「あの子猫は、諦めて」


「えっ」


 やっぱり助からなかった。

 僕は虚ろな目を向け落ち込み、それを見て母が罪悪感に苛まれた。


「ごめんなさい。他に欲しい人がいて、あなたの事が心配で、猫にまで構ってあげられずにあげちゃったの」


「えっ、あげた?」


「子猫は元気に育ってるわ。あなたのおかげで怪我もなく、健康よ。食欲も旺盛で、あれから大きくなったって、聞いたわ。あなたにもいつでも見に来てって言われてるのよ。だから退院したら会えるわよ」


 母の手が再び動き、その場を取り繕うようにリンゴの皮をむき出した。

 その後食べやすいように切って、僕の口に入れてくれた。

 僕は有無を言わさずリンゴを加えたまま、ぼけっとしてしまう。


 子猫は助かって、誰かに飼われている。

 ひ弱な小さな子猫はちゃんと生きていた。


 僕はリンゴをシャリシャリ噛みしめ、舌に広がる仄かな甘さを感じ、それと同じくらいの優しい気持ちを味わった。


「本当に無茶な事をするんだから。お父さんそっくり」


 母は嬉しいのやら、腹立つのやらで、リンゴを切る手に力が入っていた。

 僕も負けじとそれに口答えした。


「そして、不死身なところはお母さんそっくりでしょ」


 母は笑っていた。


 病気をして治った話は聞かされていたが、その病気が深刻なものだとは知らされてなかった。

 知らされても聞きなれない病名に、よくわからなかったのかもしれない。


 とにかく大変だったとだけは、漠然的に聞いていた。


 僕はじっと母を見つめる。

 年は取ってるけど、きれいだと思った。

 
「リンゴ、もっといる?」

「うん」

 リンゴを僕の口に放り込んで、母は優しく笑う。

 そんな母にも僕と同じ歳の頃があった。

 事故後、眠りから覚めた僕が、二人の青春時代の話をどれだけ知っているかなんて、母が知ったらなんて思うだろう。


 僕と同じような年頃に一生懸命恋をしていたこと。

 本人たちにとったら、知られたくないことかもしれない。

 それを考えるとおかしくて僕は笑ってしまった。


 クスクスと笑っている僕の声はカーテンからもれていた。