青い僕らは奇跡を抱きしめる

 葉羽は自分のものになったサボテンを大切に抱え、玄関先でサボテン爺さんに丁寧に礼を言う。


「葉羽ちゃんは変わってるのう」


 それを言うならサボテン爺さんの方がもっと変だといいたくなったが、その変な爺さんが、真顔で葉羽を見つめてるから、変という定義がわからなくなってしまう。

 葉羽のあどけない笑顔を見れば、年寄りなら誰しもそれがとてもかわいい子供の笑顔で、天使に見えたことだろう。

 実際この俺も、会ってまだ数時間そこらだったけど、葉羽の素直さはかわいいと漠然的に感じていた。

 サボテン爺さんも葉羽がかわいいと言おうとしたのだろう。


「葉羽ちゃんには妖精の血が混じってるのかもしれないな。サボテンの声が分かるのは妖精たちだから」


「だったら嬉しいです」


 おいおい、鵜呑みにするなよと側で突っ込みながらも、俺たちはサボテン爺さんに「ありがとうございました」と頭を下げて家を出た。

 俺にも分け隔てなく「またいつでも来なさい」と別れ際に念を押してくれた。

 人に優しくされるのはやっぱり気持ちがよかった。


 また暑い外に戻れば、折角引いていた汗が再びジワリとしみだしてくる。


 たくさんのサボテンをもう一度目に収め、俺は暫しの奇妙な体験を、太陽の日差しの下で目を細めながら本当に起こったことだったのか、自問自答していた。
「なんかすごいお爺さんだったな」


 サボテン爺さんの家を離れてから俺がぼそりと呟くと、隣で俺の手を繋いでいた兜は「普通だよ」と答えてくれた。

 その時、葉羽は俺たちの後ろを、サボテンを抱えて歩いていたはずだった。

 そう思って、葉羽に話しかけようと後ろを見ると、葉羽の姿が見えなかった。


「あれ? 葉羽がいない」


 立ち止まってキョロキョロして、今来た道を戻ろうとすると兜が叫んだ。


「あ、お姉ちゃん、あんなところにいる。ずるい、近道知ってたんなら教えてくれればいいのに」


 葉羽はその先の角の向こうから姿を出し、俺たちよりも数十メートルほど前を歩いていた。


「いつの間にあんなところに」


 俺と兜は走って葉羽に追いつくと、葉羽は疲れたような顔をしていた。

 あれだけサボテン爺さんの家で意味もなくはしゃいでいたら、疲れもでてくるだろう。

 弟子として師匠を立てなければならない気苦労さがあるのかもしれない。

 俺が半分気の毒そうに、半分呆れた顔をしていると、葉羽は無言でじっと俺の顔を見つめた。


「な、なんだよ」


「えっ、その、あの、なんでもない」


 葉羽はサボテンの鉢植えを胸に抱え込んで早足で歩き出した。


「お姉ちゃん、待ってよ」


 その後を兜がついていくから、俺も仕方なく早歩きで後を追った。

 家に帰れば、伯母の車が車庫に入っていた。

 買い物から帰ってきたらしい。


 俺はお互いの家を挟んだ道の真ん中で、葉羽と兜にとりあえず即席にとってつけたような、ありがとうを口にした。
 本当は楽しかったのに、ちっぽけな『プライド』に逆らえず本心を隠している自分が情けない。

