十七年前の十二月二十九日、おれは日本の紫藤(しどう)家に長い時間を掛けた末に長男として生を受け、廉(れん)という名を与えられた。

父親はとある高級旅館に勤めており、日本を愛する中国人である母親とはそこで出逢ったという。

彼女は現在、趣味でありながら特技でもある手芸を活かして毎月高校生のアルバイト代程度の金を稼いでいる。

詳細は知らないが、なにやらインターネット上で手作りの装飾品や小物入れ、小銭入れなどを販売しているらしい。

母親が日本人でないと言うと、殆どの者がその国の言葉も話せるのかと興味津々に問う。

住んでいる国とは違う国の血が入っている芸能人はよく発音のいい外国語を話すために、そういった疑問を抱くのはよくわかる。

しかしおれの場合、中国語に触れたのは名前だけを知っていた音楽家の世界観を興味本位で覗いた程度あり、

伝えたいことをそれで伝えることはできるが、必ずや場面に合った言い回しができるわけではない。

なにせ中国語を母語とする母親が日本語しか話さないのだ。

日本に生まれ育ち、日常で使う言語が日本語ならば、この程度理解できていれば上等であると自負している。