………月と星々が宝石のように美しく輝き、黒い絨毯のような夜空を美しく装飾していた夜である。
冷たく清々しい、黒く澄み渡った夜空の下を高竹真吏(たかたけ まり)は、いつものように雑誌社での仕事を終え、帰宅途中であった。

身長一七二センチ。
スラリとした体躯の二十七歳の女性である。

白い息を吐きながら歩く真吏はベージュ系のロングコートをまとい、中には黒いパンツスーツを身につけパンプスを履いており、背の高い真吏によく似合っていた。
髪は落ち着いた茶色で「上の中」と評される顔立ちに、派手にならない程度の化粧を施している。

二十五才を過ぎてからは自宅エステをすることを唯一の楽しみとしており、この仕事が一段落したら、またゆっくり自宅スパをしたいと真吏は考えていた。

コンビニで夜食に購入したノンアルコール飲料とおでんの入った袋を持ち、片手に書類やデータカードの入ったファイルをカバンに入れて抱えている。

駅から彼女の自宅マンションに到着するまで信号が三つあるが、それらを過ぎてあと五分程の距離まで近づいた時だ。

「!」

真吏は空気を切る何かを感じ咄嗟(とっさ)に横へ飛んだ。
自分が歩いていた道を見ると手裏剣(しゅりけん)のような物が、道路に突き刺さっている。

それを見てから再び緊張気味に正面に顔を向けた。
正面の街灯の暗がりに、こちらに歩いてくる人影が見えたからだ。
次の攻撃はない。

「誰!?」

真吏は息を呑み、叫んだ。
真吏を襲った正体不明の人物は答えることなく無言で暗い街灯の下を潜り、彼女の正面に立ちふさがる。

細身で丸みのある曲線、乳房の形からして女性のようだ。
頭から爪先に至るまで(あお)い光沢のあるスーツで全身を覆っており、顔は見えない。
身長は真吏と同じくらいのようだが彼女より背が高いのは、二十センチヒールを履いているからだろう。
履き物は動きに関係せず妨げない、という意思表示でもある。
真吏を待ち構えていたことは明白だった。

飛び道具で仕留めるはずだった人間が避けたため、姿を現したようだ。
月明かりと街灯の下、右腕には(かたな)が冷たく鋭い光を放っている。

それは日本刀のようでそれではなく、忍刀(しのびかたな)というかつて忍者が使用していたという武器なのだが、今の真吏にはどうでも良い知識だ。

人を襲っているのに感情をまるで感じない。
それどころか息切れのようなものも声すらもない、機械のような女だ。
その特徴を兼ね揃えた生命体を真吏は知っている。

「……ヒューマノイド!」

絶望感と恐怖と悲しみ、そして怒りの感情を鞄と共に抱き抱え身を縮こませる。
先ほどは生物的防衛本能をフル稼働させ奇跡的にかわしたが、二度は難しい。

女は音もなく走り寄ると躊躇なくそれを頭上から振り下ろした。
風が唸り声を上げる。


自分は終わってしまうのか。
こんなところで……!
鞄を握る手や全身が強ばる。
死の覚悟を決めた、その時だ。

「……?」

あの刀で両断されると思っていたが、何もない。
時間だけが流れる。
それとも、もう自分は生きていないのか。
一瞬の時間のはずが永遠にも感じられる時間だった。
恐る恐る目を開くと、一人の人物が真吏の前に立ちふさがっていた。
長身だ。
女よりも背が高く、躯つききからして男のようである。
刀を持つ手首を掴んでいた。

