Voice -君の声だけが聴こえる-

 至極真っ当な答えが返って来て、詠斗は少し目を細めた。

『何せ、幽霊になったのは初めての経験なものですから。道標《みちしるべ》もありませんし、すべてを天命に任せるしかないようです』

 ふふっ、と笑ったその顔は見えないけれど、きっとものすごく前向きで楽しげなのだろうと思った。はぁ、と詠斗は一つ息をつく。

「……先輩、悩みなさそうだねってよく言われたでしょ?」

『なっ?!……し、失礼なこと言わないでくださいよっ』

「やっぱりそうだったんだ」

『あ、今バカにしましたね?! ありましたよ、私にだって悩みの一つくらい!』

「どんな悩み?」

『えーっと……ケーキに合うのは紅茶かコーヒーか、とか?』

「小さい悩みだなぁ」

 ははっ、と詠斗は声に出して笑った。同時に、こんな風に笑ったのはどれくらいぶりのことだろうと、少しせつない気持ちも芽生えたのだった。
 部活動が中止になってしまったため帰宅を余儀なくされた紗友と巧に、詠斗はまんまと捕まってしまった。紗友が連絡を入れたと言い、そのまま穂乃果の待つ兄の家に強制連行されることになった。

 詠斗は電車で、紗友と巧は自転車で、それぞれ傑の自宅マンションへと赴いた。待ってましたと言わんばかりの凛々しい笑顔で穂乃果に迎え入れられた三人は、リビングに足を踏み入れた瞬間、同時に「あっ!」と声を上げた。

「兄貴!……なんで?!」

 ダイニングテーブルに着いて柔らかく微笑んでいたのは、誰あろう傑だった。

「なんで、も何も、ここは僕の家だぞ?」

「そういうことじゃない! どうしてこんな時間にここにいるんだよ?!」

「お前達がまた何やら楽しそうなことを始めようとしていると穂乃果から聞いてな。せっかくだから僕も会議に参加しようかと思って」

「なに悠長なこと言ってんだよ? こんなところで油売ってる場合じゃないだろ?!」

「何を言う、これも立派な捜査の一環だ。それに」

 傑はダイニングテーブルの上に置かれていた大学ノートを取り上げてこれ見よがしに掲げてみせた。

「お前達だって知りたいだろう? 猪狩華絵殺害事件の詳細を」

 それは傑が事件の捜査でメモを取る際に愛用しているノートだった。ニヤリと笑う傑の顔に、詠斗は盛大にため息をつく。何故か楽しそうに四人の様子をキッチンから眺めている穂乃果を横目に、詠斗達は傑に勧められるままテーブルに着くのだった。

「猪狩華絵は駅前のラーメン屋でのアルバイト帰りに被害に遭ったようだ。バイトには普段から徒歩で来ていたというバイト先の人間の証言が得られている。通報時刻は午後十時四十分頃。現場近くの家に住む大学生が第一発見者だ。道の真ん中で血を流して倒れていたためひき逃げに遭ったのではないかと思ったらしい。警察と救急隊員が駆け付けた時にはすでに息を引き取っていたそうだ」

 傑の話と紗友が今朝拾い伝えてくれた情報との間に大きな誤差はないようだ。一度美由紀の殺害現場へ足を運んでいた詠斗は、花屋に寄った際に確かラーメン屋の前を通ったな、と記憶を遡った。おそらく猪狩華絵がアルバイトをしていたというのはそのラーメン屋のことなのだろう。

 傑はノートを片手に話を続ける。

「頭部に大きな損傷が見られ、死因は外傷性ショック死と推定。頭の傷以外には目立った外傷はなかったためひき逃げの可能性は極めて低く、背後から何者かに殴打されたと見て捜査を進めている」

「背後から? 雨が降っていたのに?」

 傑の向かい側から、詠斗はすかさず疑問を投げかける。
「事件当時、すでに雨は上がっていた。被害者の持ち物である傘が現場に残されていたが、閉じられた状態で発見されている。被害者のバイト先の同僚の話によると、被害者がバイト先を出たのは午後十時を少し過ぎた頃で、店を出る前にその同僚と雨が上がっていることを確認し合う会話を交わしたそうだ」

 そういえば、紗友が話を聞いたという友人も「雨が上がっていたので様子を見に外へ出た」と言っていたことを思い出す。

「有力な目撃情報は今のところなし。二人目の仲田翼殺しの重要参考人と思われていた神宮司隆裕は猪狩華絵殺害当時家にいたと言うが、体調不良のため二階の自室で寝ていたというから確実なアリバイがあるわけじゃない」

