「……できた」

 完成した原稿を封に入れ、亮くんは大きく背筋を伸ばす。
 時刻は既に真夜中の三時過ぎ。いつもは早寝をする亮くんがこんな時間まで起きているのは非常に珍しい。
 それほどまでに、この漫画にかける想いが強いということだ。

「お疲れ様! ついにできたね」

「うん。疲れたからちょっと寝る」

 既に眠気がピークに達しているのだろう、亮くんはふらふらとおぼつかない足取りでベッドまで歩くと、勢いに身を任せて倒れ込んだ。
 すぐに寝息をたて始める亮くんを一瞥してから、私は息を漏らす。
 なんだろう、奇妙な胸の高鳴りを感じる。
 私は亮くんが好きだ。だから、彼と話をするだけで、何気ない笑顔を見るだけで心臓が破裂しそうになる。
 けれど今感じている胸の高鳴りは、それとは少し違う感覚だ。
 机上の原稿を見やり、私はこの感覚を理解しようと試みる。
 亮くんが漫画を描いている時からずっと感じているこの高鳴り。
 彼がペンを走らせるたびに心の奥底から湧き上がってくる感情。
 この感情をなんと言葉に表せばいいのだろう。
 いいや、本当はわかっている。
 ただ、私は無意識のうちにそれを認めることを恐れているんだ。
 過去に一度味わった大きな挫折。その無力感が私の感情を必死に抑え込もうとしている。
 全ての努力が徒労に終わる悲しさ。自分など所詮ちっぽけな存在でしかないという虚しさ。それらがずっと私の脚に絡みつき、歩くのを邪魔してくる。
 私はこの想いを理解することを、もう一度足を踏み出すことを恐れている。
 だけど認めよう。
 亮くんが前に進むと決めたように、私ももう一度自分と向き合い、そして踏み出そう。
 大きく息を吸い、乱れた鼓動を綺麗にまとめ上げる。そして、強く、固く、決意する。

 ――もう一度、漫画を描こう。

 自分に特別な才能がないことはわかっている。
 私はどこにでもいる一般人で、運動も勉強も人並みにしかできない。
 そんなこと、この十八年間で嫌というほど思い知らされてきた。
 でも、それがなんだというのだろう。
 秀でた才能がなくても、特別じゃなくても、漫画を描くことはできる。
 努力が必ず報われるなんて都合のいいことは思っていない。努力というのはあくまで、成功を掴む確率を上げる行為に過ぎないのだから。
 才能の有無というのは確実にあるし、どれだけ頑張っても報われない人は絶対に存在する。誰がどんな綺麗ごとを言おうと、それが真実だと思う。
 でも、絶対に報われないとも限らない。
 成功するかどうかなんて、最大限努力した末にようやく判断できるのだから、せめてその域に辿りつくまでは描き続けよう。
 もし漫画家になれなかったとしても、その努力はきっと無駄じゃない。私が亮くんを勇気付けることができたように、決して徒労には終わらない。
 今度こそ、絶対に諦めてたまるものか。

「本当にありがとね、亮くん」

 私は、すっかり熟睡している亮くんの頬に手を伸ばし、そう呟いた。