「!」

捕まれた相手は振りほどこうともがいたが、固定されたように動かない。
振りほどく事を諦めたヒューマノイドは、反対側の腕を繰り出そうとする。

すると男は手首を掴んだまま自分の方へ引き寄せた。
掴んでいない反対の(てのひら)を突き出し暴漢者の胸に、勢いよく打ち込む。

掌底(しょうてい)を食らった胸に椀のような窪みができたが、倒れずに踏み止まる。

しかし反撃を受けたせいか一瞬、ヒューマノイドの動きが止まった。
男は間髪入れず、今度は膝蹴りをヒューマノイドの脇腹に食い込ませる。

「!!」

肘から先が千切れ、衝撃で女は三メートル向こうの壁に叩きつけられた。
どれほどその人物が鍛えているのかは不明だが、膝蹴程度でそれをぶっ飛ばす事が可能だろうか。

しかも相手は人間ではなく体を強化した細胞を持つ人工生物だ。
にもかかわらす骨格も強化されたヒューマノイドの腕を引きちぎっている。

思うまもなく飛ばされた女の方も直ぐに立ち上がり、動き出した。
痛覚を除去されているヒューマノイドは、痛がるという事がない。

(この動きは……)

真吏が息を飲み様子を見つめる。
驚いたこともあるが、男の体術というか、その動きが彼女の父親の影と重なったように見えたからだ。
この男を見た今、なぜそんなことを思い出したのが不思議だった。

「よく出来た人形だ」

真吏の思いなど知らない男は呟く。
戦闘後とは思えないほど冷静で落ち着いている。

「おまえの所有者を、教えてもらおうか」

千切れた腕を道路へ放り投げると、壁に叩きつけられたまま動かない暴漢へ歩み寄る。
男の手が暴漢の頭部に触れた。
まるで何かの信号を受け取った機械のような反応である。

しかし。

異常を素早く感じとった男は瞬時に真生をコートの中へ抱き込み、後ろに跳躍する。
音もなく五メートルは飛んだ。
驚くべき身体能力だ。
まるで羽毛のような軽やかさである。

そして男がアスファルトに着地した瞬間。
ヒューマノイドの躯に十字に亀裂が走り白い閃光を放ち、爆発した。
男は自分を盾に爆発と部品の武器から自分と真吏の身を守る。

「証拠隠滅か」

男は煙を上げ木っ端微塵に砕けた残骸を見つめ、何の感情もないような口調だった。
黒い手袋を着けている。

「高竹真吏。二十七歳。職業はジャーナリスト」

真吏を見下ろし黒ずくめの男は言った。

黒髪で整った目鼻立ちの端正な顔立ちの日本人の男であるが、やや血色が悪い。
年齢は二十代前半くらい。
高身長の真生だが、この男はそれを十センチ以上は上回る長身である。
色白で優男に見える美形なのだが、先ほど男をぶっ飛ばした人物と同一かと疑うほど物静かな印象であった。

バランスの取れた躯を黒いブルゾン、ズボン、靴で覆い、手袋も全て黒一色で統一している。

全身、黒で固めるなんてセンスがない、といつもなら針を刺す所だが、この男は全く違和感なかった。
むしろ黒を纏う事が自然の事のように思える。
何事も見透かすような黒い瞳が真吏を射抜くように見つめ、柄にもなくその瞳に真吏は怯んだ。

「あなたは」

動揺する心を隠し真吏は不審と警戒の目を向けた。
危機を救った恩人であるが真吏は初対面である。

動揺を隠そうとした事もあったが男が自分と全く面識がないのに、今の今で警戒する事は当然であった。
男の方は、そんな真吏の反応を気にしてはいないようだ。

見つめながら再び口を開く。

「アキラル。あなたが雇った護衛屋だ」

人工知能(AI)の技術が格段に上がり、なくてはならない物になった世界。

この時代には人間と地球上に元々存在していた生物の他に、人間が造り出した人間型人工生命体『ヒューマノイド』が存在する。

性別は男女と別れており、肉体的、精神的労働を緩和する為に開発されたものである。

高齢者人数が総人口の三分の一を締めるようになった日本では、それに反比例するように出生率が減少の一途を辿っていた。

医療費、税率の引き上げは日々の生活にすら困窮する若い世代に、さらに経済面で追い討ちをかける事態となり、自分すら生きにくい世の中で出生率など期待の持てる物ではなかった。
実際に数値は一向に上がらず、緩やかながらも右肩下がりの状態が続いている。

