幼稚園生の頃に得た友人である宮原(みやはら)とともに過ごしたおれの小学校生活の終盤は、至極平凡なものだった。
勉強を嫌っては遊びを好み、テストに投げやりな気持ちで挑んでは大したことのない数字を抱えて返ってきたそれを破り捨て、ゲーム機が映し出す世界に浸る。
投げやりな気持ちで挑んだテストが抱えて返ってくる数字を除けば至って平均的な小学生であった。
その神社との出会いは、宮原を介したものだった。
彼の家から徒歩数分の場所にある小さなそこで、神の存在を感じてみたのがその神社との出会いだ。
神の存在を感じてみるという思考を働かせたのは宮原の方だった。
当時、人生全体を見た場合には不運とも言えないような不運がおれと宮原を頻繁に襲っており、
神というものは実在するのかなどと年齢相応なことを考え、宮原の家の近くにあるあの神社へ行ってみた。
神などという特別なものを感じることはなかったが、当時のおれたちはそこに居心地のよさを感じた。
以来、そこでぼんやりと内容のない言葉を交わすことが増えた。
真夏のそこで、一枚の五十円玉で釣り銭が返ってくる程度のアイスバーを食べるのが好きだったのを覚えている。