「ねえ、瑞葉。せっかく時間もあるんだしさ、昔の話を聞かせてよ」
「昔の話?」
瑞葉が首を傾げる。
すると、背筋を伸ばした菜乃華が、「うん、そう!」と勢い良く頷いた。
「瑞葉はさ、どうしてこの店の店員をすることになったの? というか、どうやってお祖母ちゃんと出会ったの? あと、この店ってどうやってできたの?」
菜乃華の口から飛び出したのは、ずっと前から気になっていた疑問の数々だ。何となく訊きそびれていたけれど、実はすごく気になっていた質問の山を、菜乃華は矢継ぎ早に瑞葉へぶつけた。
「なんだ、いきなり。そんなこと聞いてどうする」
一方、いきなり色々と訊かれた瑞葉は面食らった様子だ。人形のように整った顔に、困ったような表情を浮かべた。菜乃華に告白して以来、瑞葉はより一層表情が豊かになったと思う。
「別に理由なんかないよ。ただ、前から気になっていただけ」
興味津々といった面持ちで、瑞葉に答える。好きな人が歩んできた、自分にもつながる過去なのだ。理由がなくても知りたいに決まっている。
そして、菜乃華に行動に乗っかる者が、ここにはもう一人いた。蔡倫だ。
「そいつは、オイラも気になるねぇ。お前さん、オイラが日本中を行脚している間に、気付いたらここの店員になっていたもんな。瑞葉、ちょっくらそこら辺の経緯(いきさつ)ってやつを聞かせてくれや」
蔡倫は、にやにやと楽しむように瑞葉を見る。
菜乃華と蔡倫によって卓袱台の両脇から見つめられ、瑞葉が無言のまま目を剥いた。間髪入れない蔡倫の援護射撃は、かなりの効果があったらしい。
この機を逃すまいと、菜乃華もすぐさま次の行動に出る。
「ねえ、瑞葉。わたしは神田堂の店主だよね。このお店の一番偉いんだよね!」
「ああ、そうだが……」
「だったら、わたしにはお店の歴史を聞く権利はあるんじゃないのかな? だって、お店で一番偉い人がお店の来歴を何も知らないって、やっぱり変でしょ」
「いや、確かにそうかもしれないが……」
神田堂の店主という立場を利用した第二撃だ。瑞葉は真面目な店員故、この手の理由を持ち出されると弱いことを菜乃華は知っていた。実際、普段は理路整然と駄目なことは駄目と言う瑞葉が、今は逡巡している。
ここが決め所だ。菜乃華は、切り札を使う。
「お願い! 教えて、瑞葉」
両手を合わせ、拝むように瑞葉を見つめる。
最後はド直球に頼み込む。これが切り札だ。
菜乃華からここまで頼まれたら、瑞葉は断らないと思う。というか、断らないでほしい。
なお、逆の立場なら菜乃華は確実にここで折れる。瑞葉から頼み込まれたら、断り切れない。というか、力の限り頑張って応える。
「……わかった。確かに、ちょうど良い機会ではあるしな。私の過去の所業を含め、いつか語らねばならないものであるし、私も腹をくくろう」
そして瑞葉も深く息をつきながら、ここで降参してくれた。瑞葉の返答内容が少し妙な感じだったが、以心伝心、愛の力の勝利である。
ちなみに、これで断られていたら……たぶん、かなり悲しかっただろう。相変わらず面倒くさい上に重たい女だ、と自分で思うが……。ともあれ、勝手に落ち込んで勝手に泣くという失態を犯さずに済んで良かった。
「そうこなくっちゃな。んじゃ、サクッと聞かせてもらおうか。お前さんの恥ずかしい過去話ってやつをな」
「自戒すべきことだらけだとは思っているが、恥かしいとは言っていない。ふざけたことを抜かしていると、店からたたき出すぞ、蔡倫」
にたにたと笑う蔡倫へ、瑞葉が鋭い眼光を向ける。
けれど、蔡倫はそんな眼光一つで怖気づくほどやわではない。むしろ、さらに笑みを深めるばかりだ。瑞葉も不毛な行為だと感じたのか、すぐに嘆息して、一度お茶をすすった。
「まあ、正直に言って少しも面白い話でもないのだがな。とりあえず、サエとの出会いを語る前に、前提となる話をしておこうか。私と九重の土地神の出会いについてだ」
湯飲みを卓袱台に置いた瑞葉は、何の気ない様子で過去を語り始めた。
「あれは、もう三百年くらい昔の話だ。当時、私はとある事故で自分の本を破損してしまってな。大怪我を負った私は、偶然、九重の土地神に拾われたのだ」
瑞葉の視線が、過去を思い出すように宙を彷徨う。
彼の言によると、九重の土地神は傷ついた瑞葉を見つけるや否や、強引に彼を九ノ重神社――当時は小さな祠だったらしい――へ連れ帰ったらしい。そして、神の御業で瞬く間に瑞葉の本体を直してしまったそうだ。
