青い僕らは奇跡を抱きしめる

 目覚まし時計のアラームが鳴って、半分眠ったまま気怠く目をあけたら、それは最悪の一日の始まりだった。


 枕に残る夢の幻影を振り払い、体を起こして無理に起きようとするこの瞬間が一番不機嫌だ。


 自分の中の尖った攻撃力が増していた。

 それを引きずったまま、父と顔を合せれば、最悪の何ものでもない。

 それをやりすごそうと、僕は父を無視してトイレに入ろうとした。


「おい、朝の挨拶はどうした、『おはよう』くらい言えないのか」


 また始まった。

 父の先制攻撃開始。


「うるさいな、毎日会ってるんだから、簡素にしてもいいだろう」


 イライラしてトイレの扉を荒っぽく閉めた。


 僕が用を足している間も、ドアを挟んで父が文句をブツブツ言っていた。

 案の定トイレから出てくると、当てつけのように父が待っていた。


 朝から、ネチネチとそんな事をする方が裏目に出るというのに、父は頑固だから、僕の気分を害しても躾の筋を通す。


「はいはい、おはよう、おはよう」


 ヤケクソで悪態をつくように僕もまた応戦した。

 やっぱりそれも父には気に食わなさそうだった。
 
 じゃあ、どうすればいいと言うんだ。

 父が朝からこんな事して、僕の機嫌をそこねるから、そこから嫌な気分がずっと続いてしまう。


 ほんの些細なことにむしゃくしゃし、意味もなく、ただ「チェッ」と舌打ちをして、ところ構わず八つ当たり。

 機嫌の悪さが四六時中露呈する。


 調子がでるまで時間が掛かり、何かにつけて不機嫌極まりなく、ふてくされた顔でずっと過ごす羽目となる。


 いつもむすっとして、自分勝手になってしまう。



 気難しい。

 自分でも手の付けようがない気ままさがあった。
 


 放って欲しい、一人にしてほしい。

 親からの干渉は特に、気持ちが苛立つ。


 何が自分でも気にいらないのか、自分に身近な存在になればなるほど、その感情が高まりすぐにムカムカする毎日だった。


 全てにおいて、恵まれていると自覚して、そこは感謝すべき事柄とわかっていても、素直になる事が罪であるかのような捻くれた考え。

 自分を大きく見せたい、自己顕示欲にまみれて生意気に走ってしまう。


 心が荒んで両親に反発しては、その悪びれた事を粋がってさらに悪態をつく、まだ自分をコントロールできない年頃だった。

 一人っ子で何不自由なく、甘やかされて育てられたと世間では笑いものになる対象だ。


 自分の思うようにならないと、イライラしたり、上手く行かない事で言葉がきつくなってしまったり、そういう事は誰しもあるんじゃないだろうか。


 だから余計に開き直る。


 そういうのを見かねて親は益々口出しをして、それを素直に受け入れられずに逆切れしては反抗する悪循環。

 母は腫れ物を触るように気を遣い、父は間違いを正そうと正論ばかりでえらそうにする。

 それが余計に神経を逆なでするから始末に悪い。


 わかっているけど、感情に流されて自分の非を認められずに、体の中の尖った部分をさらけ出してしまう。


 調子に乗ってしまう、ナイフのような心。


 物事や人の本心を見ようともしないで、そうであると当たり前のようにそれが普通だと思っていた。

 まだまだ未熟で、どうしようもなく突っ張ってしまう。


 それがどういうものかまだ気がついてないだけで、ただの道化に過ぎなかった。
 だからある日、学校で自分が嫌われていると知った時、空が落ちてくるような衝撃と、とどめを刺された絶望が同時に襲い掛かった。


