「僕が人身事故に遭うあの日まで。あの時までの僕の人生に杏那は途中から姿を消してしまった。ずっとずっと後悔してたんだ。もしあの日もっと早く登校していれば、すぐ後ろに並んでいれば、あんな風にいなくならなかったかも知らない。杏那は何も残さないまま消えてしまったから、自殺した動機も何もわからなかった。
僕がその時記憶してるのは、その背中が、僕の好きだった時よりも凄く小さくなっていたこと。脳裏に焼き付いて、忘れられなくなった」


——「自分の存在が、赤の他人に影響してないと思ったらそれは大間違いだよ」


花壇で言われた言葉がリフレインする。


「実習の1日目は放心状態のうちに終わった。それから何とか精神持ち直して、実習期間やりきって、大学を卒業して、就職しても、プラットホームで電車を待つたびに思い出した。そうでなくても、歩いて居る時、仕事してる時、制服姿の女の子を見る時、ふとした瞬間に思い出されて、忘れることなんてできなかった。杏那がいなくても、変わらず動く時間が虚しくて、自分だけが歳をとっていくのが辛くて、時計は嫌いになった」



——「あんまり時間が進んでいくの、見たくないって思うことない?」


ポケットにしまわれていた腕時計。
2人で見た夕陽に隠されてしまった、涙の訳は。



「ずっと願ってた。笹舟の末路がこれではありませんように。あの一瞬だけが僕らの再会でありませんように。そしたらその願いが聞き入れられたかのように、事故にあった日から、夢でやり直すことができた」



私はただただ、弘海先輩に耳を傾けていた。

話は確かに現実離れしていて、信じることは容易くない。
でも私のこれまでの人生に弘海先輩はいて、そして助けられた過去があるから、どうしても嘘を言っているようには聞こえなかった。

ぎゅっと握りしめる手に汗がにじむ。
弘海先輩は、一口だけコーヒーを飲んだ。