「三百年前の私は、まだ付喪神になりたてでな。助けてもらったことに感謝しつつも、強引に連れ帰られたことに反感を覚えて、随分と無礼な振る舞いをしてしまった。以来、申し訳なさが先に立って、この地に立ち寄ることはできなかった」
今でも申し訳ないと思っているのか、瑞葉が肩を落とす。
「ふーん。瑞葉にも、思春期みたいな時代があったんだね」
瑞葉の肩を落とす様が可愛くて、悪いとは思いつつも、菜乃華はくすくすと笑ってしまった。同時に、はねっ返っている頃の瑞葉を見たことある気がしたが、そんなはずはないと頭から打ち消した。
「今の言葉で表すなら、私の黒歴史といったところだ。何はともあれ、この出来事があって、私は九重の土地神のことを知ったわけだ」
菜乃華に同調するように、瑞葉もおどけた様子で続ける。菜乃華としては、瑞葉が『黒歴史』なんて言葉を使ったことに、失礼ながら少し驚いた。そういう若者言葉みたいなのは、あまり好きではなさそうなイメージだったから。
そんなどこか微笑ましい前提が終わり、ここからはいよいよ祖母と瑞葉の出会いだ。一体どのような出会いだったのかと、胸踊らせて瑞葉が続きを語り出すのを待つ。
ただ、対する瑞葉はそれまでと打って変わり、真剣な面持ちで菜乃華を見据えた。
「さて、ここからが本題になるわけだが……予め言っておく。菜乃華、この話を聞き終わった時、君は私のことを軽蔑するかもしれない」
「軽蔑? どういうこと?」
菜乃華が訝しげな口調で問い返すが、瑞葉は答えない。代わりに彼は目を閉じ、深く息を吸う。まるで、菜乃華から嫌われることがあっても自制心を保てるよう、心の準備をしているようだ。
そして、ゆっくりと目を開いた瑞葉は、改めて菜乃華の疑問に答えるように口を開いた。
「九重の土地神との出会いから時は流れ、五十年前。私はサエと出会った日に、一つの許されざる過ちを犯してしまった」
「許されざる……過ち?」
「……仲間である付喪神の本体を、破壊してしまったのだ」
「え……?」
突然の告白に驚き、菜乃華が息を呑む。
そんな彼女の前で、瑞葉は沈痛な面持ちで自らの罪を告白し始めた――。
「昔の話?」
瑞葉が首を傾げる。
すると、背筋を伸ばした菜乃華が、「うん、そう!」と勢い良く頷いた。
「瑞葉はさ、どうしてこの店の店員をすることになったの? というか、どうやってお祖母ちゃんと出会ったの? あと、この店ってどうやってできたの?」
菜乃華の口から飛び出したのは、ずっと前から気になっていた疑問の数々だ。何となく訊きそびれていたけれど、実はすごく気になっていた質問の山を、菜乃華は矢継ぎ早に瑞葉へぶつけた。
「なんだ、いきなり。そんなこと聞いてどうする」
一方、いきなり色々と訊かれた瑞葉は面食らった様子だ。人形のように整った顔に、困ったような表情を浮かべた。菜乃華に告白して以来、瑞葉はより一層表情が豊かになったと思う。
「別に理由なんかないよ。ただ、前から気になっていただけ」
興味津々といった面持ちで、瑞葉に答える。好きな人が歩んできた、自分にもつながる過去なのだ。理由がなくても知りたいに決まっている。
そして、菜乃華に行動に乗っかる者が、ここにはもう一人いた。蔡倫だ。
「そいつは、オイラも気になるねぇ。お前さん、オイラが日本中を行脚している間に、気付いたらここの店員になっていたもんな。瑞葉、ちょっくらそこら辺の経緯(いきさつ)ってやつを聞かせてくれや」
蔡倫は、にやにやと楽しむように瑞葉を見る。
菜乃華と蔡倫によって卓袱台の両脇から見つめられ、瑞葉が無言のまま目を剥いた。間髪入れない蔡倫の援護射撃は、かなりの効果があったらしい。
この機を逃すまいと、菜乃華もすぐさま次の行動に出る。
「ねえ、瑞葉。わたしは神田堂の店主だよね。このお店の一番偉いんだよね!」
「ああ、そうだが……」
「だったら、わたしにはお店の歴史を聞く権利はあるんじゃないのかな? だって、お店で一番偉い人がお店の来歴を何も知らないって、やっぱり変でしょ」
「いや、確かにそうかもしれないが……」
神田堂の店主という立場を利用した第二撃だ。瑞葉は真面目な店員故、この手の理由を持ち出されると弱いことを菜乃華は知っていた。実際、普段は理路整然と駄目なことは駄目と言う瑞葉が、今は逡巡している。
