願いが必ず実現するという不思議な現象を使ったのは、中学生の頃、自分が神であるという感覚を確かめるためだけだった。
結局自分が何者であるかなどわからずに過ごしている。
人生経験が普通の者よりもいささか少ないようにも感じるが、平々凡々な十六歳の男子高校生だと思っている。
小学校高学年のあの日に拾った黒猫のなにかが宿っているのだとしたら、実に複雑である。
黒猫の神のことは好きだった。
おちゃまると二匹、おれにとって最高の癒やしであった。
神が眠った事実には、彼に感謝すると同時に心の底から悲しんだ。
仮にそんな神のなにかが己のどこかに残っているのであれば、彼とともに過ごせると嬉しく感じる反面、神が浅い眠りを続けていることがなんとも言い表し難い負の感情を誘い出す。
おれは自室で布団を広げ、その上に両膝を立てて座った。
携帯電話の画面に、過去に撮影した神の写真を表示する。
神がおれの中にいる――。
改めて考えると、脳が驚いた。
なにゆえに神がおれの中にいるのだと思った。
最期の瞬間に彼を抱いていたせいだろうか。
「いや、でも……」
おれは携帯電話を布団に置き、目元を覆った。
そんなこと非現実的なことがあるだろうかと考える自分を、実際にそうとしか思えないだろうと考える自分が口撃する。