咎人と黒猫へ捧ぐバラード


真吏はもう何も云えなかった。
口を開いたら泣くだけで言葉にならないと思ったからだ。
どうしてもっと素直にならなかったのか。
もっと早く青年に気持ちを伝えられなかったのか。
自分は大人ぶった子供ではなくて、もっと甘え上手な女ならば良かった。

「私も。本当は鷹人君が好き」

無言で青年の躰にしがみつくと腕を回し抱き締めた。
青年もまた嗚咽を漏らす真吏の躰を抱き締める。

「不思議だな」

泣き続ける真吏の髪を撫でた。

「これがAIの策略だったとしても、あなたと出会えたことに感謝している」

それは真吏も同様だった。
人工知能の計略でも、そこに情愛が芽生えた事は確かだ。
鷹人の指が真吏の手首に触れ、もう片手で躰を引き寄せる。

「体温が上がっている」

鷹人は云った。

「血圧上昇、鼓動も早くなっている。……君は欲情しているようだな」

真吏は顔を赤くさせた。

「もう、普段は無口なくせに。どうしてそういうことは、云うの!」

泣いた顔を紅潮させたまま、拳で鷹人の胸を叩いた。
硬い身体だった。

「そうだな。しゃべりすぎだ」

青年が真吏の顎を指で持ち上げる。
顔が近づいて唇を重ねた。
しばらくして青年が真吏の耳たぶを甘く噛み、唇が首筋に移る。

「鷹人君……」

身体中に電流のような甘い刺激が走り背中に回す腕が震え、ずり落ちる。
力の抜けた真吏が青年に支えられていたその時、足元に毛並みの良い何かが擦りよせてきた。

「ネマ」

視線を落とすと黒猫ネマが真吏の脚元、鷹人の脚に躰と尻尾を擦りつけていた。
喉をゴロゴロと鳴らしている。
二人はしばらくの間、姿を消す。
黒猫ネマも後を追い、こっそり室内に侵入しようとしたが青年に見つかって外へ出されてしまった。

清白(スズシロ)と鷹人の話は続きがある。

「鷹人と真吏が結婚したら、(わたくし)
真吏の義姉(あね)になれますね」

そう笑っていたのだった。
暴走していた世界中のヒューマノイド、AIは鎮静した。
急に全てが停止した後、再び通常通りの業務を始める。

その世界の片隅の修理工場で、一人の若者が姿を消した事は真吏意外は知らない。

真吏は黒猫を抱え街角の大型ビジョンや町中が歓喜に溢れるなかを、無言で突っ切っていく。
電磁波カットの装備をした清白(スズシロ)が喫茶店のドアを開ける。

「真吏……?」
「ただいま。清白」

清白に微笑すると、まっすぐに志鳥の前に進み出た。

「マスター。私、鷹人君の子供を産みます」


鷹人がいなくなった後の喫茶店では。

「鷹人のことは、おれに責任がある」

志鳥は研究者を止める事を考えていた時だ。

(わたくし)は、まだ世界を見ていたいです」

ヒューマノイド清白(スズシロ)が、珈琲を運んできた。
志鳥しか清白のメンテナンスはできないので彼がそれを止めてしまうということは、彼女の死を意味する。
志鳥は真面目な表情で頷いた。

