「恥ずかしい話だが、サエに真っ先に救ってもらったのは、実のところ私だったのかもしれないな。彼女の笑顔で、当時の私がどれだけ心休まったことか……」
そう言う瑞葉の表情は、本当に心穏やかなものだった。
菜乃華は思う。当時の瑞葉は、それだけ祖母の存在に助けられたということだろう。
もっとも、そんな安らいだ面持ちの瑞葉の口から別の女性のことを語られるのは、菜乃華としても少し面白くない。相手が祖母とはいえ……いや、大好きな祖母だからこそ、強くジェラシーを感じてしまうのだ。
なぜなら、祖母がどれだけ素敵な人であったかは、孫である菜乃華自身が一番よくわかっていることだから。
「それで、お祖母ちゃんに協力を得られた後はどうなったの?」
「サエは本の修復について素人だったので、私が指示をしながら本の応急手当だけしてもらった。予感はあったが、実際に本が直っていく様を見た時は驚いたものだ」
当時の驚きを思い出したのか、瑞葉が懐かしそうに目を細める。神の御業を人間が再現してしまったのだから、それはもう当の神様も驚愕の奇跡だったのだろう。
なお、応急処置を受けた件の付喪神は、ひとまず一命と取り留めたらしい。その後、高天原の門が開いた際に向こうで本格的な修復を受け、無事に全快したそうだ。
「――以上が私とサエの出会い、そして私の未熟さが招いた事件の顛末だ」
過去語りを一度区切り、瑞葉が菜乃華の様子を窺う。
瑞葉の表情は、いつもと変わらない。だが、纏っている雰囲気からは、若干だが不安のようなものが感じられた。
「どうだろうか、菜乃華。やはり、君を落胆させてしまっただろうか」
「うーん、そうだね……。とりあえず、昔の瑞葉って怖かったんだな、とは思ったかな」
「……そうか」
菜乃華の率直な感想に、瑞葉はどこか弱々しい笑みを浮かべた。菜乃華の「怖い」発言が、相当効いたようだ。
「でも、軽蔑や落胆はしてないよ。だって、私が好きになったのは、今の瑞葉だもん。そういう失敗を反省して、優しい神様になった瑞葉だから、私は好きになったんだよ」
「菜乃華……」
菜乃華が続けて掛けた言葉に、瑞葉が安堵の表情を見せた。瑞葉が自分の言葉に一喜一憂してくれる様は、うれしいを軽く通り越して愛おしく思える。状況的に不謹慎かもしれないが、惚れ直してしまいそうだ。
そんな二人だけの世界に入った菜乃華と瑞葉を、蔡倫が「冬なのに熱いったらありゃしない」とこれ見よがしにからかった。
ちなみに、菜乃華も自身の意見が瑞葉贔屓の甘い裁定だということは自覚している。それを意識できなくなってしまうほど、菜乃華も恋愛脳に支配されてはいない。
ただ、聞いた限り相手の付喪神にも非があったことは確かなわけだし、そこは喧嘩両成敗ということで収めてもらいたい。だって瑞葉、掴み掛ってきたところを避けただけみたいだし。……と、そこまで考えたところで、自分がいつの間にか瑞葉を擁護していることに気付き、菜乃華は内心で苦笑した。恋愛脳、恐るべし。
「ところでさ、相手の付喪神さんって、今はどうしているの? もしかして、今も瑞葉と喧嘩別れしたままなの?」
「いや、仲違いしたままというわけでは……」
「ああ、それなら安心してください。きちんと仲直りして、今も元気に暮らしていますよ」
不意に、思いもしない方向から声が上がった。全員の視線が、珍しくずっと静かだったその人物に注がれる。
すると、件の人物――柊がひょいっと手を上げながら衝撃の事実を明かした。
「だってその付喪神、僕ですもん」
「……はい?」
突然のカミングアウトに、菜乃華が思わず素っ頓狂な声を上げた。それをどう勘違いしたのか、柊は「いや~」と照れた様子で頬を掻き、瑞葉の昔語りに捕捉を入れ始めた。
柊曰く、当時の彼は神力に目覚めたばかりで少々浮かれ気味だったらしい。それで毎日のように近所の子供たちを集め、盛大に神力を披露して自慢していたところ、瑞葉に見つかって騒ぎになったとのことだった。
柊の口から、次々と明かされる仰天の真実に、菜乃華は開いた口が塞がらなくなった。
