バーナ重工業の専務室である。
社内で起きたヒューマノイド流出事件は、いまだに解決にいたっていない。
責任を取り辞任するはずだった渕脇忠行も不問に付すとされたままだ。

「ふん。運だけはいい奴だ」

吐き捨てたのは茂澄臣吾(もずみしんご)である。
渕脇忠行より二才年下で、役職は専務取締役だ。

「本来ならば、おれがバーナ重工業の権限を継ぐはずだった」

臣吾は吐き捨てる。
彼はビジネスにおいて優秀な人物だ。
バーナ重工業の存続に捧げており、これからもそれは続いていくはずであった。
渕脇忠行が帰って来るまでは。
忠行は研究しか興味のないお坊ちゃんだと思われていたし、仕事だと理由をつけて実家にも顔を出すこともなく無能な息子だと嘲笑されており、敵対者などいないはずだった。

臣吾自身の家の経営が傾いた時、光展に助けられたが、それも彼には好都合であった。
関係を良好に保つため、彼はバーナ重工株式会社の会長の娘と結婚もした。
だが光展は臣吾の期待を裏切り、息子の忠行に権限を託し引退したのだ。

「あのボケ老人め。だが、おれは諦めんぞ」

臣吾と忠行の違いは能力にもあったが何より歴然としているのは、その欲深さだろう。
バーナ重工業を手に入れるため、そして自身の前進のため、彼は頭を下げ蜜月を演じてきたのだ。

「あのヒューマノイドは無価値だ」

忠行は自身がヒューマノイド開発に加わっていた科学者である。
会長でもあり父親であった光展は、そこも評価していたのかもしれない。
バーナ重工業は品質第一の高級ヒューマノイド生産を売りにしていたが、臣吾はランクを下げ大量生産し、気楽に買えるを売りにしたかったのだ。
安い受注の粗悪品だと云われようが数さえ売れればいい、という考えだった。

機密が流れたとあれば彼の責任は重大なものとなっていいはずだが、一向に進展しない。
流出させたという職員は告発されたものの、証拠不十分で不起訴となってている。

渕脇忠行は社内の不要と思われる催事を次々と切り捨て、能力のある者を昇進させ支持を獲たが、臣吾は能力は関係なしに役職のほとんどを血族で登用し固めた。
彼の血縁でない者は、いくら能力が高くともそれ以上は昇進できないのである。
臣吾を批判する者は次々に会社を去り、彼を支持する者だけで運営していたのだ。
情けで光展からの支持者を残しているが、それも終わりに近いのかもしれない。
彼は完全な血族による会社にしようとしている。

彼を批判する社内は囁く。

「欲深い男だ。すべてを手にいれなければ、気がすまないらしい」

ビジネスにおいて、それは悪い事ではないのかもしれないが、尽きることのない欲望に彼は呑み込まれている。

「呑み込まれたというよりは、欲ばりの化け物だな。だから先代は、渕脇忠行に継がせたんじゃないか」

彼等の囁きは大きくないが、臣吾にとっては耳障りだ。

「害虫どもは排除する。わかっているな」

それ以上、彼を貶める批判的な声は聞こえなくなった。

「あとは、あの男を引き摺り下ろすだけだ」

水面下での蠢動(しゅんどう)は、静かに続いている。