青い僕らは奇跡を抱きしめる



 夕食後は皆で花火をしようと、花咲家の裏庭に集まった。

 夏の風物詩。

 小学生の頃は、楽しくて仕方のないイベントだったような気がする。

 今は、ただ葉羽の家族に付き合い、俺は参加を強いられて、花火の楽しさなどとうの昔に忘れたと言いたげに、そこに我慢して立っていた。


 暗いと言う事に騙されて、俺の本心をも隠し、その暑さもまた闇とともに身をひそめて、太陽が沈んだ後も、温度は急激に下がらずもわっとあたりに篭っていた。


 ねっとりとした湿気を含む夜は、意地悪く肌を撫ぜるように触れて不快感が漂う。

 じわじわと意味もなく追い詰められるような、脅迫にも似た蒸し暑い夜だった。

 突然、蚊を始末する、ぱちんと手を叩く音で、俺はハッとする。


 「あら、いやだ、蚊だわ」


 葉羽の母親が、呑気な声を出して周りをうちわであおいでいた。

 俺は葉羽が蚊に刺されないか心配になり、暗いと言う事を隠れ蓑に、彼女をじっと見ていた。

 部屋の明かりが漏れた裏庭は、ぼやっと葉羽を浮き上がらせていた。


 小学生の頃とは違う、少女の凛としたしっかりしたものが見えたような気がした。


 葉羽が俺の視線に気が付いたために、俺は慌てて目を逸らした。

 それがわざとらしくても、幾分暗い夜空の下では、かろうじて逃げるだけの余裕があった。

 こんなに近くにいるのに、まだ葉羽とまともな会話をしていない。

 お互いどこかで意識をしている。

 ぎこちないリズムの息遣いだけが、敏感に俺たちの間で感じられた。


 そんな張りつめた俺たちの間を、兜は有り余るエネルギーを押さえられず、感情高まって走り回っていた。

 お蔭で、俺たちの緊張も緩和されて、それは周りの余計なものを蹴散らすには役に立っていた。

 ただ、火を使う遊びだけに、花火の準備をしていた父親だけが、落ち着きなさいと注意している。

 俺はそれを手助けするつもりで、走り回っている兜を捕まえ、からかってやった。

 兜は俺の腕の中で、楽しそうに暴れ回り、それを葉羽が優しく見ていた。


 空気の流れが少し変わったような気がした。

 今は、それだけで十分だった。
 ゲストということで、最初に俺が花火を持たされて、火をつけられた。


 花火は勢いよく火を噴いて、バチバチと派手にスパークしている。

 その火を貰おうと葉羽が自分の花火を近づけた。

 俺は火がつきやすいように葉羽の花火の先端に自分の花火を向けた。

 葉羽の花火も火がついて同じように火が激しく燃え出すと、パチパチと音を立てた。


 ぼやっと花火の火に顔が照らされて、その時は葉羽の青白い顔もオレンジ色の光でほのかに赤みがかって見えた。


「奇麗だね」


 葉羽が呟くと、俺も「うん」と素直に言えた。


「ほらほら、もっとあるぞ」


 父親が花火をもう一本俺に渡してくれた。

 今の花火の火が消えないようにと、すぐに点火を試みるが、上手く火がつかないまま、それは消えてしまった。

 葉羽がそれを見ていて、自分の花火の火を俺に向けてきた。

 俺はそれを素直に受け取ると、また花火は燃え出した。

 その何気ないやり取りが、俺には嬉しくて、回りが暗い事を理由に俺は笑みを浮かべていた。

 俺はその雰囲気に乗って、葉羽に声を掛けた。


「葉羽、手品上手くなったんだろ。今度見せろよ」


 ぶっきらぼうながら、俺にはそれをいうのも実は照れくさく、相当ドキドキとしていた。


「うん、いいよ」


 葉羽も嬉しかったのか、声が弾んでいた。

 花火は暗闇を切り裂く激しい火を噴出してどこか攻撃的だったが、お陰でロケット噴射のごとく宇宙へ飛ぶための勢いをつけられたように、俺の心にも派手に点火してくれた。

 俺は葉羽とまた、小学生の頃のような関係が築けると思った。

 やっと調子が戻って来た。

 勢いづいた俺はさらに葉羽に話しかけていた。

「貧血はもう大丈夫なのか」


「うん。大丈夫。一週間に一度、病院で点滴打たないといけないけど、薬が体に合ったみたいで今は立ちくらみもなく楽になった」


「鉄分不足だったんだろ? しっかりと鉄分取れよ」


「そうだね、しっかりほうれん草とらなくっちゃ」


「まるでポパイだな」


 葉羽は俺の言葉に笑っていた。


「そういえば、兜が言ってたぞ。『お姉ちゃんはMです』って」

「M? 何それ?」


「だからマゾですって意味だよ」


「やだ、兜がそんなこといってたの? もう、マゾなんて言葉、どこで覚えてくるんだろう」


「兜は誰かが言ってたのを聞いたみたいだったけど、葉羽のことだから、多少しんどくなっても我慢してたんだろ。それがマゾってことなんだよ。痛めつけられることに快感を覚える」