 今までの自分が崩れていく、そんな瞬間を自分自身の目で時を超越したスローモーションでみてしまった。


 最悪の瞬間がやってきてしまった。


 もう生きていけないほどに打ちのめされ、弱気で臆病な呆然自失の自分がそこに居た。



 仲良くしていたと思っていた友は、自分の粗を探すために見張っていたスパイ。

 そんな事も知らずに、心許して何でも話していた自分。


 時には人に聞かれたらいけないような事も、そいつになら正直に話せた──というより、自分と同じ思いでいると思ったから共有したにすぎなかった。


 ところが、それが罠だった。


 そこに尾ひれをつけて、もっと心証が悪くなる方向へと話をすり替えて、クラス中に言いふらした。

 自分よりも人望があるそいつの言葉は、例え嘘が混じっていてもそれをみんな鵜呑みにしてしまう。


 裏切りとそれに飲み込まれ同調する周りの人々。


 流れは、嫌悪の対象として疎外され、がんじがらめに意味もなく負の鎖を巻き付けられる。

 身動きとれず、悔しい気持ちで苦痛に震えながら、怯える毎日が続く。


 それはただのきっかけに過ぎなかったのか、そこから負の連鎖が続き、汚いものでも見るような目つきの奴らには、とことん僕は、悪者にされていく。

 どんなにもがいてもいい方向に行かない、運の悪さ。


 心には傷。
 体には身を守るための精一杯の棘。


 それが武器にもならないとわかっていても、悔し紛れに無意味な対抗をしようとしていた。

 アップアップと苦しくて、かろうじて息を吸おうと水から顔を出そうとする。

 そんな自分にも、まだなんとかなると、かすかな希望があったのかもしれない。


 自業自得と言えばそれまでだが、本心は誰かに助けてほしかった。

 手を差し伸べてほしかった。


 僕は絶望のなかで、何かにすがろうとしていた。

 だから、あの時、車が激しく行き交う道路で、本能のままに思わず飛び込んでしまった。

 そこにはヤケクソと、どうにかしたい小さな希望、ただ衝動的に体が動いた無謀な行動。


 全てが最悪に結び付いた結果だった。

 そして案の定、車に轢かれてしまった。

 轢いた人も、まさか僕が飛び込んでくるなんて思わなかっただろうから、迷惑で怒っているかもしれない。

 この場合、轢いた人にもなんらかのペナルティがあるのだろうか。

 そうだったら、申し訳ない。

 そんな事を考えられるほどに、轢かれて転がって行く時間がゆっくりで、不思議と周りがスローモーションとなって、ぐるぐると色んな物が回って、見えていた。


 これもなるべく時になってしまったのか、運命だったのか、もし自分がこの世から消えたら、アイツらはなんて思うのだろう。


 虐めた奴らへの、精一杯の当てつけ。


 でも遺書がなければ、虐めがあったとは学校は認めないだろう。

 せめてそういうのをどこかに残しておくべきだった。

 何月何日、アイツが僕の事をこうやって虐めた。
 何月何日、アイツが僕をこうやって貶めて、僕は皆から嫌われ虐められるようになった。
 何月何日、アイツとアイツも、便乗して僕を虐めるようになった。

 なんて詳しく教科書やノートのどこかに記録でもつけておくべきだった。


 こんな時のために。


 今更遅いけど、この時点ではどうにもならなかった。
 


 どこからともなく、何かの意思が感覚として体に入り込んでくる。

 良く言われる神の光に包まれるという感じ。


 今自分はどこにいるのだろう。

 いっそうの事、このまま、目を覚まさずに消えてもいいかもしれない。


 こんな自分、いない方がいいのかもしれない。

 やっぱり今もやけくそになっている。


 でも心では悔しくて寂しくて泣いていた。


 こういう時に都合よく、父と母の事を考えてしまう。

 きっと僕がいなくなったら、一番悲しむことだろう。

 これでもやっぱりあの人達の一人息子だから。
 

 ゆらゆらと彷徨い、なんとなく、噂で聞いた三途の河を渡っているような気分だ。


 自分が自分でなくなるような、生と死のあわいに身を置いて宙ぶらりんの訳のわからない真っ白になった状態。

 こういう時、人は一生分の思い出を走馬灯のように再生すると良く言われる。


 一生分?