「それにしても、瑞葉さんがまだあの時のことを気にしていたなんて、全然知りませんでしたよ。あの後、瑞葉さんはしっかり子供たちにも謝ってくれましたし、僕はてっきり和解は済んだと思っていました」
「いや、確かに君の許しをもらうことはできたが、教訓として胸に刻むことは重要だろう。私は君に対して、あれほど大きな過ちを犯してしまったわけだし……」
「僕としては、むしろさっさと忘れてほしいですよ。瑞葉さんに避けられた瞬間に石に躓いて崖から転がり落ちたのも、かっこよく着地しようとして本を落としたのも、僕にとっては思い出したくない黒歴史です」
「うん。わたしも、さっさと忘れていいと思う。これを機に、スパッと忘れよう」
腕を組んでむくれる柊の横で、菜乃華も真顔で頷いた。
何なのだ、この茶番は。瑞葉の話を聞いていた時は相手の付喪神もかっこいいと思っていたのに、蓋を開けたらこれか。とんちきな真実がボロボロ出てくる。本当にこの男は、何をやっているのだ。心配して損した。瑞葉も瑞葉で、後ろめたさがあるからか美化し過ぎだ。
そんな菜乃華の心情を余所に、柊はさらに墓穴を掘っていく。
「あとですね、瑞葉さん、今のはちょっと卑怯ですよ。あの事件をこんな風に語って、菜乃華さんの好感度を伸ばしにかかるなんて……」
「いや、私は本気で菜乃華に軽蔑されることを覚悟して……。決して同情を引こうなどとは考えていない」
「でしょうね。瑞葉さんの性格は、僕もよく知っていますから。でも、ずるいものはずるいです。こんなことなら、僕が先にやっておけばよかった!」
「ごめん、柊さん。今の話を柊さんから聞かせられてたら、たぶんわたし、ドン引きしてたと思う」
半眼のジト目で、柊を睨む。この男は、そんなお調子者の失敗談で自分がなびくと本気で思っているのだろうか。
「まあいいや。なんかぐだぐだになってきたし、話を戻そっか。それで、お祖母ちゃんと出会ってからはどうなったの?」
「ん? ああ、そこからは割と単純だ。先程語った一件をきっかけとして、私はサエと親交を持つようになった。そしてある時、ふとサエが私に『付喪神のための町医者をやりたい』と言い始めたのだ――」
そう言う瑞葉の表情は、本当に心穏やかなものだった。
菜乃華は思う。当時の瑞葉は、それだけ祖母の存在に助けられたということだろう。
もっとも、そんな安らいだ面持ちの瑞葉の口から別の女性のことを語られるのは、菜乃華としても少し面白くない。相手が祖母とはいえ……いや、大好きな祖母だからこそ、強くジェラシーを感じてしまうのだ。
なぜなら、祖母がどれだけ素敵な人であったかは、孫である菜乃華自身が一番よくわかっていることだから。
「それで、お祖母ちゃんに協力を得られた後はどうなったの?」
「サエは本の修復について素人だったので、私が指示をしながら本の応急手当だけしてもらった。予感はあったが、実際に本が直っていく様を見た時は驚いたものだ」
当時の驚きを思い出したのか、瑞葉が懐かしそうに目を細める。神の御業を人間が再現してしまったのだから、それはもう当の神様も驚愕の奇跡だったのだろう。
なお、応急処置を受けた件の付喪神は、ひとまず一命と取り留めたらしい。その後、高天原の門が開いた際に向こうで本格的な修復を受け、無事に全快したそうだ。
「――以上が私とサエの出会い、そして私の未熟さが招いた事件の顛末だ」
過去語りを一度区切り、瑞葉が菜乃華の様子を窺う。
瑞葉の表情は、いつもと変わらない。だが、纏っている雰囲気からは、若干だが不安のようなものが感じられた。
「どうだろうか、菜乃華。やはり、君を落胆させてしまっただろうか」
「うーん、そうだね……。とりあえず、昔の瑞葉って怖かったんだな、とは思ったかな」
「……そうか」
菜乃華の率直な感想に、瑞葉はどこか弱々しい笑みを浮かべた。菜乃華の「怖い」発言が、相当効いたようだ。
「でも、軽蔑や落胆はしてないよ。だって、私が好きになったのは、今の瑞葉だもん。そういう失敗を反省して、優しい神様になった瑞葉だから、私は好きになったんだよ」
「菜乃華……」
