「なぁ兄貴、どうして警察はこれが殺人事件だって判断できたんだ? 俺が聞いた話だと、先輩は殴られた後に階段の上から放り投げられたってことだけど……」
「階段から転がり落ちたことによる外傷とは明らかに一致しない傷が頭部に見られたからだ。確かに体のあちこちに擦り傷や打ち身があって一見すると階段から落ちたと判断されそうだが、見る人が見れば明らかに殴られたとわかる傷があった。死因も頭部を殴打されたことによる脳挫傷。凶器とみられる鈍器は現場に残されておらず、遺体発見現場に残っていた血痕の様子などから、被害者は別の場所で殴られたのち、現場まで運ばれたのだろうと捜査員は結論付けた」
なるほど、素人考えの偽装工作ではやはりプロの目を欺けないということか。
「確か先輩、塾帰りに襲われたって言ってたな……例の階段の場所も自宅の近くだっていう話だったし」
「その通り。死亡推定時刻は午後九時から十一時頃。被害者が塾の授業を終えて帰路についたのは午後九時四十分だから、事が起きたのは午後十時前後と推測できる。現場は被害者が塾に通う際にいつも利用するルートだと被害者の母親が証言している。その証言からすでに真の犯行現場は割れていて、例の階段からおよそ百メートル離れた歩道上だった」
「ということは、犯人は殴り殺した先輩を担いで百メートルも歩いたってこと?」
「そういうことになるな。もともと人通りの少ない細い裏路地で、地元の人間は抜け道としてよく利用するところらしい。大それたこそをした割に目撃証言が上がらなかったのはそこらへんの事情が絡んでいるんだろう」
夜道なんだからもっと広くて明るいところを通ればよかったのに、と今更ながらいらぬ世話を焼いてしまう。ともすれば、美由紀本人が一番後悔しているかもしれない。まさか殺されるなどとは夢にも思っていなかったのだろうな、と少しだけ同情の念が湧いた。
「犯人は先輩がいつもその道を通ることを知っていて、犯行に及んだのかな……?」
「その可能性ももちろん考え得るし、通り魔の犯行の線も完全には捨てきれないのが現状だ。ただし、通り魔による行きずりの犯行だとすると、わざわざ百メートルも離れた階段まで遺体を運んで事故に見せかけようとした理由が説明できない。普通ならその場に放置して現場を離れるだろうからな。となると、犯人は最初から被害者・羽場美由紀を殺すつもりで待ち伏せしていたと考えるほうが自然だろう」
「でも、仮に初めから先輩を事故に見せかけて殺すつもりだったんなら、階段のすぐそばで殴ってそのまま突き落とせば話は早かったんじゃ……?」
「そう、その点も不可解だな。しいて理由を上げるとすれば、例の階段は高層マンションと公園に挟まれていて、路地よりも明るくひらけている場所に設けられていた。殴打する瞬間を目撃される可能性はぐんと上がる」
「でもそれって、先輩を運ぶ瞬間だって見られたら困るわけだから結局は同じことだろ?」
「そうなんだよ」
傑は肩をすくめた。
「だから現場の捜査員は手をこまねいているんだ。参考人として松村知子の名前を上げたのも苦し紛れと考えてもらって差し支えない」
「なるほどね、現場の状況からじゃにっちもさっちもいかないから、先輩の交友関係から犯人を炙り出そうとしてるってことか」
「そういうこと。なんでも、松村知子が事件の前日、被害者と激しく言い争っていたのを同じ創花の生徒が目撃しているらしくてな」
これはまだ美由紀からもたらされていない情報だった。知子が容疑者扱いされているというのはケンカが原因だったのか。
「お前が被害者から聞いた話じゃ松村知子は犯人ではないということだが、彼女は身長一六七センチ。女子にしては大柄で、男と見間違えたとしてもおかしくはないな」
「けど、先輩は松村さんと特に仲が良かったって紗友が言ってたし、いくら夜道だったからといって友達を見間違えたりするかなぁ……?」
「紗友が?」
その瞬間、傑の目がきらりと光った。
