七月に入ると暑さが増し、湿度の高い日々が続く中で今日から期末テストが始まった。
クロと毎晩会いながらも勉強時間だけは減らさないように心掛けていたおかげか、今日の二教科分のテストは手応えを感じることができて、帰宅してから問題用紙を見直したあとでホッとした。
まだ進学することしか決めていないけど、どこの大学を受験するとしても恐らくセンター試験を避けては通れない。
将来のこともまだわからないから学部も決められなくて、受験に必要そうな科目は塾で受けている教科以外も満遍なく勉強するしかなかった。
両親に言えば問題集は何冊でも買ってもらえたし、勉強している間は他のことを考える暇がなくてつらい記憶に悩まされずに済んだから、私にとっては勉強は嫌だと感じるよりも利点の方が多かった。
そんな中、ツキは相変わらず私の傍からほとんど離れることなく過ごしていたけど、食欲が少しだけ落ちたままだったことがずっと気になっていたから、ようやく動物病院に連れて行くことにした。
いつもお世話になっている優しい笑顔の獣医師が、今日もしっかりとツキのことを診てくれた結果、幸いにも特に異常は見つからず、『水分をしっかりと与えるように』と言われただけだった。
「なんともなくてよかったね」
強い陽射しからツキを守るために差している日傘の中で微笑むと、左腕の中にいるツキが「ニャア」と鳴いた。
もう心配するなよ、と言われているようで、ふふっと笑ってしまう。
ずっと気になっていたからなんともなかったことに安堵し、念のために受診してよかったと思いながら住宅街を歩いていると、ふと笹飾りが目に入った。
折り紙で作った飾りと短冊が吊るされた笹を見て、明日が七夕だということを思い出す。
短冊に願い事を書いたのはたぶん小学生の時が最後で、思わず懐かしい気持ちになった。
今はもう短冊を書く機会なんてないけど、もしも願い事を書くとしたら私はなにを願うのだろう。
受験や将来を始め、自分自身が一番苦手な人間関係のことが浮かんだけど……。
「ツキと出来るだけ長く一緒にいられますように、かな」
ぽつりと零れたのはまったく別のもので、だけど私自身がなによりも叶えて欲しい願い事だった。
クロに言われたから、というわけではないけど、猫の寿命があまり長くないことは知っている。
明確な出生日はわからないけど、だいたい十歳になるツキとどのくらいの時間を一緒に過ごせるのかと考えてしまい、不安と寂しさに苛まれた──。
「どうした?」
それから数時間後、晴れた夜空の下で会っていたクロが突然そんな風に切り出した。
「今日は元気がないな。なにかあった?」
さっきまでは笑顔の練習をさせられていたのに、急に心配そうな顔を見せられて戸惑う。
「別にそんなことない。普通だよ」
昼間に考えてしまったことが頭から離れないことは隠して平静を装ったけど、彼はなにかを察するように微笑した。
「千帆はよく頑張ってるよ」
元気づけようとしているのか、クロが優しい笑顔でそんなことを言うから、思わず彼から視線を逸らした。
ツキのことで不安を感じて少しだけ弱っている私は、こんな言葉を聞いただけでも油断すれば泣いてしまいそうで、歪みそうな表情を見られたくなかったから。
「この二週間ずっと、傍で千帆のことを見てきたけど、千帆は不器用だけど優しいところもたくさんあると思う」
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、クロが穏やかな口調のまま続けたけど……。
「優しさを上手く出せないのはまだ過去の不安が強く残ってるせいだろうけど、千帆はちゃんと努力できる子だから、あと二週間もあればきっと変われるよ」
そこまで聞いた時、ハッとして目を小さく見開いていた。
あと二週間。
それが、クロとの“さよなら”までの時間。