「やだ、そんなの。そんなこと言いふらしてたなんて、後で兜におしおきしなくっちゃ」


 葉羽はこの時笑っていた。

 俺もいい調子だと思っていた。


 ところが、暫くして葉羽が俺と口を聞かなくなったのには驚いた。

 夕食を共にして花火を一緒にしたところまではよかったけど、葉羽はその後、塞ぎこむように家から出てこない日が続いた。


 またすれ違いだした。


 出会わないことで、俺を避けているようにも感じられて、俺はまた気がつかないところで何か気に障る事でも言ってしまったのかと、あれやこれやと悶悶としてしまう。


 それでも自分から積極的に行動を起こせず、外から葉羽の家を見るだけで精一杯だった。


 この夏休み、昔を思い出して一緒に遊ぼうと身構えていた俺の気持ちは宙ぶらりんとなり、それが不完全燃焼のまま、夏はあっさり過ぎ去っていった。


 二学期が始まり、転校してきた俺もその学校に慣れ、周りの事がなんとなく分かるようになっていた。


 ここの中学はそんなに悪くはないと思う。


 まだ転校して数ヶ月そこそこでは、大目に見られるというのか、異物扱いがまだ抜けきらないというのか、好きにさせてくれて、とにかく自分が困るほどの不自由さはない。


 だけど伯母の家にお世話になってる居候だけに、俺が出来ることは勉強しかなかったので、それだけは気を抜けず、怠けられなかった。


 勉強というものは努力すれば分かりやすく結果に繋がって、中間テストの結果が出たときには、伯母も喜んでくれるほどの成績を収める事ができた。


 その頃になると、先生と生徒にも、勉強ができる転校生だったと知れ渡って、少しは一目置かれるようになったくらいだった。


 その陰で俺に負けた奴には面白くなかったかもしれないが、表ざたに露骨にライバル心を向ける奴もいなかったのが幸いだった。


 別にテストでいい点を取ったからって、どうするわけでもない、

 先生がクラスで俺の事を褒めても、いつものように静かに普段通りにしていた。

 でも、あまりにも無愛想でつかみどころがないため、俺の人間性の評価は低く、却ってそれが気持ち悪がられてたかもしれない。
 俺はどう思われても構わなかった。

 その辺に生えてる雑草のように、誰にも気にされない透明人間になれることが、一番ほっとした。

 そんな俺であっても、時間が経てば、変化が生じてきた。

 俺と似たようなタイプが集まるグループと知り合い、一緒につるむ友達ができたのだった。


 心を開くほどではなかったが、自分が不利にならないだけの知恵はつき、それなりに適当に付き合っていた。


 当たり障りのない関係。

 それを気さくと取ってくれる人もいるようで、俺は自然にこの学校に溶け込んでいった。

 学校が変われば、こんなにも違ってくるものかと、環境もまた自分の運を左右するものを感じた。


 過去の学校では未だに俺が負け犬として笑われているだろうが、もうどうでもよくなって、俺は昔の自分を捨てて、新たなものになりたかった。


