「本当は会うのを先延ばしにすることだってできた。引き継ぎのことがあるからいつかは絶対会わなきゃいけないのは分かっていたけれど、全く心の準備ができなかった。今日の飲み会もギリギリまで辞退することを考えていた。でも、たとえ違う人でもいいから確かめようと思った。違う人なら、すっきりさっぱり諦めて、未練捨てて、いい加減悼んであげようと思ってた」



言葉の間に、沈黙が多くなって、ゆっくりゆっくり弘海先輩は話す。
さっきまで交わっていた視線もいつの間にか私の一方通行になって、弘海先輩のつむじだけが見える。
何に慄いているのか。
何がそんなにも苦しいのか。
弘海先輩は怯えるように震えていた。

懺悔するように首を垂れる弘海先輩がそのまま消えてしまうのではないかと不安で、私は少し、また少しと向かいに座っている弘海先輩に近づいた。


「そしたら、どこかで無くしたはずの時計持って、『弘海先輩』なんて呼ばれたら、もうなんか……いっぱい、いっぱいで……」


となりまで行って、弘海先輩の手に、そっと自分のを添えた。
ハッとした、私を見つめる漆黒の瞳は、涙に濡れている。
「信じて」と言った眼差しは、夢か現か分からないこの現状を信じられないように揺れている。

弘海先輩は私の両手を握った。
強く、しっかり、私がどこへも行かないことを確かめるように。