「そうだな。おれが止めたり死んだら、おまえのメンテナンスができなくなる。そうならないようにはしていく。渕脇にも……」

バーナ重工業にも彼の技術を委託し清白を託すつもりだ。
珈琲カップを志鳥の前に置く。

「マスターは人間ですから、これから脳は縮小し躰の機能も衰えてゆきます。ですから私《わたくし》は、マスターの介護をするつもりでおります」

ヒューマノイドアシスタントの言葉に(マスター)である志鳥は、呆気の表情だ。
カップに注いだ熱い珈琲から香しい湯気が昇っている。

「私は人形ですが娘のつもりでおります。造って下さって、ありがとう」

その微笑は人間そのものである。

「前に云って下さったではないですか。(わたくし)はただの人工生命体ではないと。長生きして下さい、マスター。(わたくし)のために」

確かに自分は、そう云った。
志鳥は鼻の頭を掻く。

「ああ、わかった。これからも頑張っていこう。清白」

弱気になっている場合ではない。
彼には生命体を造った責任がある。

「鷹人の子供も産まれるしな。孫。不思議だ」



全てが終わり渕脇は会長に就任した。
バーナ重工の権限は渕脇にある。

「華先生の助言のおかげだな」

会長室のデスクで渕脇は声に出さずに呟いた。
喫茶店で華は云ったのだ。

「噂を流しなさい」

バーナ重工業社内では、とあるそれが流れた。
それは獣医師の華と名乗る人物が某敵対企業重役とペットを通し内通していて、引き抜きや斡旋を行っている、と。
すると華の元へ高価な贈答品を持って訪れる人物が複数、現れたのだ。
華はそれを全て渕脇の元へ送り届けた。
渕脇は自分を陥れようとした人物、裏切り行為の証拠を手にいれたのだった。

渕脇はそれを元に調査を始め社内の反勢力の動きを掴み、ヒューマノイドを流出させた人物達の特定し告白したのである。

「茂澄臣吾専務取締役を、解雇とする」

茂澄一族に不満を抱いていた株主たちは、その決定に拍手した。
そして一族の左遷や自主退職を促し雇用関係の解消を『合法的に』実行した。


「社長の権力を正当に行使したまでだ。他の社員にまで危害が及ぶからな」

電子煙草を口にくわえる。
華を食事に誘おうとした渕脇だが、彼の専属秘書に声をかけられた。

「その役目、私じゃ駄目でしょうか」

秘書はペット可のマンションに住み、犬を飼っている動物好きなのだが華に興味を持ったらしい。
渕脇に秘書の葦澤攻を紹介された華は、カカカ、と笑った。

「物好きもいるわねえ」





鷹人はいなくなったが真吏は彼の子供を産み、仕事を続けながら子育てをしている。
ジャーナリストを諦めようとした真吏だったが、志鳥や有秀が彼女と赤ん坊の世話役を申し出てくれて、細々と母子共に困らない程度に働いていた。
まだ赤ん坊なので少し広い家へ引っ越しを考えている。

記事を書き終えた真吏が息をついた時、電話が鳴った。
清白(スズシロ)だった。

「真吏。そちらにネマがいませんか?」

清白(スズシロ)からの電話だった。
度々、外へ出かけることがあるという。

「ええ?来ないとは思うけど……」

窓の外を見てみたが、それらしい気配はない。

「おい真吏!赤ん坊は元気か」

スマートホンを耳に当てたまま外を見ていると、有秀の声が聞こえてきた。

「わかっているとは思うが、あんたが倒れたらな、そいつまで共倒れだ。無理すんじゃねえぞ。手伝いに言ってやってもいいぜ」
「はい、はい、ありがとう。いつでも会いにきてね。私も行くけど」

真吏はクスリと笑う。
少年は血の繋がらない甥っ子を溺愛しており、真吏にも口は悪いが気にかけてくれているようだ。

「ネマは私も探してみる。またね」

一通り会話を終え、ちょうどぐずり始めた赤ん坊をのオムツを取り替え、ミルクを与えた後にベビーカーに乗せ外へ出る。
気分転換にも赤ん坊の散歩にもちょうど良かった。
真吏が玄関を開け外へ出ると。

「あら」

なんと黒猫ネマがこちら背中を向けて座っている。
いつの間にか青年の黒い服を引っ張り出して来たのか、入り口に落ちている。

「持ってきたの?嘘でしょ」

真吏が近づくと服の上から走っていく。
そして首だけこちらに向けて真吏が来た事を確認すると、歩き出した。

ベビーカーに落ちている服を収納していると、それを確認し前を歩いている。
たまにこちらを振り替える所をみると、付いて来るように促しているようである。

尻尾を立てて歩く黒猫が誘導した先は、あの暴走AIが閉鎖されたヒューマノイド修理工場だった。
あちこちに規制線が張られ封鎖されており、今は違う場所で修理工場は営業している。