「学校には昨日から来てないって聞いたぞ?」

 そう詠斗の隣で巧が情報を付け加えた。紗友は傑の隣でA4のコピー用紙にメモを取り、適宜詠斗に見せながら話に耳を傾けていた。
「やっぱりアイツが犯人なんじゃね?」

「けど、神宮司には仲田先輩が殺された時に完璧なアリバイがあるんだぞ?」

 詠斗がすぐさま指摘する。

「それに、神宮司にあるのは仲田先輩殺害に関する動機だけだ。美由紀先輩や猪狩華絵が殺された理由はどう説明する?」

 うーん、と巧は腕組みをして顔をしかめた。

「……実は翼くんが死んだ時間が警察の見立てと違ってた、ってのはどうだ?」

「まったくあり得ない話ではないな」

 そう傑が手を挙げて発言する。
「確かに死体の温度を調節して死亡推定時刻を狂わせる方法は存在する。遺体を温めて体温を上げれば死亡推定時刻は遅れるし、逆に冷やせば早まる。しかし、もしも神宮司隆裕がそのようなアリバイ工作を施したのだとしたら、他の二人にも同じ方法を用いて自らのアリバイを立証しようと画策するのが普通だろう。もちろん、神宮司が本当に犯人で、今回起こった三件の殺人すべてに関わっていたのだとしたらの話だが」

 確かに、と詠斗は思った。

 仲田翼に対してそこまで計画的に事を為しているのなら、美由紀の時と猪狩華絵の時とにアリバイがないというのはむしろ怪しくさえ見えてくる。これではいくらアリバイがあるとはいえ自分から疑われるような状況を生み出していると言っても過言ではない。

 それに、まだ単独犯と決まったわけではない。

 一人目の美由紀が殺されてから一週間が経って仲田翼は殺された。美由紀の事件とは別の犯人――たとえば動機のある神宮司隆裕が、美由紀の事件に便乗して仲田翼を何らかの方法で殺害したとも考えられる。猪狩華絵殺害事件についても同様だ。三件すべてが別の犯人の仕業であるという可能性を完全には捨てきれない。

「工作といえばさー」

 ペンを握ったままそっと手を挙げた紗友が、自信のなさそうな顔で言う。

「美由紀先輩の時は階段から落ちたっていう事故死に見せかけようとしてたじゃない? でも、華絵は美由紀先輩と同じように殴り殺されたのに遺体はその場に放置されてたんでしょ? どうして美由紀先輩の時だけ事故に見せかけようとしたんだろ……?」

「×××××ってことじゃねぇのか?」

「え、何?」

 突然口を開いた巧に詠斗が眉を寄せると、巧は改めて詠斗のほうを向いて言い直した。

「それだけ心に余裕があったんじゃねぇかって思ったんだよ」

「余裕?……いや、それはむしろ逆だと思う」

「逆?」

 詠斗の意見に、今度は巧が眉をひそめた。
「こんな言い方はしたくないけど、殺人だって回数をこなせば多少なりとも慣れてくるものだと思うんだ。そう考えると、一人目である美由紀先輩の時に立派な工作をしておいて、三人目の猪狩華絵の時には何の細工も施さないってのはちょっと腑に落ちない。仮に三件の殺人が同一犯によるものだとしたら、三人目ともなれば一人目の時よりも上手くやれるはずだっていう自信が芽生えていたっておかしくないだろ?」

「詠斗の言う通りだ」

 傑は頷きながら詠斗に同意を与えた。

「連続殺人犯によくある傾向であるのと同時に、その余裕がケアレスミスを生むことも多い。思わぬところから犯人の尻尾が掴めるかもしれないな。……ところで、詠斗」
 ん? と詠斗は小首を傾げた。

「その後、どうだ? 羽場美由紀の霊からは何か聞き出せたか?」
「あぁ、えっと……」

 ちょうどいいタイミングだと思い、詠斗は紗友からペンを受け取ってすべての事象を整理してみることにした。

「美由紀先輩と仲田先輩の間に接点はなし。でも、猪狩華絵とは幼馴染のような間柄だった。神宮司隆裕については名前も聞いたことがないらしい。実際に神宮司を先輩に会わせて犯人かどうか確認してもらおうと思ったんだけど、神宮司は学校を休んでて会えなかった」

 名前の隣に矢印や×印をつけ、なるべくわかりやすく相関図を作成していく。

「美由紀先輩は毎週火曜・水曜・木曜に塾へ通っていて、殺された裏路地をいつも通学に利用していた。で、実際四月三日の水曜日に被害に遭っている。通り魔的犯行ではなく最初から美由紀先輩を狙った犯行だとしたら、犯人はあらかじめ先輩の行動パターンを把握した上で事に及んだと考えて……」

 そう言いかけて、詠斗はふと思い立ったように顔を上げた。

「……仲田先輩、どうして現場の竹林に行ったんだろう?」