「そんなことも、言いましたね」

「それで少しムキになった僕はまた言った。『じゃあもし会えたら、連絡先教えて』って。そしたら杏那は『いいですよ』って言った」


思い出した。そういえばそんなことも言った。

あの時は待ち合わせの時間だけ決めて、場所までは決めていなかったから、私は改札の前で待っていたのに、先に来ていた弘海先輩は下の時計台の前にいて、三十分ほどお互い余計に待ちぼうけしていた。
そんなこともあったのに、その場では連絡先を交換しようと言う話にはならなくて、そしたら、そんな約束を持ちかけられた。
私はただの社交辞令だと思って、気軽に「いいですよ」なんていったんだ。
もう二度と会うことはないと思って、高を括っていた。

そこで、もう一つ、回路が繋がる。


「この前言ってた『約束』ってこのことですか?」

「そうだよ」


もしかして、杏那は反古にしようとしてた? と口元だけが笑っている。
反古というよりもそんなことを言ったこと自体忘れていた。
そもそも私の中では約束のうちにも入っていなかった。

弘海先輩の人生において私は、通行人Aのような存在だったと思っていた。


「また会えたよ。だから教えてよ」


見上げた弘海先輩の視線は、上流の向こう。
風が吹いて、栗色の髪が揺れ、私の髪も後ろに流れていく。
いつのまにか汗が引いたようで、素肌に若干の張り付いていたTシャツも風を含んで膨れた。

弘海先輩の横顔の陰影を見つめていても、弘海先輩はこっちを見てくれない。