出会ってからたったの二週間で、最初は振り回されていることが嫌で嫌で仕方がなかったはずなのに……。彼が決めた期間の半分が過ぎ、約束の日まであと二週間だと気づいて、胸の奥がざわめいた。
その感覚を上手く表現できないけど、二週間が経てば夜空の下で会うこの時間がなくなるのかと思うと、まるで自分の居場所を失くしたあの頃のように不安と孤独混じりの重暗い感情が芽生えたのだ。
「そういえば誕生日だな」
「え?」
「二週間後は七月二十日だから、千帆の十八歳の誕生日だ」
思わずクロを見ると向けられたのは明るい笑顔で、こんな風に感じているのは私だけなのだと知る。
よく考えてみれば、期限を決めた彼がその日を意識しているのは当たり前のことで、それを考えていない私だけが戸惑うこの状況に言葉が出てこない。
最後まで嫌々過ごすはずだったクロとの時間がいつの間にか心地好いものに変わっていた、なんて認めたくはなかったけど……。そのことに気づいたのが期限を突きつけられた今この瞬間だということも、私だけが心の準備ができていなかったことも、なんだか滑稽に思えて自嘲混じりの微笑が漏れた。
二週間の間に与えられ続けた優しさが温か過ぎて、クロとの時間が心地好いものになってしまっていたこと。
それを認めるしかないのだと悟ったのは、微笑する私を見つめる彼の漆黒の瞳と視線がぶつかった瞬間だった。
沈黙が訪れた夜空の下で、視線が重なる。
見つめ合っていると綺麗な瞳に吸い込まれてしまいそうで、言葉を紡ぐことを忘れるほどクロの眼差しに囚われていた。
「千帆……」
不意に切なげに零されたのは、私の名前。
『なに?』と返事をしようにも声が出なくて、考える間もなくいつの間にか眉を寄せていた彼が伸ばした手を受け入れていた。
そっと左頰に触れた、大きな手。
温かい手を拒絶しなかったのは、暗い場所に落ちてしまいそうだった心が安堵に包まれたから。
「泣きそうな顔してる」
ぽつりと零したクロの方がよほど泣きそうに見えるのに、彼が切なげな瞳で私を見つめるから本当に泣きたくなってしまって……。
「そんなわけないでしょ」
必死に鼻で笑って見せたけど、なんとか零した強がりの声は震えていたかもしれない。
「なんで私が泣かなきゃいけないの。あと二週間でクロと会わなくて済むんだから」
それでも、精一杯の悪態をついて笑った。
不意にクロがからかってきて、ムッとした私が言い返す。
そんないつもの雰囲気になって欲しかったのに、途端に寂しそうにした彼を見て、失敗したことに気づいた。
同時に、人付き合いを避けすぎた代償を感じて、空気を読めない自分自身が嫌になる。
もともと上手く切り返せないことも、三年前のあの時だってもっと雰囲気を察していれば切り抜けられたのかもしれないことも、痛いほどわかっているのだから変わらなければいけないのに……。
「ごめん……」
私には簡単にできることではなくて、せめて勉強みたいに明確な答えがあればいいのに、なんて思いながらそう言った。
小さく小さく零した声は掠れていて、謝罪まで下手な自分自身にため息をつきたくなる。
だけど……程なくして、クロはそんな私の気持ちをすべて察するようにふっと笑みを浮かべたあと、私の左頰に触れていた手を頭に移動させて髪をグシャッと撫でた。
「なーにらしくない顔してるんだよ。千帆は悪態ついてればいいよ」
乱暴にグシャグシャと髪を撫でる彼が、「ただし、それは俺の前だけにしとけよ」とニカッと笑った。
ぎこちないながらもいつもの雰囲気に戻ったことにホッとした私は、そんな気持ちを隠しながら口を開いた。
「余計なお世話なんだけど」
「ははっ。その言い方、千帆らしいよ」
クロの笑い声がわざとらしく聞こえたのはたぶん気のせいではなかったと思うけど、気の利いた言葉なんて思いつくはずがなくて、からかうように笑う彼に「うるさい」と悪態をつくことしかできなかった。
可愛げがないことはわかっていたけど、そうすることでしか平気な顔を見せられそうになかったから。
