——『杏那を、引き取らなければよかった』
その言葉の真相を知ったのは、あの日の翌日のこと。
駅員さんの話も半聞で一目散に走ってきたお父さんは、私がお父さんが吐露した言葉のために自殺を図ったのだと勘違いしていたそうだ。
あの言葉は、私のことがいらない、という意味ではなく、忙殺される日々の中でお父さんも精神的に参っていて、私にも当たってしまいそうな恐怖と、悩みを抱えていながらも自分の顔色を伺いながら生活している私に対する申し訳なさ、から思わず出てしまった弱音だったと言った。
「失いそうになって初めて気付くなんて、親失格だ」と泣いて謝られたが、許すとか許さないという問題以前に、私はちゃんとお父さんの娘として存在してもいいのだと、それが分かって私も手放しで泣いた。
以来、お父さんの私の扱いは甘い。かなり過保護だ。
大学で一人暮らしをしていた時は毎日のように電話がかかってきた。
でも以前にも増して大事にされているというのが伝わってきた。
就職を機に家に戻ってきてからは休日には録りためたドラマを見るし、時々一緒に外出もする。夏には温泉旅行に出かけた。
親子の仲は一層深まったようにも思う。
結局自殺未遂を起こしたことは黙っている。これは墓場まで持って行くつもり。
元はと言えば私の勘違いが生んだもので、わざわざ話してさらにお父さんに心労をかける必要はない。
今が幸せなら、それでいいような気がした。