「パパ、この人は隣のクラスの新田仁君。友達なの。私をここまで送ってくれただけ。外には彼の叔母さんもいるし、心配することはないわ」

 ユキの顔はまた無表情に戻っていた。

 仁はもう一度父親に向かって一礼をする。

 ユキを一瞥するが、父親の前では何も話せない。

 黙って諦めて帰っていくしかなかった。

 家を出て静かにゆっくりと玄関を閉める。

 ピシャリと閉まりきったとき、同時に目を瞑り、口を結んだ。

 その場を去るのが心残りで仕方なかった。


 ユキは久しぶりに会えた父親を無視して、さっさと二階にあがった。

 父親は長いこと会っていなかった娘のそっけない態度に少々ショックを受け、自業自得な自分の行動を恥じていた。

 後頭部に手を置いて『参ったな』としきりに髪を掻き毟っていた。

 ユキは二階に上がると、トイラが使っていた部屋を迷わず開ける。

 不思議なことに、トイラが使っていた形跡はもう何も残ってなかった。

 そこは誰も使ったことのないような客間にしか見えなかった。

「どうして! 今朝まで使ってたじゃない。ベッドメイキングや掃除なんかするような柄じゃないのに、ここでこの間まで一緒に抱き合って寝てたのに、まるでここには誰もこなかったみたいじゃないの」

 ユキはベッドに腰をかけ、そっとそのベッドを撫でた。

 床を見ると、石を積んで遊んだ思い出が蘇る。

 その石もどこにも見当たらなかった。

 何一つトイラのものは存在しなかった。

「トイラ、会いたい。お願い、戻ってきて」

 ユキは強く念じる。

 一瞬、目の前にトイラの姿が見えたように感じた。

 自分を見てにこやかに笑っていた。

 心に希望の種が与えられた気になり、もう一度強く念じようとしたとき、突然入ってきた父親に邪魔をされ、その希望の種も踏みにじられてしまった。