黒猫はその規制線の隙間を知っているようで、センサーにもかかることなく歩いていく。

「私が入っても大丈夫かな」

真吏は赤ん坊をベビーカーから抱き上げると黒猫の後を付いていく。
どうやらセンサーが壊れているらしく、真吏が侵入しても反応することはなかった。
青年が破壊した培養液のガラスも、こわれたままになっている。

やがて黒猫はあの人工知能の前で腰を下ろした。
鳴き声をあげる。



『待っていました。高竹真吏』

女の声がした。

(レイ)です。私の一部は確かに返してもらいました。先の暴走したAIは(ネツ)です。熱によって失われたパーツも戻りました。よって人間をお返しします』

黒猫ネマが立ち上がりそわそわしている。
あの青年によく見せていた仕草だ。

『ヒューマノイドを素手で倒せはしなくなりました。普通の人間です』

壊れた培養缶の奥の隠れた培養缶が、培養終了のランプを点滅させている。
黒猫が走っていく。
扉が開き、大量の蒸気が立ち上る。
その中から人影が表れ身を屈める。
湯気の中からやがて肩に黒猫を乗せた青年の姿を見つけた。

「高竹真吏」

真吏は涙ぐむ。

「フルネームで呼ばないで」

真吏は赤ん坊を抱いたまま青年に近づき、青年もまた真吏に近づいた。


「生まれ変わっても、また私を好きになってくれるのよね?」
「ああ。何度でも」

青年は自分の子供と妻に腕を回す。
肩から飛び降りた黒猫は夫婦の足元に躯や顔を擦り付け、喉を鳴らしていた。
鷹人は護衛業を廃業し志鳥の喫茶店で本格的に働き始めた。
あくまで店を引き継ぐための修行と、現経営者に釘を刺されている。
鷹人は厨房でヒューマノイド清白(スズシロ)と供に調理していた。
店内には真吏の他、有秀と注文待ちの(はな)がいる。