「紗友は知っているのか? お前に被害者の声が聴こえたことを」
「あ……うん、たまたま先輩と話しているところを見られて」
「そいつはいい」
傑はぽんと膝を打った。「何がいいんだよ?」と問いただすも、それ以上傑は何も答えなかった。
「とにかく、現段階で警察による捜査は行き詰まりつつある。お前が本気で真犯人を追いたいというのなら、被害者の声が聴けるというのは現場の刑事の何歩も先を行くことができる特権だ。あいにく僕が担当している事件じゃないから今すぐに的確なアドバイスをしてやることはできないが、被害者からもっと証言を引き出せれば事件は解決に向かうだろう」
そう言って、傑はふわりと笑みを浮かべた。
「何かわかったら知らせてくれ、その時はできる限り協力しよう」
詠斗は小さく息をつく。
ここまで理解がありすぎるのもどうなのだろう。
頼もしいような、ただ純粋に状況を楽しんでいるだけのような。
それでもやっぱり兄の言葉は嬉しいものだと思えてしまって。素直じゃないな、と自ら苦笑いしてしまう。
「ありがとう、努力するよ」
そう答えると、傑は満足そうに頷いた。その隣で、穂乃果がまったく納得できていない様子で眉間にしわを寄せていた。
「ん?」
唐突に、傑が席を立った。鞄のかかっている場所へ向かい、中から携帯を取り出している。どうやら電話がかかってきたようだ。穂乃果もすぐに立ち上がり、キッチンへ戻って弁当箱を手にすると、夕食の一部をせっせと詰め始めた。
二人の様子から察するに、兄が取った電話は臨場要請。何か事件が起きたのだ。
「面白いことになったぞ、詠斗」
電話を切って詠斗と目を合わせると、傑は口角を上げながらそう詠斗に伝えた。
「また創花の生徒が殺されたらしい――これで二人目だ」
詠斗が殺された創花生が誰であるかを知ったのは、翌日登校してすぐのことだった。
学校中が騒然とした雰囲気に包まれていて、あちこちで生徒達が肩を寄せ合っては言葉を交わしているようだ。
「今度は三年の×××先輩だって」
たたっと机と机の間を縫って詠斗の席へと近付いてきた紗友が新たな被害者の名前を教えてくれようとしたのだが、どうやら上級生の名前らしく、何と言ったのかわからなかった。
「な・か・た!」
眉間にしわを寄せてみせると、紗友は一文字一文字区切りながらその名を口にし、指で机にひらがなを書いてくれもした。
「なかた?」
「そう、三年の仲田翼先輩」
今度は漢字でその名前を机に書く。なるほど、仲田翼か。
「……誰?」
「いやいやいや、さすがに知ってるでしょ? あの不良集団のボスだって」
あぁ、と詠斗はなんとなくその顔を思い浮かべた。あの人、仲田って名前だったのか。
「胸を刺されたんだって……怖いよね」
そこまで詳しく知っているのも十分怖いと思うのだが。というか、そんな情報を一体どこから仕入れているのか。
「美由紀先輩と仲田先輩、全然繋がりなさそうなのになぁ……確か二年の時のクラスも違ったはず」
「まだ同一犯と決まったわけじゃないだろ? たまたま創花生が続けて被害に遭っただけかもしれないし」
「あり得る? そんなこと」
「これが三人、四人と続いているのなら関連を疑う他にないだろうけど、今の段階では偶然で押しきれないわけじゃない」
「でも……」
紗友は食い下がろうとしたが、チャイムが鳴ったのだろう、ちょうど担任教諭が姿を現したのでそれ以上何も言ってこなかった。
*
授業中、詠斗は隙すきを見計らいながら紗友の話を振り返っていた。
二人目の被害者は、胸を刺されて殺された。
一人目の羽場美由紀とは手口が違う。刺殺なら、美由紀の時のように事故に見せかけることは難しいはずだ。二つの事件が同一犯の犯行だとすると、ここまで殺害方法に違いが出てくるものだろうか。
見方を変えれば、同一犯による殺害の可能性を警察に否定させるためにわざと別々の手口を使ったとも考えられる。そうだとすると、犯人は綿密な計画を立てて事に及んでいるということか。
