「夢の中で戻れたのはちょうど、杏那を失ったあの日から。あの時よりも早く準備して駅に向かったら、改札を抜けていく杏那が見えて後を追った。杏那は前ばかり見ていて後ろへの注意がおろそかになっていたから、僕に気づかなかったね」


あの日はただ死ぬことだけを考えて、ほかのことはどうでもよかった。
だから、後ろに弘海先輩がいたのに気づかなかった。
肩を引かれて、そして、死ねなかったことに、憤慨した。


「よかった、と思ったよ。あの時引き留められなかったその腕を掴めて。阻止できた。これでこの子はいなくならない。僕の世界から、とりあえずは消えないで済む、って。でも、『死』の引力は強くて、杏那はまたその軌道の中に入ってしまった」


あの日はもう限界だった。
自分のやってしまったことに気づいて、もういっそのこと消えてしまいたいと願った。
弘海先輩の存在も、約束も全て忘れて私は帰り路を急いだ。


「血相変えた畠本さんから話を聞いて、急いで後を追った。線路に落ちていく、杏那の腕を引っ張りあげた。救うことができて安心したのもつかの間、右手から電車が来るのが見えて……そして目が覚めたら真っ白の世界で、死んだのかと思ったけど病院にいた。杏那を助けたからではなく、自分が事故で、ホームに落ちて」


弘海先輩は、壮大な夢でしょ?と自嘲気味に笑った。

本当にあの時の出来事はすべて、弘海先輩にとっては夢。
だけど、私にとっては現実。
全部、本当に身に起こったことだった。

だって、あの時私は確かに弘海先輩に助けられて、私はこうして生きている。


「夢の出来事とは思えなかった。もしかして助けられたんじゃないかって。動かない腕でも、手のひらに杏那を引っ張り上げた感覚は残っていて。でもあの日人身事故に巻き込まれた女の子はいなかった。ホームに落ちたのは僕だけ。
杏那が生きているか確かめようにも連絡先も分からないし、聞いたところでそんな子は知らないと言われるのも怖かった。
やっぱりあれは夢で、現実ではない。いつまでも杏那に囚われた僕に、いい加減前に進め、と神様が見させてくれた夢。夢の中では救うことができたから、もう忘れてしまおうとした。そしたらどうだ、僕の代わりに入ってきた先生の名前聞いて心臓止まるかと思ったよ。まだ夢を見てるんじゃないかって」


弘海先輩も私の存在に気づいていた。
でも彼の過去に私はいなくなってしまったから、素直に現実として受け入れられなかったそうだ。

俯いて、マグカップを見つめる肩は小刻みに震えていた。