ここが決め所だ。菜乃華は、切り札を使う。
「お願い! 教えて、瑞葉」
両手を合わせ、拝むように瑞葉を見つめる。
最後はド直球に頼み込む。これが切り札だ。
菜乃華からここまで頼まれたら、瑞葉は断らないと思う。というか、断らないでほしい。
なお、逆の立場なら菜乃華は確実にここで折れる。瑞葉から頼み込まれたら、断り切れない。というか、力の限り頑張って応える。
「……わかった。確かに、ちょうど良い機会ではあるしな。私の過去の所業を含め、いつか語らねばならないものであるし、私も腹をくくろう」
そして瑞葉も深く息をつきながら、ここで降参してくれた。瑞葉の返答内容が少し妙な感じだったが、以心伝心、愛の力の勝利である。
ちなみに、これで断られていたら……たぶん、かなり悲しかっただろう。相変わらず面倒くさい上に重たい女だ、と自分で思うが……。ともあれ、勝手に落ち込んで勝手に泣くという失態を犯さずに済んで良かった。
「そうこなくっちゃな。んじゃ、サクッと聞かせてもらおうか。お前さんの恥ずかしい過去話ってやつをな」
「自戒すべきことだらけだとは思っているが、恥かしいとは言っていない。ふざけたことを抜かしていると、店からたたき出すぞ、蔡倫」
にたにたと笑う蔡倫へ、瑞葉が鋭い眼光を向ける。
けれど、蔡倫はそんな眼光一つで怖気づくほどやわではない。むしろ、さらに笑みを深めるばかりだ。瑞葉も不毛な行為だと感じたのか、すぐに嘆息して、一度お茶をすすった。
「まあ、正直に言って少しも面白い話でもないのだがな。とりあえず、サエとの出会いを語る前に、前提となる話をしておこうか。私と九重の土地神の出会いについてだ」
湯飲みを卓袱台に置いた瑞葉は、何の気ない様子で過去を語り始めた。
「あれは、もう三百年くらい昔の話だ。当時、私はとある事故で自分の本を破損してしまってな。大怪我を負った私は、偶然、九重の土地神に拾われたのだ」
瑞葉の視線が、過去を思い出すように宙を彷徨う。
彼の言によると、九重の土地神は傷ついた瑞葉を見つけるや否や、強引に彼を九ノ重神社――当時は小さな祠だったらしい――へ連れ帰ったらしい。そして、神の御業で瞬く間に瑞葉の本体を直してしまったそうだ。
「三百年前の私は、まだ付喪神になりたてでな。助けてもらったことに感謝しつつも、強引に連れ帰られたことに反感を覚えて、随分と無礼な振る舞いをしてしまった。以来、申し訳なさが先に立って、この地に立ち寄ることはできなかった」
今でも申し訳ないと思っているのか、瑞葉が肩を落とす。
「ふーん。瑞葉にも、思春期みたいな時代があったんだね」
瑞葉の肩を落とす様が可愛くて、悪いとは思いつつも、菜乃華はくすくすと笑ってしまった。同時に、はねっ返っている頃の瑞葉を見たことある気がしたが、そんなはずはないと頭から打ち消した。
「今の言葉で表すなら、私の黒歴史といったところだ。何はともあれ、この出来事があって、私は九重の土地神のことを知ったわけだ」
菜乃華に同調するように、瑞葉もおどけた様子で続ける。菜乃華としては、瑞葉が『黒歴史』なんて言葉を使ったことに、失礼ながら少し驚いた。そういう若者言葉みたいなのは、あまり好きではなさそうなイメージだったから。
そんなどこか微笑ましい前提が終わり、ここからはいよいよ祖母と瑞葉の出会いだ。一体どのような出会いだったのかと、胸踊らせて瑞葉が続きを語り出すのを待つ。
ただ、対する瑞葉はそれまでと打って変わり、真剣な面持ちで菜乃華を見据えた。
「さて、ここからが本題になるわけだが……予め言っておく。菜乃華、この話を聞き終わった時、君は私のことを軽蔑するかもしれない」
「軽蔑? どういうこと?」
菜乃華が訝しげな口調で問い返すが、瑞葉は答えない。代わりに彼は目を閉じ、深く息を吸う。まるで、菜乃華から嫌われることがあっても自制心を保てるよう、心の準備をしているようだ。
そして、ゆっくりと目を開いた瑞葉は、改めて菜乃華の疑問に答えるように口を開いた。
「九重の土地神との出会いから時は流れ、五十年前。私はサエと出会った日に、一つの許されざる過ちを犯してしまった」
「許されざる……過ち?」
「……仲間である付喪神の本体を、破壊してしまったのだ」
「え……?」
突然の告白に驚き、菜乃華が息を呑む。
そんな彼女の前で、瑞葉は沈痛な面持ちで自らの罪を告白し始めた――。