「ありがとう、菜乃華。いきなりの話にもかかわらず、そこまで真剣に考えてくれたこと、店員としてうれしく思う。……ただ、結論を出すのはもう少し待ってくれ。私も、少し君のことを脅かし過ぎた」
「どういうこと?」
「私は先程、神田堂の仕事を『町医者』と言ったが、それを深刻に捉え過ぎる必要はないということだ。一応言っておくが、サエだって完全に素人の状態で神田堂を始めたのだぞ」
首を傾げた菜乃華に向かって、瑞葉は少し困ったように笑う。
「ここに持ち込まれる修復のほとんどは、破れたページを直すといった軽いものだ。練習すればすぐできるようになるし、大きな失敗をするリスクはほぼない。やって来る付喪神たちも、大抵は『擦りむいたから絆創膏をもらおう』といった調子の者がほとんどだ。『命を預かる』というほど、大げさなものではないと思ってもらってよい」
「でも、すべてがそういう軽い修復ってわけでもないでしょ。もし付喪神の本が、わたしの手に負えないような壊れ方をしていたら?」
「万が一、我々の手に余りそうな修復の依頼が来たなら、ここでできる応急処置だけを行えばよい。そして、本格的な修復は|高天原(たかまがはら)――神の国にいるより高位の神に任せる。高天原への門が年に二度しか開かないのが難点だが、応急処置ができていればほとんどの付喪神は持ち堪えられる」
「それにな、嬢ちゃん。今の話を聞いたら、付喪神たちだって嬢ちゃんに直してもらうのを嫌だとは思わないはずだぜ」
瑞葉の後を受けるように声を発したのは、蔡倫だ。彼はそのまま菜乃華に向かって、「だってよ」と言葉を続ける。
「嬢ちゃんは今、オイラたちにとって何が幸せか、真剣に考えてくれた。そんな優しい子が本を修理してくれたなら、傷にもよく効きそうじゃないか。こんな特効薬、きっと他にないさ」
オイラはどこぞのお偉い神様より優しい嬢ちゃんに直してもらいたいね、と笑う蔡倫に、瑞葉も「そうだな」と同意を示す。
安心しろ。今の気持ちを忘れなければ、お前が心配するような『もしも』の事態は起こらない。
瑞葉と蔡倫は、菜乃華にそう伝えようとしてくれているのだ。
二人の心遣いに、菜乃華の心は傾いていく。『やってみたい!』という、自分の素直な気持ちを表してもいいのでは、と思えてくる。
すると瑞葉が、菜乃華の気持ちを後押しするように、こう言い添えた。
「それと、君の『専門の職人に直してもらう』という意見だがな、残念ながら無理なのだ。この仕事は、現在の|葦原中国(あしわらのなかつくに)――この人の世において君にしか頼めない」
「わたしにしか? そういえば、お父さんもそんなこと言っていたけど、なんでわたしだけなの? 本を直すだけなら、わたし以外にもできるはずでしょ」
最後の質問とばかりに、瑞葉へ問い掛ける。
それこそ神田堂の店員である瑞葉なら、本を直すことくらい朝飯前にできるだろう。
では、菜乃華にこだわる理由とは何か。祖母と瑞葉は、菜乃華に何を期待しているのか。
その種明かしをするように、瑞葉は「いいや、無理だ」と呟いた。
「私を含め、ほとんどの者は付喪神が宿った品物を直すことはできない。仮に修復しても、付喪神の怪我は治らないし、品物はすぐ壊れた姿に戻ってしまう。本の付喪神に限って言えば、本体を直せるのは先程言った高天原にいる高位の神、そして君だけだ」
瑞葉曰く、葦原中国には『着物の付喪神の直し手』『時計の付喪神の直し手』というように、各品物の付喪神に対応した修復の力を持つ者が一人ずついるとのことだった。そのほとんどは人の世に暮らす神であるそうだが、『本の付喪神の直し手』は神田家の女性となっているらしい。
なお、本来一人であるはずの直し手が先日まで同時に二人いたこと、家系で引き継がれていることは、相当イレギュラーなケースとのことだ。
ともあれ、父が言っていた『祖母と菜乃華だけが持つ不思議な力』とは、このことだろう。それはわかったが、当然ながら疑問は残る。
「なんで、わたしやお祖母ちゃんに、そんな力が……」
「残念ながら、理由は私にもよくわからない」
瑞葉が首を振り、その隣では蔡倫が肩を竦めている。