 もしかしたら、変われるんじゃないかと少し自分に期待する。

 こんなことを思うようになっただけでも、すごいことだった。


 相変わらず、ふてぶてしさは皮膚の下に隠れてるだけで、すぐ化けの皮がはがれそうだが、今のところは落ち着いていた。

 これも一緒に笑ってくれる友達ができたお陰かもしれない。

 誰かと一緒にいる。

 それは本当に心強かった。
 学校生活が充実してくると、心にも余裕が現れ、俺は葉羽の事が気になって仕方がなかった。

 あのすれ違いのまま何も変わっていない。

 最初は自分がよそよそしい態度をとっておきながら、葉羽の優しさに甘えて、やっと再び話せるようになったと思ったら、今度は葉羽がよそよそしい態度になってしまった。


 手品を見せてくれると約束したのに、それすらなかったことのようにされて、なんだか俺は寂しくなった。

 男の子と女の子の性別の違いを分ける分岐点とでも言うべき思春期のすれ違い。

 葉羽もまた俺の知らない所で何かの壁にぶち当たって、もがいているのかもしれない。

 俺は自分から歩み寄ることも出来ずに、様子を伺う毎日だった。


 秋の夜長を楽しむ満月が美しく映える夜のことだった。

 友達に付き合って遊んでいたら、すっかり遅くなってしまった。

 辺りはどっぷり暮れて、夜空にはくっきりとした丸いお月様がすべすべしたように美しく見えた。

 その満月を見ながらの帰宅途中、俺はふいにサボテン爺さんの事を考えていた。

 満月の光を浴びたサボテンは不思議なことが起こる、と言っていたことを思い出したからだった。


 あの家のサボテンはどうなったのだろうかと思うと、なんだか無性にサボテン爺さんの家に行きたくなり、俺はうろ覚えの記憶であの家を探し始めた。
 大きなサボテンに取り囲まれた家だったから、見ればすぐにわかると思っていたが、そのサボテンの家が見つけられない。

 苗字も思い出せず、サボテンっぽい雰囲気があった苗字だったような記憶だけは残っていた。


「サボ山、サボ田、サボ川、あれ? なんだっけ」


 本当は緑川さんだったが、サボテンの色と緑が当時は結びついてサボテンのような名前と思っていただけだった。

 怪しく挙動不審に辺りをキョロキョロしながら歩く俺に、犬の散歩をしていたおじさんが声を掛けてきた。


「どうしたんだい? この辺りで見かけない学生さんのようだけど」


 怪しいと疑われていても、この場合はちゃんとした理由があったので、声を掛けてくれたのは有難かった。

 サボテン爺さんのことを話し、その家を探していると説明すると、おじさんは警戒心がとけたように親しく話してくれた。


「ああ、緑川さんの爺さんか。昨年お亡くなりになって、あの家は家族の方が売りに出されて、それからサボテンも片付けられてしまったよ。なんかこの街の名物が消えたみたいで私も寂しく思ったもんだった」