その状況の中で人間の擬似生命体が開発された事は画期的だった。
まさに救世主である。

クローンは胚から造られているが疑似生命体はその胚を人為的に変異させているため、同じ顔と体を持つクローンとは違う、オリジナルの生物を産み出す事に成功したのだ。

胚の状態時に細工をすれば肉体を強化し労働にも耐えうるし、芸術家のように成長させたければ、その様に細胞にDNAを与え培養する。
正に人間のやりたい放題であったが、ヒューマノイドはあくまでも労働力として製造されている。

彼等の脳には精神的、感情的な脳信号は制御チップでコントロールされており人間に危害を加えないよう抑え込まれ、製造業社情報、所有者情報、居場所を伝える情報も備え付けることが義務だ。

制御チップの大きさは小指の先程の小さな物だが、人間が擬似生命体達を完全に管理する為には必要不可欠な物だった。
人間は自分たちと全く同じ容姿を持つ奴隷を造り、手に入れたのである。
一方で人間は子孫を増やすという本能を確実に衰退させていた。

堕胎の件数は減少しているものの、この擬似生命体が開発されてからは妊娠出産という自然な営みの行為が、明らかに減っている。

性的快楽目的でヒューマノイドを相手にすれば妊娠の心配はないため、人間同士である必要はない。
思う存分に楽しむことができる一つの要因になっているのかもしれない。

慰安目的の動物型の他、介護を補助する人間型が開発され、人間の労働力が必須だった介護用の他に工場現場用と警察と軍事と様々な目的のヒューマノイドが開発された。

中でも軍事目的のがヒューマノイドが注目を浴びたが、世界戦争で人類が滅びる可能性があり各国、厳重に管理している。
それは表面上のもので防衛目的の軍事産業は潤っているし、均衡が崩れないよう保っている状態だった。

しかし今から二十年前。
世界のヒューマノイド制御チップが破壊され、暴走する事件が起きる。
首謀者であり犯人は人工知能(AI)であった。
それ以降ヒューマノイドの管理はより厳格になった。

二十年経過した現在でも制御チップを失った『はぐれヒューマノイド』が出現することがある。

制御チップを搭載すれば法律違反ではないのだが各企業はイメージ崩落と反感を恐れ、ヒューマノイド開発事業は停留を余儀なくされていた。

真吏の記事が最初に週刊誌に掲載されたのは一ヶ月前の事だ。
それはとある少年殺人事件を追ったものである。
加害者少年に壮絶な暴力の末に殺害された被害者について記した物であり、警察が被害者に対しての対応に非があった事を暴いたものだ。

その事件を更に深く探った結果、事件の揉み消しを計ろうとした警察の上層部が、被害者に落ち度があるような発表を行った事。
更には被害者の両親が届けを出した当時の警察署の署長が、加害者の父親であった事がわかった。
驚くべきは署長自身、それも加害者の親という立場にありながら二週間程度の謹慎という、ごく軽い物であった事だ。

そして昨夜のヒューマノイド。

殺害された少年は家庭用ヒューマノイドの修理会社に勤務しており、彼の上司は前々から暴力の事実を把握していたのにも関わらず、見て見ぬ振りを続けていたのだ。

その上司というのは加害者少年の父親であり、主犯格少年の父親の警察署長とは学生時代からの古い友人関係である事が判明した。

加害者の少年達は現在、警察の拘置所に留置されている。
取材に当たった後、真吏は嫌悪感を覚えずにはいられなかった。

彼等が警察に連行されてから三度ほど裁判が行われているが、殺害しておきながら自分は幸せになりたいと、被害者家族を逆撫でする発言を残しているのだ。
真吏が記事を掲載し世論にならなければ、この少年達は親達の権力で無罪放免になっていただろう。

何の罪もない人間を実は「ただのストレス発散」という、軽い感覚で命を奪った彼等が事件を反省しているとは思えない。
最高裁判所による判決の日まで、あと二週間。

更に上記を深く追求した記事を、次週発売の週刊誌に掲載される予定である。
世論が流れを変えると真吏は信じたい。
この情報は、どこからか漏れたのだろう。
本能的に危険を察した真吏は、護衛を依頼したのだ。

ヒューマノイドを使い自分が襲われる確信はあった。