「やっぱり前言撤回する方がいいか。千帆、ちょっと悪態は控えろ」
「なんで?」
「そう言うと思った」
「だいたい、クロがいつもからかうせいでしょ」
「それも言うと思ったよ」
苦笑したクロを見て、ようやく私たちの間にあったぎこちなさが消えたような気がした。
慣れない会話に疲れるけど、決して嫌ではない雰囲気は、この二週間で出来上がっていったもの。
もうずっとこうして言い合える相手がいなかった私には久しぶりに味わう空気感で、この数日はほんの少しずつ楽しさを覚え始めていた。
もちろんそれを素直に認めたくはないけど、彼の前だというのに思わず笑みが漏れそうになる。
そんな風に感じるようになった私にとって、クロとの時間は自分で思っているよりも大切なものになりつつあるのかもしれない。
「もう、こんな時間だったんだな。そろそろ帰ろう」
「え?」
続けて『もう?』と言いそうになったことに気づき、慌てて言葉を飲み込んだ。
その二文字がどういう意味を指すのかは明白で、無意識にそんなことを口にしようとしていた自分自身に恥ずかしさが芽生え、言わずに済んでよかったと安堵した。
「今日も送ってあげられないけど」
「近くだから平気だって、毎回言ってるでしょ。塾の日はいつもこのくらいの時間に帰ってるんだから」
塾の日は授業のあとに自習室で勉強をすることが多かったけど、クロと会うようになってからは自習をせずに帰るようになったから、この時間ならいつもとほとんど変わらない。
「ん。気をつけて帰れよ」
以前その話はちゃんとしているのに、彼は毎回同じ台詞を口するしそれを聞く私も悪い気はしないから、このやり取りはずっと続くような気がしていた。
「おやすみ、千帆」
「うん」
短く返した私に破顔したクロを見て、ふと昼間のことを思い出す。
もしも、短冊をもうひとつ書くことになったとしたら……。私は、もしかしたら『クロともう少しだけ一緒に過ごせますように』と綴り、彼との“さよなら”までの時間を願ってしまうのではないかと思った──。
クロと毎晩会いながらも勉強時間だけは減らさないように心掛けていたおかげか、今日の二教科分のテストは手応えを感じることができて、帰宅してから問題用紙を見直したあとでホッとした。
まだ進学することしか決めていないけど、どこの大学を受験するとしても恐らくセンター試験を避けては通れない。
将来のこともまだわからないから学部も決められなくて、受験に必要そうな科目は塾で受けている教科以外も満遍なく勉強するしかなかった。
両親に言えば問題集は何冊でも買ってもらえたし、勉強している間は他のことを考える暇がなくてつらい記憶に悩まされずに済んだから、私にとっては勉強は嫌だと感じるよりも利点の方が多かった。
そんな中、ツキは相変わらず私の傍からほとんど離れることなく過ごしていたけど、食欲が少しだけ落ちたままだったことがずっと気になっていたから、ようやく動物病院に連れて行くことにした。
いつもお世話になっている優しい笑顔の獣医師が、今日もしっかりとツキのことを診てくれた結果、幸いにも特に異常は見つからず、『水分をしっかりと与えるように』と言われただけだった。
「なんともなくてよかったね」
強い陽射しからツキを守るために差している日傘の中で微笑むと、左腕の中にいるツキが「ニャア」と鳴いた。
もう心配するなよ、と言われているようで、ふふっと笑ってしまう。
ずっと気になっていたからなんともなかったことに安堵し、念のために受診してよかったと思いながら住宅街を歩いていると、ふと笹飾りが目に入った。
折り紙で作った飾りと短冊が吊るされた笹を見て、明日が七夕だということを思い出す。
短冊に願い事を書いたのはたぶん小学生の時が最後で、思わず懐かしい気持ちになった。
今はもう短冊を書く機会なんてないけど、もしも願い事を書くとしたら私はなにを願うのだろう。
受験や将来を始め、自分自身が一番苦手な人間関係のことが浮かんだけど……。
