「弘海先輩」

「……うん」

「きっとこれも夢かもしれない。どこかの哲学者が言っていたように、夢と現実の境目って非常に曖昧。でも、これが現実だ、と思うなら、現実なような気もします」


今私はこうして、息をして、弘海先輩の前にいる。
弘海先輩も同じように、同じ時間を生きて、私の前にいる。
今あるこの状況が全てで、それ以下でもそれ以上でもないのだ。


「だから、私の目の前にいるのは私の知っている葛西弘海、で。弘海先輩の目の前にいるのは、きっと先輩の知っている八城杏那で、間違い無いと思います」


すべてが、夢であり、そして願うならば、それは現実だ。
紛れもない、揺るぎのない、真実だ。


「杏那」


私の目から涙がこぼれた。
この声に名前を呼ばれたいとどれだけ望んでいたのか、きっとあなたは一生知る由もない。
弘海先輩はするりと解いた手で、溢れてしまった涙をその指で拭ってくれた。


「生きててくれて、ありがとう」


その広く温かい胸の中に自ら飛び込む。
お互いの体温を共有するようにきつく抱きしめると、弘海先輩も同じように私を包み込んでくれた。

夢でもなんでもいい。
私が今こうして、弘海先輩を前にしていることが嬉しい。
またこうして、弘海先輩に会えたことが嬉しい。

感極まって幼子のように、でもお父さんが起きないようにと声を押し殺して泣く私の頭を、弘海先輩は泣き止むまで撫でてくれた。
その手つきやぬくもりが涙が出るほど優しくて、そうして明け方近くまで私は弘海先輩の腕の中にいた。