「ただ、サエが『本の付喪神を修復する力』の担い手があり、その力を君だけが受け継いだ。それは、純然たる事実だ。元々は君の実家の神社で祀っている土地神がこの『本の付喪神の修復』の力を持っていたから、それに関係していると思うのだが……」
「まあ、細かいことは気にしなさんな。別にそいつは、嬢ちゃんが生きていく上で害になるような力じゃないんだ。生まれ持った個性の一つくらいに考えておけばいいんじゃないか?」
真摯に自身の考察を語る瑞葉の横で、蔡倫が気楽な声を上げた。ポジティブというか、のんきというか……。真面目な瑞葉は、けけけ、と笑う蔡倫を呆れた様子で見つめている。
ただ、菜乃華としては蔡倫の考え方も嫌いじゃない。力を持つことが事実である以上、うだうだと考えたって何かが変わるものでもない。ならば、持って生まれた力で何をするか考える方が、より建設的だ。
「菜乃華」
不意に名前を呼ばれ、声の主である瑞葉の方を向く。
いつの間にか瑞葉は正座のまま背筋を伸ばし、菜乃華を見つめていた。瑞葉の澄んだ蒼い瞳を前に、菜乃華の心臓がまたもや高鳴る。
「修復を行う時は、もちろん私も手伝う。それに、客がいない時は、修復の技を教えよう。だから、神田堂の店主を引き受けてくれないだろうか?」
頼む、と瑞葉が畳に手をついて頭を下げた。
見れば、蔡倫も瑞葉の後ろで楽しそうに笑っている。おそらく、ウェルカムということなのだろう。
対して、返事を求められた菜乃華の答えは、すでに決まっていた。
「――喜んで!」
床に伏せた瑞葉に向かって、満面の笑顔を向ける。
元々、祖母からの手紙を見た段階で、菜乃華の答えは出ていたのだ。仕事内容を聞いて、自分の気持ちは控えた方が良いかと思ったが、その心配もないと言ってもらえた。
いや、それどころか、これは菜乃華にしかできない仕事だ。だったら、今の菜乃華に断るという選択肢は存在しない。
「わたし、本を直すのは初心者だけど、精一杯頑張るから。これから色々教えてね、瑞葉!」
「任せておけ。それと――ようこそ、神田堂へ!」
自分の胸に手を当て、菜乃華が所信表明するように言葉を紡いでいく。
そして菜乃華の決心に、瑞葉も満面の笑みを持って応えるのだった。
「どういうこと?」
「私は先程、神田堂の仕事を『町医者』と言ったが、それを深刻に捉え過ぎる必要はないということだ。一応言っておくが、サエだって完全に素人の状態で神田堂を始めたのだぞ」
首を傾げた菜乃華に向かって、瑞葉は少し困ったように笑う。
「ここに持ち込まれる修復のほとんどは、破れたページを直すといった軽いものだ。練習すればすぐできるようになるし、大きな失敗をするリスクはほぼない。やって来る付喪神たちも、大抵は『擦りむいたから絆創膏をもらおう』といった調子の者がほとんどだ。『命を預かる』というほど、大げさなものではないと思ってもらってよい」
「でも、すべてがそういう軽い修復ってわけでもないでしょ。もし付喪神の本が、わたしの手に負えないような壊れ方をしていたら?」
「万が一、我々の手に余りそうな修復の依頼が来たなら、ここでできる応急処置だけを行えばよい。そして、本格的な修復は|高天原(たかまがはら)――神の国にいるより高位の神に任せる。高天原への門が年に二度しか開かないのが難点だが、応急処置ができていればほとんどの付喪神は持ち堪えられる」
「それにな、嬢ちゃん。今の話を聞いたら、付喪神たちだって嬢ちゃんに直してもらうのを嫌だとは思わないはずだぜ」
瑞葉の後を受けるように声を発したのは、蔡倫だ。彼はそのまま菜乃華に向かって、「だってよ」と言葉を続ける。
「嬢ちゃんは今、オイラたちにとって何が幸せか、真剣に考えてくれた。そんな優しい子が本を修理してくれたなら、傷にもよく効きそうじゃないか。こんな特効薬、きっと他にないさ」
オイラはどこぞのお偉い神様より優しい嬢ちゃんに直してもらいたいね、と笑う蔡倫に、瑞葉も「そうだな」と同意を示す。
安心しろ。今の気持ちを忘れなければ、お前が心配するような『もしも』の事態は起こらない。
瑞葉と蔡倫は、菜乃華にそう伝えようとしてくれているのだ。