「ツキと出来るだけ長く一緒にいられますように、かな」
ぽつりと零れたのはまったく別のもので、だけど私自身がなによりも叶えて欲しい願い事だった。
クロに言われたから、というわけではないけど、猫の寿命があまり長くないことは知っている。
明確な出生日はわからないけど、だいたい十歳になるツキとどのくらいの時間を一緒に過ごせるのかと考えてしまい、不安と寂しさに苛まれた──。
「どうした?」
それから数時間後、晴れた夜空の下で会っていたクロが突然そんな風に切り出した。
「今日は元気がないな。なにかあった?」
さっきまでは笑顔の練習をさせられていたのに、急に心配そうな顔を見せられて戸惑う。
「別にそんなことない。普通だよ」
昼間に考えてしまったことが頭から離れないことは隠して平静を装ったけど、彼はなにかを察するように微笑した。
「千帆はよく頑張ってるよ」
元気づけようとしているのか、クロが優しい笑顔でそんなことを言うから、思わず彼から視線を逸らした。
ツキのことで不安を感じて少しだけ弱っている私は、こんな言葉を聞いただけでも油断すれば泣いてしまいそうで、歪みそうな表情を見られたくなかったから。
「この二週間ずっと、傍で千帆のことを見てきたけど、千帆は不器用だけど優しいところもたくさんあると思う」
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、クロが穏やかな口調のまま続けたけど……。
「優しさを上手く出せないのはまだ過去の不安が強く残ってるせいだろうけど、千帆はちゃんと努力できる子だから、あと二週間もあればきっと変われるよ」
そこまで聞いた時、ハッとして目を小さく見開いていた。
あと二週間。
それが、クロとの“さよなら”までの時間。
出会ってからたったの二週間で、最初は振り回されていることが嫌で嫌で仕方がなかったはずなのに……。彼が決めた期間の半分が過ぎ、約束の日まであと二週間だと気づいて、胸の奥がざわめいた。
その感覚を上手く表現できないけど、二週間が経てば夜空の下で会うこの時間がなくなるのかと思うと、まるで自分の居場所を失くしたあの頃のように不安と孤独混じりの重暗い感情が芽生えたのだ。
「そういえば誕生日だな」
「え?」
「二週間後は七月二十日だから、千帆の十八歳の誕生日だ」
思わずクロを見ると向けられたのは明るい笑顔で、こんな風に感じているのは私だけなのだと知る。
よく考えてみれば、期限を決めた彼がその日を意識しているのは当たり前のことで、それを考えていない私だけが戸惑うこの状況に言葉が出てこない。
最後まで嫌々過ごすはずだったクロとの時間がいつの間にか心地好いものに変わっていた、なんて認めたくはなかったけど……。そのことに気づいたのが期限を突きつけられた今この瞬間だということも、私だけが心の準備ができていなかったことも、なんだか滑稽に思えて自嘲混じりの微笑が漏れた。
二週間の間に与えられ続けた優しさが温か過ぎて、クロとの時間が心地好いものになってしまっていたこと。
それを認めるしかないのだと悟ったのは、微笑する私を見つめる彼の漆黒の瞳と視線がぶつかった瞬間だった。
沈黙が訪れた夜空の下で、視線が重なる。
見つめ合っていると綺麗な瞳に吸い込まれてしまいそうで、言葉を紡ぐことを忘れるほどクロの眼差しに囚われていた。
「千帆……」
不意に切なげに零されたのは、私の名前。
『なに?』と返事をしようにも声が出なくて、考える間もなくいつの間にか眉を寄せていた彼が伸ばした手を受け入れていた。
そっと左頰に触れた、大きな手。
温かい手を拒絶しなかったのは、暗い場所に落ちてしまいそうだった心が安堵に包まれたから。
「泣きそうな顔してる」
ぽつりと零したクロの方がよほど泣きそうに見えるのに、彼が切なげな瞳で私を見つめるから本当に泣きたくなってしまって……。
「そんなわけないでしょ」