 家の場所を教えてもらって見に行けば、おじさんが言ってた通り、その家にはサボテンはなかった。

 表札も別の名前が掛かっており、建物自体は変わってないはずなのに、そこには小学生の時に見た家とは違うものが建っていた。


 冷たい月の光が、無情にあの頃の面影をなくした姿を照らしだす。


「一つでもサボテンが残ってたらよかったのに」


 俺はサボテンが妙に懐かしく、あの時一つ貰っておけばよかったなどと今更後悔しだした。

 その時、葉羽が貰ったサボテンを思い出し、あれはどうなったのだろうと気になって仕方がない。

 枯れかけてただけに、すでにもう手元にないだろうと思っていたが、満月を見上げ、透き通る光があまりにも美し過ぎて、サボテンの事が頭から離れなくなった。


 俺は月の魔力で好奇心がうずいてしまった。


 慌てて夜道を歩き、伯母の家ではなく葉羽の家の前に立ちふさがった。

 このまま帰るか、それとも葉羽に会うか、少し迷い満月の夜空を仰いだ。

 真珠を思わせるようなその月の光が優しく微笑んで味方してくれているようで、俺はその光に促されるようにインターホンを押していた。


 「はい」と葉羽の母親の声が聞こえてきた。
「悠斗です。あの、その、葉羽に会えますか?」

「悠斗君? あっ、ちょっと待ってね」


 その後、ドアが開くと夜の突然の訪問にもかかわらず、いつもの上品な笑顔を添えて母親が出てきた。


「こんな時間にどうしたの? 今ね、葉羽、お風呂に入ってるんだけど、よかったら中で待つ?」

「えっ、お、お風呂?」


 別に一緒にお風呂入ると言われたわけじゃないのに、お風呂という響きになんだか俺の顔が急に熱くなっていた。


「いえ、その結構です」


 慌てている俺が可愛いと思ったのか、葉羽の母親はくすっと笑っていた。


「あの、一つ聞きたいんですけど、葉羽はまだサボテンを持ってますか?」


「サボテン? ああ、あの丸いサボテンのこと? あれならインテリアとして葉羽の部屋に飾ってあるけど」

「まだあるんですか?」

「うん、あるわよ。葉羽はとても大切にしていて、まるで生き物のように扱ってるわ。時々話しかけたりなんかして、入院しているときも持ち込んだくらいなのよ。縁起が悪いから根付くものをあまり病院には持って行きたくなかったのに、それでも特別なものだからって言って聞かなくてね。だけどあのサボテンがどうかしたの?」


「それなら、今夜月明かりにそれを浴びせて欲しいって伝えてくれませんか?」

「ええ、いいけど、一体どうしたの?」


「サボテン爺さんが……」


 俺はなぜそんな話をしたのかわからないけど、サボテン爺さんと出会ったときの事とサボテンのエピソードを話していた。


「そうなの。だから葉羽はあのサボテンを大切にしてるのね。葉羽は緑川さんにとても可愛がってもらってたからね。わかったちゃんと伝えとくね」


 葉羽の母親は、月の光に負けないくらいの優しい笑顔を俺に向けてくれた。

 俺はおやすみなさいと挨拶をして、その場を後にした。


 そしてもう一度月を眺めれば、なぜ今夜こんな事をしたのだろうと、自分の思い切った行動が不思議でたまらなくなった。


 満月の夜は狼男に変身するくらい、昔から何らかの影響を与えるといわれている。

 そんな力が自分にも及んだのかもしれなかった。


「まさか狼に変身ってことはないよな」


 俺は思わず自分の体をチェックしていた。


 前夜の満月の導きによる俺の行動は、次の日の葉羽の態度に即、影響を与えた。

 朝、家を出ようと玄関を開けたとき、葉羽はずっと俺を待っていた様子で、家の門の前でそわそわと立っていた。

 それはあまりにも予期せぬことだったので、朝から飛び上がるほどびっくりしてしまった。


「悠斗君、おはよう!」


 元気よく声を掛けてきた葉羽もまた、前夜の満月の光で魔力を身につけたように力強く、すっかりよそよそしさが消えている。


「お、おはよう」


 心の準備もないままに待ち伏せを食らって、俺の声が上擦った。

 そんな事もお構いなしに、葉羽は焦るようにぐいぐいと俺に迫ってくる。


「あのさ、今日、何時に帰ってくる?」

「ええっと、5時くらいには帰れるかも」


「分かった。そしたらそのときに家に来て」

「えっ?」


「待ってるから」


 それだけを言うと、家の前に停めてた母親の運転する車に急いで乗って行ってしまった。

 葉羽の母親に朝の挨拶もできないまま、あっという間に全てが一瞬で目の前を過ぎていった。

 葉羽も朝の忙しい通学の中、俺に会うためにヤキモキしながら待っていたということだった。


 ドアを叩いてくれればよかったのに、俺の朝の貴重な時間を邪魔したくないと、気を遣ってくれたのが分かる。


 急に事が動いて、それに戸惑い、頭の中で整理がつかず暫く呆然と立っていたが、学校の事を思い出したとたん、足をばたつかせて前につんのめりそうになっていた。


 葉羽の顔を見たことで、心臓がドキドキとしている。

 先ほどの葉羽の面影を頭に浮かべていると、なんだか狐につままれたような気持ちになって、そのままふわふわと足が地につかない感覚のまま学校に向かった。


 一日中そのことに気を取られて、時計ばかり気にしていたように思う。

 一体何が待っているのか、想像もつかなかった。