「そこにいる二人は人間だな。我々と交流を持つのは許されぬ行為。キース、ジーク、我々と接触し、我々を知っている全ての人間の記憶を抹消せよ。それが私の最初の命令だ」

「かしこまりました。森の守り主」

 キースとジークは忠実に答えた。

「ここは私の森ではない。すぐに戻らなければ」

 黒豹のトイラは踵を返す。

「待って、トイラ」

 ユキに呼び止められて、黒豹は咄嗟に立ち止まるが、尻尾をうねらせ振り返るか、返らないか躊躇している。

 暫く体は銅像のように動かない。

「私を忘れたの。ユキよ。行かないで、トイラ」

 ユキの心からの叫び声は黒豹の迷いを打ち消した。

 無視できないとゆっくりと振り返り、ユキを黙って食い入るように見つめた。

 ユキを思い出そうとしているのか、緑の目は深みを増して強く見入る。

「お前が呼ぶ、トイラというその名前は、私の名前なのか」

 ユキはコクリと頷くが、我慢できない感情が押し寄せ涙がじわっと溢れ出す。

 ──トイラは何も覚えてない。私のことさえも!

 自分の思っていることが嘘であって欲しいと強く願えば願うほど、体が震えてしまう。

 黒豹はユキを思い出せない。

 だが目の前の人物が自分に影響を与えたことはユキの涙で感じ取れた。

 それに応えるのが礼儀だと、黒豹はユキの元へと歩む。

「私は森の守り主。その前の記憶はもうない。全てのことを捨て、森の守り主になる定め。だが私にはわかる。私が森の守り主になるためには、お前が必要であったということが。トイラはお前に全てを託したみたいだ。私からも礼を言おう。ユキとかいったな。トイラはお前と出会えて幸せだったことだろう。もう私にはどうすることもできない。どうか忘れて欲しい」

 威厳溢れる話し方。

 もうそこにはトイラの面影は何一つ残ってなかった。

 黒豹は美しく輝く緑の目でしっかりとユキを見つめる。

 その目の奥にはトイラの記憶は映し出されないことをユキに知らせ、そしてしなやかな背中を見せ森の奥へと消えていった。

 ユキはただずっとその場に立って見ていることしかできなかった。

「トイラ……トイラ!」

 ユキは叫べるだけのありったけの声を張り上げて叫んだ。

 その悲痛な声も思いも黒豹にはもう届くことはなかった。