菜乃華が続けて掛けた言葉に、瑞葉が安堵の表情を見せた。瑞葉が自分の言葉に一喜一憂してくれる様は、うれしいを軽く通り越して愛おしく思える。状況的に不謹慎かもしれないが、惚れ直してしまいそうだ。
そんな二人だけの世界に入った菜乃華と瑞葉を、蔡倫が「冬なのに熱いったらありゃしない」とこれ見よがしにからかった。
ちなみに、菜乃華も自身の意見が瑞葉贔屓の甘い裁定だということは自覚している。それを意識できなくなってしまうほど、菜乃華も恋愛脳に支配されてはいない。
ただ、聞いた限り相手の付喪神にも非があったことは確かなわけだし、そこは喧嘩両成敗ということで収めてもらいたい。だって瑞葉、掴み掛ってきたところを避けただけみたいだし。……と、そこまで考えたところで、自分がいつの間にか瑞葉を擁護していることに気付き、菜乃華は内心で苦笑した。恋愛脳、恐るべし。
「ところでさ、相手の付喪神さんって、今はどうしているの? もしかして、今も瑞葉と喧嘩別れしたままなの?」
「いや、仲違いしたままというわけでは……」
「ああ、それなら安心してください。きちんと仲直りして、今も元気に暮らしていますよ」
不意に、思いもしない方向から声が上がった。全員の視線が、珍しくずっと静かだったその人物に注がれる。
すると、件の人物――柊がひょいっと手を上げながら衝撃の事実を明かした。
「だってその付喪神、僕ですもん」
「……はい?」
突然のカミングアウトに、菜乃華が思わず素っ頓狂な声を上げた。それをどう勘違いしたのか、柊は「いや~」と照れた様子で頬を掻き、瑞葉の昔語りに捕捉を入れ始めた。
柊曰く、当時の彼は神力に目覚めたばかりで少々浮かれ気味だったらしい。それで毎日のように近所の子供たちを集め、盛大に神力を披露して自慢していたところ、瑞葉に見つかって騒ぎになったとのことだった。
柊の口から、次々と明かされる仰天の真実に、菜乃華は開いた口が塞がらなくなった。
「それにしても、瑞葉さんがまだあの時のことを気にしていたなんて、全然知りませんでしたよ。あの後、瑞葉さんはしっかり子供たちにも謝ってくれましたし、僕はてっきり和解は済んだと思っていました」
「いや、確かに君の許しをもらうことはできたが、教訓として胸に刻むことは重要だろう。私は君に対して、あれほど大きな過ちを犯してしまったわけだし……」
「僕としては、むしろさっさと忘れてほしいですよ。瑞葉さんに避けられた瞬間に石に躓いて崖から転がり落ちたのも、かっこよく着地しようとして本を落としたのも、僕にとっては思い出したくない黒歴史です」
「うん。わたしも、さっさと忘れていいと思う。これを機に、スパッと忘れよう」
腕を組んでむくれる柊の横で、菜乃華も真顔で頷いた。
何なのだ、この茶番は。瑞葉の話を聞いていた時は相手の付喪神もかっこいいと思っていたのに、蓋を開けたらこれか。とんちきな真実がボロボロ出てくる。本当にこの男は、何をやっているのだ。心配して損した。瑞葉も瑞葉で、後ろめたさがあるからか美化し過ぎだ。
そんな菜乃華の心情を余所に、柊はさらに墓穴を掘っていく。
「あとですね、瑞葉さん、今のはちょっと卑怯ですよ。あの事件をこんな風に語って、菜乃華さんの好感度を伸ばしにかかるなんて……」
「いや、私は本気で菜乃華に軽蔑されることを覚悟して……。決して同情を引こうなどとは考えていない」
「でしょうね。瑞葉さんの性格は、僕もよく知っていますから。でも、ずるいものはずるいです。こんなことなら、僕が先にやっておけばよかった!」
「ごめん、柊さん。今の話を柊さんから聞かせられてたら、たぶんわたし、ドン引きしてたと思う」
半眼のジト目で、柊を睨む。この男は、そんなお調子者の失敗談で自分がなびくと本気で思っているのだろうか。
「まあいいや。なんかぐだぐだになってきたし、話を戻そっか。それで、お祖母ちゃんと出会ってからはどうなったの?」
「ん? ああ、そこからは割と単純だ。先程語った一件をきっかけとして、私はサエと親交を持つようになった。そしてある時、ふとサエが私に『付喪神のための町医者をやりたい』と言い始めたのだ――」