「年上にこだわりがあったはずなのに、年下君と一緒になるとはね」

真吏が赤ん坊を抱いている。
彼女は喫茶店を手伝うかたわら、仕事量は減らしたもののジャーナリストとして活動している。

「お父さんがいなくとも、ぼくが育ててやったんだがな」

有秀がミルクを慣れた手つきで作っている。
皮肉まじりの口調の彼が一番、赤ん坊を可愛がって面倒をみているようだ。

「温度も完璧だぞ」

出来上がったミルクをテーブルに一端置くと真吏の手から赤ん坊を、さっさと奪い、だが優しくあやしながらミルクを与え始めた。

「旨いか?たくさん飲めよ」
「弟くんは、すっかり保育士さんね」

注文待ちの華が感心している。
有秀は育児のベテランのようだ。

「それなんだよな」

有秀が赤ん坊を見つめながら云った。

「いまだに保育士の方が良かったんじゃないかと、思う時があるんだよなあ」

高校卒業後、彼は看護学校へ進学した。
真吏の妊娠から出産、育児の流れに少年は感銘を受け将来の職業に結びつけることを決めた。

「有秀君だったら、保育士さんにもなれるんじゃない?」
「そうか?やってみるかな」

優しく真剣な眼差しでミルクを与える少年は、口は悪くとも根は穏やかである。
明るい兄の面影を残しつつ青春を謳歌しているようだ。

「お待たせしました」

清白(スズシロ)が華のテーブルにパンケーキと紅茶のセットを運んできた。
ミントの葉が添えてあり、美しい盛り付けだ。
紅茶はガラスのティーポットに淹れてある。

「ありがとう。あなたも、だいぶ馴染んだわね」
「はい。マスターのおかげです」

その志鳥は今日はいない。
今日に限らず外出している時間が増えたようだ。

「もう引退?」

華がパンケーキを切り分けで口に運ぶ。

「いえ。それはまだですが、渕脇会長と新しいヒューマノイド開発をされるそうです。特別顧問だとか」

新しいヒューマノイドを開発しているという。

「悪いオジサン科学者がふたり、何か企んでいるわけね」

真吏がため息をつくと華がカカか、と笑った。

「まあ料理の味も、当の昔にお兄ちゃんに抜かれているし。ボケ防止にちょうどいいんじゃない?」

パンケーキをペロリとたいらげ、ガラスポットから同じく透明なガラスティーカップに熱い紅茶を注ぐ。
それを飲み一息つくと、華の携帯型電話が鳴った。
耳に当てる。

「渕脇さんとこの、あなたね。……譲渡会の手伝い?いいわよ。いつやるの」

葦澤攻からの電話のようだ。
通話を切った華は、紅茶を飲み干す。

「保護猫の譲渡会やるみたい。私も協力させてもらうわ。ここの猫もどきは、拾われてラッキーだったわねえ」

鷹人に拾われた黒猫ネマは、華から去勢手術を受けた。

「前より人懐こくなった気がします、ネマ」

華は頷く。

「性格が穏やかになることは多いわね。あのお兄ちゃんも丸くなって。修行期間に何かが取れたみたい」

華は鷹人がなぜ姿を消していたのかは知らない。
喫茶店の料理の研究で海外に行っていたことに表向きの理由だ。
華は椅子から立ち上がる。

「世帯を持つと、柔らかくなるのかもね。私も考えてみるかあ」

華は代金を払うと店を出て行く。
その後ろ姿を見送り、有秀が口を開いた。

「葦澤攻って奴いるだろ?渕脇会長の秘書の。そいつ、華先生にアタックしてるらしいぜ」

赤ん坊のミルクを与え終え肩に赤ん坊の頭を乗せ優しく背中をさすり、ゲップを出すようにうながしている。
動物好きの性格が惹き付けているのか、葦澤は何かと理由をつけて華と会っているらしい。

「そっかあ。葦澤君は、積極的だね」

真吏が笑う。
華の病院の受付と助手のイケメン二人が葦澤を気に入っていることも、真吏は知っていた。

「鷹人は意気地なしの上に、奥手です」

ヒューマノイド清白(スズシロ)が華の使った食器を片付ける。

「でもまあ、そこが鷹人君の良いところでもあるから」

真吏が云うと有秀は口笛を鳴らす。

「あんた普通に、のろけるな。おまえの母さんと父さん、ラブラブだぞ?」

背中をさすり続けていると、ようやくゲップが出た。
大きな音が店内に響く。

「うお、でけぇ。おまえもお腹いっぱいだよな。色々と」
「どういう意味よ」

真吏が顔を赤くさせ口を尖らせている。
ふたりのやり取りを聴きながら清白はテーブルの片付けを済ませ、厨房へ戻っていく。
厨房内では鷹人が黙々と、新メニューを考え調理している。

「ネマを見てきます」

鷹人は頷いた。
エプロンを取り二階にある鷹人の使っていた部屋へ向かう。
今は二人は真吏のマンションで暮らしているが、いずれ引っ越して来る予定だ。
喫茶店には黒猫ネマも連れて働きに通っている。
荷物の少なくなった鷹人の部屋で仕事終わりをネマは待っている。
ほとんど使われなくなったベッドの上で、ネマは前足を曲げて香箱座りで、うたた寝していた。
清白の足音と気配を察すると耳を動かし瞳を開いた。
欠伸をすると躯を伸ばし近づいてくる。
清白が膝を曲げて絨毯の上に座ると、喉を鳴らしながら飛び乗り背中を丸めて再び瞳を閉じる。
黒猫の背中を清白は、そっと撫でた。
耳を澄ますと一階での喫茶店の内容は聞き取らないものの、話し声や調理器具や食器の音が聞こえてくる。

「幸せとは、こういう物なんでしょうか。あなたも(わたくし)も普通の生命体ではありませんが、一緒の平穏が楽しくて美しいです」

黒猫も清白の言葉に賛同したようだった。
鷹人と真吏の子供は、完全には人間ではないのかもしれない。
だが、少なくともここの人間たちは、そんなことは何の問題にならない。

(わたくし)は幸せです」

美しい白い手が黒猫を撫でた。