢様、私の執事としての言動がお気に召さないのであれば、変えていただいて結構です。お嬢様がこれ以上、ご苦労なさることはございません。旦那様もお考えのように、お嬢様の隣にはそれ相応の方が相応しいのですから。」



纏を見ていられなくなったのか、庵は背を向け言葉を発する。



纏の言わんとしていることは何となく察しがついた。



だが………。



執事と恋に落ちるなど、対外的な纏の品格に関わると庵は感じていた。


父親である旦那様はとても苦労しているのだから、纏には苦労しない人と結婚して欲しい。


一緒に育ったからこそ分かる苦労を。



だから、両親が亡くなって一人になった時、遊び相手から執事兼専属世話係として一人前になろうと頑張っていた。



しかし、その内に己の気持ちに気付いて意識し出してしまえばもう無理で。


恋愛対象としての気持ちを押し殺し過ぎて、昔のように自然には振る舞えなくなった。



纏に自分の本音を拒絶されたく無いが為に、執事の仮面を付けることで今までなんとか己を保っていた。


自分の執事として一歩引いたその態度が、纏を苛立たせ家出のような行動になっていると分かっていても。

「苦労って……。そんなものどんなにしたって、どんなに貧しくたって構わないわ!お嬢様というお飾りよりよっぽど良い。私は庵と歩んで行きたいの、私達なりの最高と言える人生を、私達だけの軌跡を。」



頑なな庵に纏は問いかけるように言って。



「私は、庵が好きだから!」



「…!!」



見つけたら

(見つけ出して)



追いかけて

(逃げないから)



捕まえて

(手を伸ばすから)



無くさない様に

(失いたくないから)



離さないで

(傍にいて)



建前を取り払って、本音を言えれば。



「お嬢様はお飾りなどではありません。私にとっては、旦那様より大切な人です。電話をしたのは、声が聞きたかったからです。会いに来たのは、顔が見たかったからです。例え仕事の用件でも全てお嬢様だからです。」



サプライズ誕生日会が毎年でも泣いたのは、分かっていても嬉しかったから。


意味を理解した家出に連れ戻せなくて怒ったのは、傍に居ないだけで心配するから。


纏が不意に見せる年相応の言動に笑ったのは、纏は纏だと安心したから。



庵の感情を左右するその全ては、他でもない纏が原因だった。

「僕は単なる臆病者なんだ。纏の為とか言って結局は僕自身が傷付きたくなかっただけで。」



被った仮面が執事としてだけならば、自分自身を否定されないから。


偽りの感情で接していれば、何を言われても飲み込むことが出来た。



「婿探しの件だって嫌だった。纏の一番傍に居て纏のことを一番知ってるのは、他の使用人でなく旦那様でもなく、僕なんだから。」



金持ちというだけで後から掻っ攫って行かれるのは、何とも言えない嫉妬溢れる気持ちだった。



「でも、纏には幸せになって欲しいから。例え、僕じゃない誰かを選ぶ運命でも、それを見届けるのが僕の宿命でも。その時が来るまで、その時が来ても、その後も必ず纏の傍にいる。何があっても、それだけは僕の中では変わらない。」



いつだって纏の隣は自分が良い。


そこだけは譲りたくなくて悪あがきしてしまったけれど、隠した間違いを正すのは今しかないから。



秘めた恋する愛を言おう。



「僕も纏が好きだ。」


「い、おり………!」



はっきりした言葉とは真逆に涙に歪んだ表情。


それでも纏も庵も笑っていて。



静かに抱き締め合ったのは、愛しさが溢れたから。

『江亀捗拵様


いかがお過ごしですか?



また謝ってばかりいませんか?


私はそれが心配でなりません。』



「さすが錺禰様……。見ていらっしゃるみたいです。」



纏と庵がお話してから数ヶ月後、纏から手紙が届いた。


千里眼を持っているかの如く、冒頭から捗拵の現状を憂いている。



『さて、この間は貴女の妙案のおかげで庵の本心が聞けてとても嬉しかった。


そして私も、長く心に閉じたことを言えてとても良かったわ。


心から感謝申し上げます。


本当にありがとう。』



「いえいえ、そんな……。」



口で謙遜してもにやけた顔は隠せず、手紙を前にしての行動としては怪し過ぎである。



『私の家出の原因であった父の婿探しの件だけど、簡潔にいうと単なる誤解だったのよ。


父は庵を家族同然の認識だったらしくて、最初から頭に無かったようなの。


私の家出も、単に探してきた婿が気に入らないからだと思ってたみたい。



だから、余計に婿探しに夢中になってしまったのですって。



全く嫌になる父親よね。』



「娘のことになると何故か父親は過保護になるんですよね。意味不明で不思議です。」

捗拵の父親もかなりの過保護で、穏やかな祖父や肝っ玉な母親が度々呆れていたのを思い出す。



纏の父親もただ周りが見えていなかっただけだった。


婿候補が御曹司ばかりだったのも、纏に将来苦労させたくないという考えで、庵と似た者同士だったということも判明した。



『それに私と庵の二人で意を決して父に話に行ったのだけど、あっさり婿探しを止めてしまったのよ。


これ以上の婿は居ないって。



こんなことならもっと早く言えば良かったわ。


まあでも、全部貴女が言ってくれたからなんだけどね。』



「ほんと誤解解けて良かったです。」



纏が幸せならば、執事だろうが何だろうが関係無かった。



寧ろ庵だと言われて、喜んでいたぐらいだ。



『貴女に感謝してもしきれないのだけど、一つだけ言わせてもらっていいかしら?


貴女、私がしたことを間違ってると言ったわよね?


それも、凄くハッキリと。


一流ホテルのコンシェルジュが言うには、あまりにもお客に失礼じゃなくて?』



「あー……そういえばそんなことを言った気が…。どさくさに紛れるにしても、やり過ぎだ私っ!」



今度は一変して顔面蒼白だ。

『貴女のことだから、今顔が真っ青じゃないかしら?


安心して、貴女は間違ってないわ。


返す言葉が見付からないぐらいその通りだったんだから。』



「本当に見ていらっしゃるみたい……。」



冗談のように書かれているが、やはりドキッとする。


それに、手紙に書かれている纏の言葉と自身の顔色がシンクロしてしまう。



『貴女は人と真っ直ぐ向き合える人よ。


仕事の捌きが遅いのは努力しないといけないけど、お客の心に寄り添い壁を無くせる貴女の雰囲気は生まれもったものだと私は思うの。


だからこれからも、貴女は貴女のままでいてね。



私達の最高のコンシェルジュなんだから。』



「錺禰様……、ありがとうございます。」



目頭が熱くなるも、まだ職務中の為何とか耐える。



『父も貴女に会いたいと言ってるし、だからまた伺うわ。


もちろん挙式の相談にね。



では、また会える日を楽しみに。


錺禰纏』



「はい、心よりお待ちしています。」



手紙へとお辞儀をする。



「よし、頑張ろう!」



再び会う日まで、捗拵も元気なコンシェルジュのまま。



「ホテル槐へようこそ!」