必死に鼻で笑って見せたけど、なんとか零した強がりの声は震えていたかもしれない。
「なんで私が泣かなきゃいけないの。あと二週間でクロと会わなくて済むんだから」
それでも、精一杯の悪態をついて笑った。
不意にクロがからかってきて、ムッとした私が言い返す。
そんないつもの雰囲気になって欲しかったのに、途端に寂しそうにした彼を見て、失敗したことに気づいた。
同時に、人付き合いを避けすぎた代償を感じて、空気を読めない自分自身が嫌になる。
もともと上手く切り返せないことも、三年前のあの時だってもっと雰囲気を察していれば切り抜けられたのかもしれないことも、痛いほどわかっているのだから変わらなければいけないのに……。
「ごめん……」
私には簡単にできることではなくて、せめて勉強みたいに明確な答えがあればいいのに、なんて思いながらそう言った。
小さく小さく零した声は掠れていて、謝罪まで下手な自分自身にため息をつきたくなる。
だけど……程なくして、クロはそんな私の気持ちをすべて察するようにふっと笑みを浮かべたあと、私の左頰に触れていた手を頭に移動させて髪をグシャッと撫でた。
「なーにらしくない顔してるんだよ。千帆は悪態ついてればいいよ」
乱暴にグシャグシャと髪を撫でる彼が、「ただし、それは俺の前だけにしとけよ」とニカッと笑った。
ぎこちないながらもいつもの雰囲気に戻ったことにホッとした私は、そんな気持ちを隠しながら口を開いた。
「余計なお世話なんだけど」
「ははっ。その言い方、千帆らしいよ」
クロの笑い声がわざとらしく聞こえたのはたぶん気のせいではなかったと思うけど、気の利いた言葉なんて思いつくはずがなくて、からかうように笑う彼に「うるさい」と悪態をつくことしかできなかった。
可愛げがないことはわかっていたけど、そうすることでしか平気な顔を見せられそうになかったから。
「やっぱり前言撤回する方がいいか。千帆、ちょっと悪態は控えろ」
「なんで?」
「そう言うと思った」
「だいたい、クロがいつもからかうせいでしょ」
「それも言うと思ったよ」
苦笑したクロを見て、ようやく私たちの間にあったぎこちなさが消えたような気がした。
慣れない会話に疲れるけど、決して嫌ではない雰囲気は、この二週間で出来上がっていったもの。
もうずっとこうして言い合える相手がいなかった私には久しぶりに味わう空気感で、この数日はほんの少しずつ楽しさを覚え始めていた。
もちろんそれを素直に認めたくはないけど、彼の前だというのに思わず笑みが漏れそうになる。
そんな風に感じるようになった私にとって、クロとの時間は自分で思っているよりも大切なものになりつつあるのかもしれない。
「もう、こんな時間だったんだな。そろそろ帰ろう」
「え?」
続けて『もう?』と言いそうになったことに気づき、慌てて言葉を飲み込んだ。
その二文字がどういう意味を指すのかは明白で、無意識にそんなことを口にしようとしていた自分自身に恥ずかしさが芽生え、言わずに済んでよかったと安堵した。
「今日も送ってあげられないけど」
「近くだから平気だって、毎回言ってるでしょ。塾の日はいつもこのくらいの時間に帰ってるんだから」
塾の日は授業のあとに自習室で勉強をすることが多かったけど、クロと会うようになってからは自習をせずに帰るようになったから、この時間ならいつもとほとんど変わらない。
「ん。気をつけて帰れよ」
以前その話はちゃんとしているのに、彼は毎回同じ台詞を口するしそれを聞く私も悪い気はしないから、このやり取りはずっと続くような気がしていた。
「おやすみ、千帆」
「うん」
短く返した私に破顔したクロを見て、ふと昼間のことを思い出す。
もしも、短冊をもうひとつ書くことになったとしたら……。私は、もしかしたら『クロともう少しだけ一緒に過ごせますように』と綴り、彼との“さよなら”までの時間を願ってしまうのではないかと思った──。