もちろん、美由紀殺害とはまったく別の意思が働いていて、たまたま同じ創花生が立て続けに殺されただけかもしれない。いずれにせよ、今の段階では判断材料に乏しすぎる。
そんなことを考えているうちに、昼休みの時間がやってきた。アラームがセットされていることを確認しようと携帯をズボンのポケットから取り出すと、傑からのメッセージが届いていた。
【羽場美由紀と仲田翼の交遊関係を探ってくれ。二人の間に共通する人物がいればピックアップしてくれるとありがたい】
「おいおい……」
要するに、詠斗を使って美由紀から直接情報を引き出そうという腹づもりなのだ。まったく、いざ自分が事件の担当になったら途端にこれだ。使えるものはとことん利用する。刑事部というのは総じて忙しい部署だ、そうまでしても事件解決を急ぎたいということか。
しかし、やはり警察も美由紀と仲田翼の事件に繋がりを探ろうとしているようだ。もしも犯人が二つの殺人を別の動機による無関係なものであると警察に思わせることを意図したのなら、ここでもまた警察に読まれてしまったことになる。二度も続けて? そんなことがあるだろうか。
屋上に出ると、今日は風がひんやりと冷たかった。濃紺のブレザーは比較的地厚い作りだが、風を通さないわけではない。春が来たとはいえ、まだ暖かさの安定しない四月の空で薄い白雲が足早に流れていた。
『お待ちしていましたよ』
びくっ、と思わず肩を震わせてしまった。見えないところから急に声をかけられるのって、こんなにも恐いことだったっけ――。
そんなことすら忘れてしまった自分に落胆しつつ、詠斗は努めて笑顔で宙を仰いだ。
「こんにちは」
『こんにちは、エイトさん』
突如として降ってきた言葉に、いつも通りベンチに向かっていた詠斗の足がぴたりと止まった。
「……そう言えば俺、名乗りましたっけ」
『いいえ。けれど、紗友ちゃんが昨日そう呼んでいましたから』
紗友ちゃん、と美由紀は当然のように言う。紗友と美由紀は本当に知り合いのようだ。
「すみません、吉澤詠斗っていいます。詠はごんべんに永遠の永、斗は北斗七星の斗」
『詠斗さん。綺麗な名前』
「そうですか? 言われたことないです。響きだけで言えば数字の八だし」
『グローバルな発想ですね』
それほどでもないだろう。このご時世、eight程度なら幼稚園児でも知っている。
止めていた足を再び動かし、詠斗はベンチに腰かけて弁当箱を広げ始めた。天の声は何も言ってこないので、詠斗も黙って箸を進める。
『また一人、亡くなったそうですね』
しばらく沈黙の時が続いていたが、先に口を開いたのは美由紀だった。
『仲田翼さん……お話したことは一度もありませんでしたけれど』
「そうなんですか?」
思いがけず美由紀のほうから情報をもたらしてくれた。いいタイミングだ、このまま傑から課されたミッションに取り組もうと詠斗は箸を握る手を止めた。
『えぇ。お顔は時たま拝見しますけれど、何せ仲田さんはあまり学校に来ていませんでしたからね』
「本当ですか? それ」
『えぇ、今の三年生ならみんな知っていることかと。黒い噂の絶えない方ですから』
「黒い噂?」
何やら不穏な空気が流れ始める。胸を刺されて殺されるだけの理由が仲田翼にはあったということだろうか。
『中学の頃から悪いことばかりしてきていたようですね。聞くところによると、街で誰かを恐喝しているところを見た人がいるとか、いないとか』
「恐喝……」
人を脅して金を巻き上げていたわけか。なんともタチの悪い。しかしこれが本当なら、殺される理由になりそうではある。
「脅されていたほうが誰なのかは?」
『さぁ、そこまでは』
ですよね、と詠斗は肩をすくめた。どうもこの人の言うことはとりとめのないものばかりなような気がしてならない。
「そういえば、先輩を襲った犯人は男じゃないかもしれないです」