「き、聞いてるよ? 不思議だねー、まさか何となく入った家に私が見える人がいるなんてー」
こうなったらもうこの設定をつき通すしかない。
ただでさえ怪しまれているのに、嘘でしたと言ってしまえば本当に追い出されかねない。
とにかく今はどんな形であれこの子とコミュニケーションをとるのが先決だ。
「ふーん……」
彼はなおも疑う素振りを見せる。
落ち着け私。ポーカーフェイスを崩しちゃいけない。
何秒か無言のまま顔を見合わせた後、彼はひと際大きく息をついた。
そして、
「まぁ、正直どうでもいいんだけどね」
そう言って彼は肩の力を抜いた。
釣られるようにして私も肩の力を抜く。
……助かった。
押し通すと言ったものの、このままつっこまれ続けたらいつかは必ずボロが出る。彼が粘着質な性格じゃなくてよかった。
それよりも、大事なのはこの先だ。
「それで、これからどうするの?」
彼がそんなことを訊いてきた。
今度は訝しげな態度ではなく、純粋な興味の色が見える質問だった。
この子を救う私としては、ここで言うべき答えは決まっている。
おそらく、いや、確実に嫌がられる。でも言うしかない。
「他に私のこと見える人いないし、迷惑じゃなければしばらくここに居たいなーって」
「うん、迷惑」
とてもつらい。
ここまでストレートに拒否されるとさすがにへこむ。
しかし今はそんなことを言っている場合ではない。
どうにかして納得してもらわなきゃ。
稚拙でもいいから、とにかく策を考えよう。
よし、まずは彼の羞恥心を煽る作戦だ。
「そうだよね、迷惑だよね。えっちな本とか見れなくなっちゃうもんね」
「今すぐ帰って」
「ごめんなさい冗談です見捨てないでください」
……ダメだった。
えっちな本など無いと言われれば、すかさず「じゃあ私がいて何も困ることはないね!」と言ってつけ込む作戦だったのに。手ごわい。
でも私は諦めないよ。
次だ次。
「女の子と話すのが恥ずかしいのかな?」
「別に」
よしきた、ここまでは予想通りだ。
要領はさっきと同じで、
「じゃあ別に困ることはないよね!」
こう言って断る理由をなくしてしまう作戦。
即興で考えたにしては天才的な発想だと思う。
「いや、普通に考えて迷惑。いくら体がないからって初対面の人の家に何日も居座るとか図々しいと思わない?」
「凄く思いますごめんなさい」
ダメでした。
どうしよう、つけ入る隙が全くない。私の辞書に難攻不落の文字が追加されそうな勢い。
仕方ない、こうなったら最後の作戦だ。
「お願いですここに居させてください!」
私は、恥もプライドも捨てて綺麗な土下座を見せつけた。
両手をハの字にして床につき、頭だけでなく体全体を前に倒すようにして深々と頭を下げる。
そして相手からの返事がくるまでこの姿勢を保つのだ。
昔茶道で習った作法をこんな形で使うとは思わなかった。
「はぁ……。いくらなんでもそこまでする?」
明らかに呆れた声。
本当に、心の底から迷惑がっているんだと思う。
でも、私はまだこの子のことを何も知らないし、この子も私のことを何も知らない。
この子は苦しんでいる。そして、私はこの子を救うためにここにいる。
ならば諦めることはできない。
それに、この子を見捨ててしまえば私は彩月に合わせる顔がなくなってしまうのだから。
「だって、誰にも気付かれない人生なんて寂しすぎるよ」
頭を下げたまま、顔も見ずにそう言った。
しばらくして、彼がぽつりとつぶやく。
「寂しい……か」
居つくことを許可するわけでも、否定するわけでもなく、何かを考えるように言って、彼は再び黙り込んでしまった。
何十秒経っただろうか、それさえわからないほど長い時間が過ぎていた。
その間、私は何も言わず、じっと彼の返答を聞くべく耳を澄ます。
もう一度帰ってと言われるのだろうか。
迷惑だからと拒絶されてしまうのだろうか。
そんなことを考えながらも、私はじっと待ち続ける。
そして、
「石丸亮」
脚がしびれてきた頃、彼が呟いた。
「え?」
思わず顔を上げて聞き返す。
それが誰かの名前だというのはわかる。でも、どうしてこのタイミングで?
「名前。僕の」
彼は私から目を逸らしながら、バツが悪そうに言った。
それから、
「しばらくここに居るんでしょ。だから自己紹介」
そう付け加えて、彼はそそくさと机に向き直った。
「……居てもいいの?」
あまりに突然だったため、理解が追い付かない。
念のため、もう一度確認する。
「邪魔だったら追い出すから」
彼は単調に言って、また何かを書き始めた。
その後ろ姿を見てようやく状況を把握することができた。
どうやら私は、ここに居てもいいらしい。