 それは、一生分と表すにはあまりにも短すぎる年月だった。

 何かが側で弱々しくないている。

 その声を聞きながら、脳裏に映像が浮かび上がり、徐々にはっきりと見えてきた。



 それはとても奇妙な、意味なんてまったくない馬鹿げた映像だった。

 だけど、僕もまた自分と言う入れ物から離れて、誰だかわからなくなってきていた。
 
 僕と言う個体が、薄れていく中で流れる映像は、訳がわからなかった。
 誰かが変な格好して、くねくねと体を動かして唄っていた。

 聴いた事があるメロディだ。




 チャラララララ~♪
 チャラララララ~ラ~♪
 



 手品のBGMで良く使われる『オリーブの首飾り』だった。
 それはこの状況にとても怪しげで、僕を益々惑わした。


「手品ってもんはね、ハートで伝えるんだよ。失敗したってなんのその。焦っちゃいけねぇ。自分で思いっきり楽しんでやんなくっちゃ。要は気合だ。その意気込みが手品の心意気」


 金ピカの派手な衣装を身に着けた爺さんが道具らしき箱を持って、そこから花を取り出した。
 

「よっ、ほっ、それ~、あー手品は楽しいぞ。そら、お前らもやってみろ。手品は魔法だ。そらよっと。ほうら、手品で奇跡を起こして見せよう。そしてみんなが幸せに。そしたら自分も幸せに。失敗したってもう一度。何度でもやればいいのさ。そしていつかきっと上手くいくものさ」


 手品をしている爺さんの観客は、全部『サボテン』だった。

 サボテン?


 丸いサボテン、平たいサボテン、長い柱のサボテン、枝分かれしたサボテン、肉厚の葉が重なり合ったサボテン、ありとあらゆるサボテンが大人しくじっとそこに佇んで、爺さんの手品を見ていた。


 その中で一つ、ところどころ茶色くなって枯れかけた丸い形のサボテンが、食い入るように一番その手品を見ているように思えた。

 そのサボテンには見覚えがあるような気がする。


 だけどなんでサボテンなんだろう。


 これも最後に見る奇妙な走馬灯の一種なのかもしれない。

 あっ、なんか思い出した。
 確かに、あのサボテンを見た事あった。

 どこで見たんだろう。


 こんな映像を見て、考えを巡らせられることは、死ぬまでまだ時間があるらしい。

 僕はしっかりとその光景を見ていた。

 そのうち場面が変わり、僕に似たような奴が見えてきた。


 ここから僕の真の物語が始まるのかもしれない──
 

 その街は、そこに足を踏み入れる度に、柔らかいものに包み込まれるような不思議な感覚を感じさせてくれた。

 街全体が大きく構えていて、平和という安定したものが集まっているように見えたからかもしれない。

 そこには俺の親戚、厳密に言えば、俺の母親の姉夫婦と、俺よりも5歳年上の従兄弟の芳郎兄ちゃんが住んでいた。


 閑静な住宅地といったら、どの住宅地にも一般的に当てはまる決まり文句になるけど、その辺り一帯は本当に住み心地良さそうな気品が誰の目にも見えたと思う。

 坂の上の丘に集まるその家々は、大きさからして、お金持ちの地域に分類されると思う。

 伯父は常に仕事に忙しそうで、名前を聞けばステイタスがたっぷりしみこんだ大きな会社に勤めていたし、伯母もお金に余裕があるので、自分の趣味に力を入れた生活をしていた。

 そのせいか、伯父はどっしりと構えた紳士、伯母はおおらかで優しい淑女と、どちらもいつも落ち着きを払った貫録があった。

 だから伯父は、家族を大事にする人であったし、仕事が忙しくても家に帰れば温かな家庭が心の支えとなって、羨ましいほど幸せな生活を送っていた。

 そんな夫婦の間に生まれた息子の芳郎兄ちゃんも、落ち着いた幸せ一杯の家庭で勉強に励み、文句なくよく出来る子供となっていった。

 また見掛けもすれたところがなく、礼儀正しくすっきりとした精悍さがにじみ出ていた。

 見るからにいいとこのおぼっちゃまという感じだった。

 そこの家もまた、アパート住まいの自分ちよりも広々としてたし、しゃれた家具や行き届いた掃除でいつも高級感溢れていた。

 庭もあったし、洋風の洗練された白い外壁は子供心ながらいい家だなと思っていた。


 俺はそこの家に遊びに行くのが好きだった。

 伯父も伯母も優しいし、芳郎兄ちゃんも弟のように俺を可愛がってくれた。


 正月や夏休みといった、纏まった休みが取れると、母は俺を連れて、泊りがけでよく遊びに行った。