 そんな俺を素直に兜が慕うから、余計に面映ゆく感じた。


「お兄ちゃん、明日も遊びに来てよ」


 兜はもっと遊びたいと誘ってくれたが、俺は葉羽の様子を窺いながら曖昧に「ああ」と返事をした。

 やはりまた葉羽と一緒に遊ぶのはなんだか気恥ずかしい感じがしたし、俺は素直になれるタイプじゃなかった。

 プライドも高く、どこか捻くれて、人が優しく接してくれてもわざとつれない態度を取ってしまう。

 それなのに、構ってもらえるとどこか嬉しいと感じるところもあるから、自分でも訳がわからなくなってしまう。

 葉羽はどう思っているのか様子を探れば、まだぼんやりとした表情をしていた。


 葉羽が大事に抱えていたサボテンも同時に目に入ったが、最初に見たときと少し何かが違っているように見えた。


 そのサボテンにすでに咲き切ってしまった萎れた花がついていたからだった。


 花なんて咲いていただろうか。


 球体のように丸くそれが上半分だけ土から出たようなサボテンだから、もしかしたらさっき見えなかった裏側だったのかもしれない。

 かなり枯れかけているようにもみえて、やはりもう寿命尽きて枯れていく運命のサボテンなのだろう。


「なあ、そのサボテンさ……」


 俺が枯れるかもしれないと言おうとしたが、葉羽はその先を聞きたくないと言いたげに遮った。


「このサボテンは大丈夫。これから奇跡が起こるから」


 葉羽は絶対に枯れさせたくなかったのだろう。

 強くそういいきって、そして俺の目をじっと見つめた。


「さっきから、挑戦的な目で俺をみるけど、俺なんか怒らせたのか?」


「えっ、そんなことない。あの、やっぱり明日も一緒に遊ぼう」


 葉羽からもそう言われると俺は「わかった」と自然に返していた。


 そして俺がここに滞在している間は、ずっと葉羽と兜と過ごすことになった。

 それは成り行きでそうなったことにしながら、俺は内心一緒にいられることが嬉しくてたまらなかった。

 でもサボテンを手にしてから、どこか葉羽は俺を見る目つきが違っていた。

 何かに怯えるように、俺を心配して、時折り目に涙が溜まるように潤んでいる瞳をしていた。


 家に帰る準備が整い、伯母の家を去ろうとしていた朝、すでに気温が上がりつつある中で、葉羽と兜も一緒に見送ってくれた。


 突然の俺の訪問。

 それなりに退屈しない日々を一緒に過ごし、兜とは男同士の友情も芽生え、そして葉羽ともこのまま去るのが少しもったいないような気分にさせられた。

 だが、ここでの生活は俺には夢の中の出来事に過ぎなかった。

 俺は覚悟を決めて、現実のあのつまらない生活に戻る事を受け入れる。

 いつまでも感傷に浸ることすら諦めないといけない虚しさに、俺はなんだか泣きたくなってしまった。

 でもそんな顔見せられる訳がない。

 何事もなかったように、そっけない表情をしながら、足だけ踏ん張って耐えていた。


「また来るでしょ?」


 葉羽に力強く念押しされると少し気が緩んで涙腺が熱くなりかけた。

 それを飲み込み、なんでもない事のようにあっさり返事した。


「うん」


 伯母の家がここにある限り、必ずまた戻ってこれる事を自分に言い聞かせ、口元を少し上げて余裕の笑みを装ってみた。

 葉羽はそんな俺の顔をどこか心配そうに瞳を潤わせてみていた。

 別れが惜しいほど、そんなに気に入られたのだろうか。

 男ならそれは嬉しい事でもあるが、それに対して気の利いた言葉を掛けられる訳もなく、俺はどうリアクションを取っていいのか少し戸惑って、ぎこちなく視線を背けた。


 駅まで送ってくれるという伯母の車に乗り込み、ドアを閉めたとき、葉羽は俺が座っている後部座席の窓に顔を寄せる。

 手動では窓が開けられず、まだエンジンもかかってなかったのでボタン操作で動かすことも出来ず、ただ窓越しに俺たちは見つめていた。

 葉羽が何か言おうとして口を開けたとき、閉まった車のドア越しからくぐもった「頑張って」という声が聞こえた。

 なぜこの時そんな事を言われたのかわからなかったが、バイバイというよりはいい挨拶だと思ったのかもしれない。

 英語に訳してみればグッドラックみたいなやり取りだった。

 何を頑張ればいいのかわからなかったが、俺は葉羽に最後だからと笑顔で受け答えた。

 そんな事が素直にできたのも、当分会えないのがわかっていたし、窓越しから伝える俺の精一杯の感謝の気持ちだった。


 まだこの時は幾分か子供らしい素直な部分が残っていたらしい。

 俺はこの姉弟と別れることを寂しく思っていると認めていた。

 最後に二人は去っていく車に思いっきり手を振ってくれた。

 葉羽は少しでも俺を見ようと、一緒に走って追いかけて来ていた。

 車の速さにはついていけず、すぐに立ち止まってしまったが、俺は後ろを振り返り、小さくなっていく葉羽に弱々しく手を振りながらずっと見ていた。


 夏の終わりを告げるツクツクボウシの声が、くぐもってどこからか聞こえて流れていった。

 なんとなくそれがもの哀しくて、夏の終わりを急激に感じた。

 葉羽と別れたら、夏も一緒に過ぎ去って行ったように思えた。

 少し、鼻の奥がツンとした。
 またすぐに会えると高を括っていたが、次、この姉弟と会うのは俺が中学の2年生になった頃だった。

