甲本の邸内には、大きな中庭が二つあった。

ひとつは、広間で見た沙羅の木のある庭。
もうひとつは、東西の対屋を隔て、裏庭へと続くものである。

回廊の下を流れているのは、鑓水《やりみず》だ。その水源を辿れば、丁度、中庭の奥の小さな泉に突き当たる。

 これは、自然の湧水だろうか?
大きな二つ岩の合間から、絶える事無く、こんこんと湧き出ている。

涼しげな、その水音を聞きながら…。ボクは肩に背負ったリュックを、グイと引き上げた。

ソロリソロリと歩を進め、漸く母屋との境目まで来た…その時である。

足下の板が突如、『キュイキュイ』と鳴いたので、ボクは悲鳴を上げそうになった。

 何とも耳障りな、古木の軋む音。
まさか、これは──?

「鴬張り……?」

 試しに、その場で何度か足踏みをしてみる。
すると、板と板とが擦れ合って、小鳥の囀ずりの様な音を立てた。

──間違いない。
これは正真正銘、本物の鴬張りだ。
敵の侵入を察知する為に考案された、大昔の工法である。

 しかし、何故?
よりにもよって、こんな所に、何故そんな工夫がしてあるのか?

この廊下を、音を立てずに渡り切るなんて、まず不可能だ。庭に降りれば、暗がりを流れる鑓水に足をとられる。

 何て事だ。こんな仕掛けがしてあるなんて──まさか、ボクを逃さない為に?

 いや…そんな筈はない。
これは、ボクが此処に来る以前からあるものだ。単に、侵入者防止の為の仕掛けだろう。

何しろ古い屋敷だし…これぐらいのセキュリティ・システムがあったとしても、何ら不思議ではない。

 だけど、困ったぞ。
出来るだけ静かに逃げたいのに…
これじゃあ…