「はったりだ! いくら灯りのある場所だからって、顔が見えたなんて嘘に決まってる!」
想定通りの切り返し。詠斗はフッと笑みを零した。
「そうやいやい言うなよ。俺は何も、目撃したのが顔だけだとは言ってない」
「は?!」
「目撃者はこうも言っていた――その人物は、右の手首に腕時計をしていたって」
はっ、と神宮司は咄嗟に左手で右の手首を覆い隠した。もはや自白したも同然の行動だ。
「頼むよ、神宮司。もう認めてくれないか?」
ギリ、と神宮司は歯噛みした。じっと黙り込んだまま、拳を握りしめている。
「……××××××」
そう何かを口にしたのは、草間千佳だった。
『「もうダメだよ、神宮司くん」』
わずかに動いた千佳の口に合わせ、すぐに美由紀の声が聴こえてくる。同時に、神宮司がハッとした顔で千佳を見た。
「草間さん……?」
「もうダメ、私……ッ」
「草間さん!!」
ぼそぼそとしか動いていなかった神宮司の口が大きく開く。声を張り上げたようだ。
「ねぇ、草間さん」
そう詠斗は優しい口調で問いかける。
「君を擁護したくてこんなことを聞くわけじゃないけど……この計画、神宮司が君に持ち掛けてきたんだよね?」
千佳は何も答えない。その瞳からは大粒の涙がこぼれ始めている。
「君はなかなか断ることができない性格だって聞いてる。猪狩華絵にいいように使われていたって。そんな周りに流されやすい君がわざわざ神宮司を誘って今回のような大それた殺人計画を成し遂げようとしたってのは、ちょっと考えられなかった。だから、親が医者で頭のキレる神宮司のほうから君をこの計画に誘ったんじゃないかって思ったんだけど……違う?」
神宮司は詠斗から目を逸らし、千佳にも半分背を向けている。止まらない涙を拭いながら、千佳はゆっくりと言葉を絞り出した。
「神宮司くんは……私を助けてくれたの」
思いがけない言葉が飛び出し、詠斗は眉をひそめて千佳を見た。
「私……ごめんなさい……万引きを……ッ」
「万引き?」
これもまた予想の斜め上を行く単語だ。思わずその言葉を拾って繰り返すと、しゃくり上げている千佳の後ろで傑が「なるほど」と口を動かした。
「強要されていたんだな? 猪狩華絵に」
傑の指摘に、千佳はこくりと頷いた。
「初めからそんなことをさせられていたわけじゃなかった……宿題を代わりにやったり、掃除当番を代わってあげたり……そんな些細なことだったの」
『「どこが些細なことなんだよ」と巧さんが』
美由紀の声につられて振り返ると、やっぱり巧は怒っていた。なまじ体が大きいおかげか、怒りを滲ませた顔は妙な迫力を醸し出している。
「巧」
思わず、詠斗はそう声を掛ける。
「顔」
「は?」
「怖い」
「はぁ?! 何のんきなこと言ってんだよお前はっ?!」
「そんな顔で睨まれたんじゃ草間さんも話しにくいだろってことだよ」
う、と巧は気持ち表情を緩めた。その隣で紗友が巧に向けて「すまーいるっ」と笑顔を作っているけれど、それはそれで間違っていると思う。気のせいだろうか。
『「それがいつしか」』
美由紀の声が、千佳の話が再開したことを教えてくれる。詠斗は改めて千佳のほうに向き直った。
「万引きをさせられるようになって……。もう何度目かっていう頃には私もすっかり手慣れてきちゃって……そんな自分が怖くて……それでも、やりたくないって言えなくて……っ」
泣きじゃくりながらも、千佳は懸命に言葉を紡いでいた。はっきりと物の言えない彼女にとって、過ちを告白することはどれほど心に負担がかかっているのか。あるいは吐き出してしまうことで、心にのしかかっていた重石を取り除くことができているのだろうか。
「でも、ちょうど三月に入ったばかりの頃……高校から一番近い本屋さんで、新刊の漫画を一冊盗んだところを神宮司くんに見られてて……」
『ねぇ』
華絵と別れ、ひとり本屋から少し北に入った裏路地で泣いていると、背後から唐突にそう声を掛けられた。
『……?!』
ハッと息をのんで振り返ると、同じ高校の制服をまとった男子生徒が立っていた。
『……あ、の……っ』
『ごめん――見ちゃった、君が本を盗むところ』
ガン、と頭を殴られたかのような感覚に襲われる。
終わった――。
そう、千佳は思った。
これで私の人生はおしまいだ。万引きのことが学校にバレたら、親にバレたら――。
一瞬にして頭の中が真っ白になり、止まりかけていた涙が再び河になって流れ始めた。
『大丈夫?』
何故そう尋ねてくるのかわからないまま、千佳はただその場で俯くことしかできなかった。
『七組の猪狩だろ? さっきの』
え、と千佳はやや顔を上げる。華絵のことを知っているということは、彼もまた自分と同じ一年生ということか。
『あ、ごめん……本屋で君を見掛けてから、ついここまでつけてきちゃった。あの場で声をかけていれば良かったんだけど……』
同じ制服を身にまとうその人の話から、千佳はようやく状況を理解した。要するにこの人は、漫画を万引きしてから華絵に渡すところまで、その一部始終を目撃していたということなのだ。
『アイツに命令されたの?』
自分と華絵との会話は聞き取れなくとも、遠巻きに見ていれば何が起きていたのかは自ずと見えてくるのだろう。嘘をついても良かったけれど、千佳は素直にこくりと頷いた。
『そうか……他にもいたんだな、搾取することに快感を覚える人間《クズ》が』
『えっ……?』
思ってもみない言葉を口にしたその人に、千佳はそっと顔を上げた。
『どういうこと……?』
涙を拭いながらそう問いかけると、その人は自嘲気味な笑みを浮かべて肩をすくめた。
『どうもこうも、僕もたった今むしり取られたばかりだからさ』
『……何を……?』
『カネ』
たった一言そう答えた彼の瞳は、絶望の色を湛えていた。
その瞳に映る自分の目にも同じ色が浮かんでいて、千佳は言葉を紡ぐことができなかった――。