 結構な時間が空いてしまい、その年月の中で、俺自身やその周辺もかなり変化を遂げてしまった。


 この間に、俺の家族は完全に崩壊してしまい、母親は離婚を決意。

 その準備のために働き出して、俺と二人の生活をするために資金を貯め込み出した。


 母親が忙しくなると、伯母の家に遊びに行く時間がなくなった。

 離婚の話しを母が持ち出したとき、感情で動く父親はまず激怒した。


 その後、なかなか離婚を承諾しないために調停へと持ち込むことになっていった。

 そして、おまけのように俺の親権で揉めに揉め、ぐだぐだな修羅場が続く。


 結局は母親が親権を取り、めでたく離婚になったが、この場合めでたいと表現していいのか子供心ながらに悩む。 


 その後の生活は少し苦しくなり、一層狭いアパートで母子家庭となってしまった。


 父親の暴力を見て育っていたので、居ない方が平和かなとも思ったが、多感なときに両親が離婚するという経験はこんな俺にでもしっかりとダメージを与えていた。


 あんな父親でも家族が欠けるということは、世間一般の法則を破るような不自然な違和感を覚えるし、突然目の前の道が塞がって、やむを得ず見知らぬ道を入り込んでいくという先行きの見えない不安があった。


 無理して見かけは平気を装ってみても、お金に余裕がないと欲しいものも買えず、最低限の生活を強いられるという窮屈さが、心の余裕までも失くしていく。

 この先の生活の不安を考えたとき、自分で何かできるようにと勉強には打ち込んだつもりだ。

 それでも時折感じる圧迫感が不安を引き起こし、時々眠れない夜を過ごすこともあった。

 そんな時に伯母の家のことや、あの街の居心地のよさを思い出すとなんだか惨めになっていった。

 でも男だし、そんな愚痴も言ってられないと思っていたが、心に受けた衝撃は少なくとも自分の性格形成に影響を与え、ひねくれに拍車がかかったようだった。


 人と付き合うのも億劫になり、コミュニケーションも次第と不得意になっていった俺は、中学生に上がった頃からどうやら世間一般でいう虐めというものにぶち当たってしまった。

 当たり障りのない目立たない生徒だと思っていたが、黙りこくっていることが不遜な態度にみえるのか、虫が好かない奴と思われてなめられてしまった。
 きっかけは些細なことだったのかもしれない。


 派手な生徒と廊下で肩が触れてしまい、俺は軽く会釈して悪かったと意思表示したつもりだったが、それを見てなかったその生徒は謝りもしないと誤解して、俺が生意気な態度ととらえたのだろう。

 チェっと舌打ちされて睨まれてしまった。

 まだそれは中学一年の頃でクラスも違ってたから、その場限りのものだと思っていた。


 ところが二年に上がって、その派手な生徒と同じクラスになったときには、地獄の始まりだった。

 そいつは肩が触れ合ったときの事をしっかりと覚えていて根に持ち、そして同じクラスになって毎日顔を合わしているうちに、イライラしてくるようになっていった。

 俺はすっかり忘れていたから無表情でいたが、それが却って無視をした見下した態度と誤解されていった。

 また勉強を頑張ったお陰で、クラスで一番の成績となり、それも気に食わない様子だった。

 大人しめのグループに身を置いてはいたけど、俺がその派手な生徒に目をつけられると、周りは係わりたくなくて、よそよそしくなっていった。

 また俺を貶めようとする輩もいて、変に近づいて俺から聞き出した情報をあることない事好き放題に言いふらされたりもした。


 要するに俺は嫌われ者だった。
 自分を守るために、人との距離を持ち保守的になるのは仕方がないことと、肩身の狭い思いをしていたが、家庭でも学校でも規制をかけられているみたいで、あちこちで鬱憤が溜まるようになってきた。


 それで自分も苛付くところがあったと思う。


 派手な生徒と目が会った時、俺は普段の無表情から一脱して、気の強い目つきをして睨むようになってしまった。


 それが挑発とでも思われたのか、ある日の放課後、学校の校舎の裏に来いとそいつとその仲間達に呼び出され、俺はサンドバッグのように殴られた。

 俺もそれなりに応戦しようとしたが、数で負け、無勢に多勢に手足を押さえられてしまえば攻撃しようがなかった。

 そいつらは殴り方を心得ていた。

 人から見える部分は一切傷つけない。

 腹ばかりを殴られて、俺は気持ち悪くなってその場で嘔吐してしまった。


「うわ、きたねぇ、こいつゲロまみれ」


「くっさー」


 最後に背中をけられて俺は自分の吐いた上に倒れこみ、制服は本当にゲロまみれとなってしまった。

 馬鹿にするような笑いを残し、最後は唾を吐いて、奴らは去っていった。

 この時の屈辱感は相当なものだった。


 派手なグループに所属している生徒達は、俺と違って両親も揃っているし、お金にも苦労していない。

 派手なだけあって、女の子たちの間でも目立ち、それなりに楽しい中学生活を送っているだろうに、どうして気に入らないというだけで人を傷つけるのだろう。


 俺は自由な金もないし、不満だらけの苦しい生活だけど、人を傷つけることなんて考えたこともないし、ただひっそりと中学生活を送ってるだけなのに、なぜ追い討ちをかけるようにこんな目に遭わないといけないんだ。