二人の心遣いに、菜乃華の心は傾いていく。『やってみたい!』という、自分の素直な気持ちを表してもいいのでは、と思えてくる。
すると瑞葉が、菜乃華の気持ちを後押しするように、こう言い添えた。
「それと、君の『専門の職人に直してもらう』という意見だがな、残念ながら無理なのだ。この仕事は、現在の|葦原中国(あしわらのなかつくに)――この人の世において君にしか頼めない」
「わたしにしか? そういえば、お父さんもそんなこと言っていたけど、なんでわたしだけなの? 本を直すだけなら、わたし以外にもできるはずでしょ」
最後の質問とばかりに、瑞葉へ問い掛ける。
それこそ神田堂の店員である瑞葉なら、本を直すことくらい朝飯前にできるだろう。
では、菜乃華にこだわる理由とは何か。祖母と瑞葉は、菜乃華に何を期待しているのか。
その種明かしをするように、瑞葉は「いいや、無理だ」と呟いた。
「私を含め、ほとんどの者は付喪神が宿った品物を直すことはできない。仮に修復しても、付喪神の怪我は治らないし、品物はすぐ壊れた姿に戻ってしまう。本の付喪神に限って言えば、本体を直せるのは先程言った高天原にいる高位の神、そして君だけだ」
瑞葉曰く、葦原中国には『着物の付喪神の直し手』『時計の付喪神の直し手』というように、各品物の付喪神に対応した修復の力を持つ者が一人ずついるとのことだった。そのほとんどは人の世に暮らす神であるそうだが、『本の付喪神の直し手』は神田家の女性となっているらしい。
なお、本来一人であるはずの直し手が先日まで同時に二人いたこと、家系で引き継がれていることは、相当イレギュラーなケースとのことだ。
ともあれ、父が言っていた『祖母と菜乃華だけが持つ不思議な力』とは、このことだろう。それはわかったが、当然ながら疑問は残る。
「なんで、わたしやお祖母ちゃんに、そんな力が……」
「残念ながら、理由は私にもよくわからない」
瑞葉が首を振り、その隣では蔡倫が肩を竦めている。
「ただ、サエが『本の付喪神を修復する力』の担い手があり、その力を君だけが受け継いだ。それは、純然たる事実だ。元々は君の実家の神社で祀っている土地神がこの『本の付喪神の修復』の力を持っていたから、それに関係していると思うのだが……」
「まあ、細かいことは気にしなさんな。別にそいつは、嬢ちゃんが生きていく上で害になるような力じゃないんだ。生まれ持った個性の一つくらいに考えておけばいいんじゃないか?」
真摯に自身の考察を語る瑞葉の横で、蔡倫が気楽な声を上げた。ポジティブというか、のんきというか……。真面目な瑞葉は、けけけ、と笑う蔡倫を呆れた様子で見つめている。
ただ、菜乃華としては蔡倫の考え方も嫌いじゃない。力を持つことが事実である以上、うだうだと考えたって何かが変わるものでもない。ならば、持って生まれた力で何をするか考える方が、より建設的だ。
「菜乃華」
不意に名前を呼ばれ、声の主である瑞葉の方を向く。
いつの間にか瑞葉は正座のまま背筋を伸ばし、菜乃華を見つめていた。瑞葉の澄んだ蒼い瞳を前に、菜乃華の心臓がまたもや高鳴る。
「修復を行う時は、もちろん私も手伝う。それに、客がいない時は、修復の技を教えよう。だから、神田堂の店主を引き受けてくれないだろうか?」
頼む、と瑞葉が畳に手をついて頭を下げた。
見れば、蔡倫も瑞葉の後ろで楽しそうに笑っている。おそらく、ウェルカムということなのだろう。
対して、返事を求められた菜乃華の答えは、すでに決まっていた。
「――喜んで!」
床に伏せた瑞葉に向かって、満面の笑顔を向ける。
元々、祖母からの手紙を見た段階で、菜乃華の答えは出ていたのだ。仕事内容を聞いて、自分の気持ちは控えた方が良いかと思ったが、その心配もないと言ってもらえた。
いや、それどころか、これは菜乃華にしかできない仕事だ。だったら、今の菜乃華に断るという選択肢は存在しない。
「わたし、本を直すのは初心者だけど、精一杯頑張るから。これから色々教えてね、瑞葉!」
「任せておけ。それと――ようこそ、神田堂へ!」
自分の胸に手を当て、菜乃華が所信表明するように言葉を紡いでいく。
そして菜乃華の決心に、瑞葉も満面の笑みを持って応えるのだった。