 ただ無念で悔しくて、心の中の唯一守っていた小さな誇りが、粉々に音を立てて砕けていく辛さに打ちひしがれた。


 屈辱で持っていきようのない気持ちに声を上げ、狂ったように地面の砂に向かって爪を立てて引っ掻く。

 その光景が異様に思った誰かが後ろを通りかかったのだろう。


 俺を心配するかのごとく、名前を呼ばれたように聞こえた。


 でも俺は今の姿を見られるのが怖くて、クラスで言いふらされて、また笑いものにされるのがいやで、芹藤悠斗じゃないフリを情けなくもしてしまう。


 顔を上げずに立ち上がって、そのまま走り去った。

 こんな事をしても無駄だとわかっていたけど、逃げることしかできなかった。

 誰に心配されたところで、何の気休めにもならなかった。



 そして俺は次の日、学校を休んでしまった。


 こうして俺の不登校は始まった。

 俺は決して殴ってきた奴らが、怖かったわけではなかった。

 それよりも、自分に降りかかる理不尽さが俺の心を蝕んだ。


 努力しても報われないものを感じ、自分が思い描いている人生へと進めずに一気にやる気がなくなっただけだった。


 朝起きるのも億劫となり、このままでは生きていくのも辛く感じてしまう。

 最後に残っていた矜持も消えてしまうことで、俺は全てに諦観し、それを受け入れ、後は全てに冷めてどうでもよくなってしまった。


 これも一種の目覚めであり、自分で気がついた悟りともいえるかもしれない。

 ただ、無気力でありながらも、常に心はイライラとしてしまう。


 こういうとき反抗期になるのだろうが、母親が苦労している姿をみてるだけに、八つ当たりの怒りをぶつける事は極力避けた。


 その分、自分を痛めつける行為へといってしまい、俺は隠れて自分で自分の体を傷つけていた。

 ナイフで線を描くように腕の皮膚を切る。

 まるでリストカットをしているようだが、自殺しようとしてるわけではない。

 痛みを感じることで自分の中の鬱憤と戦うような、どこまで自分はこの痛みに耐えられるのか、自分を自分で虐める行為だった。


 心の中は荒んで自棄を起こしていた。
 母親は俺が学校を休むことをもちろん気にはしていたが、生活がある分働かなければならない切羽詰った忙しさで構ってられず、暫くはそっと様子を見ていた。


 そして担任は、成績が優秀な生徒が暫く学校に来なくなると不思議に思い、まずは電話が掛かってきた。

 ここで「虐められているのか」と聞かれたら、まだまだその先生は生徒の事を考えていると少しは褒めたかもしれない。

 だが先生は虐めの可能性などはなっからないと思っていたのか、俺が鬱を患っていると決めかけた様子で話してきた。


 俺が母子家庭であり、生活に余裕がない事で原因は家庭にあると思っているらしい。

 確かにそれもなんらかの要因の一つかもしれない。

 でもきっかけとなった直接の原因はやっぱり虐めに繋がると思う。


 俺はそのところを先生に、多分気がついて欲しかったのだと思う。

 自分の口で直接いうよりも、察して欲しい気持ちの方が大きかった。


 しかし、それすらの願いも叶えられず、俺は先生に失望した。

 もし俺の口から虐めを仄めかしたとしても、目立つ生徒は先生に可愛がられているだけに信じてくれないと想像できたし、言ったところでこの先生は解決してくれないとも思った。


 俺はただ聞き分けのない駄々っ子のように聞く耳を閉じ、先生の言葉など一切聞くことはなかった。

 益々荒んでご飯もろくに食べなくなっていく。

 そんな俺を見て母親はさすがに異常をみてとり、危機感を持ったのだろう。
 
 しかし、離婚してからまだ全てが落ち着いてない母親には、俺の問題は重すぎた。


 腕についた切り傷や益々鬱々と暗くなって口を閉ざす俺に、どうしていいのか分からず泣き出す仕舞いだった。