「やっと落ちたね。意外と手こずっちゃった」
「ご迷惑おかけしてすみません、菜乃華さん。ほらクシャミ、お前も謝れ」
「な~む」
瑞葉と蔡倫の会話が一段落してしばらくすると、菜乃華たちが川辺から戻って来た。濡れそぼったぬいぐるみみたいになったクシャミは、どこか元気なさげだ。ため息でもつきたそうな顔をしている。そんなクシャミを見て、菜乃華と柊はおかしそうに笑っていた。
「おう、戻ったか。そんじゃあ、そろそろ帰るとするか。もう少しすると、ここら辺は結構冷えてくるし、クシャミが風邪引いちまうぜ」
すでに重箱やごみの片付けを済ませた蔡倫が、菜乃華たちを迎える。
そして、戻ってきたばかりの柊にゴミ袋を渡すと、菜乃華に向かってこう言った。
「嬢ちゃん、オイラたちは先に朧車に戻ってる。悪いが、瑞葉と一緒にレジャーシートを片付けてきてくれ」
「え! それなら僕が一緒に片付けますよ。菜乃華さんと一緒に!」
すぐに柊が手を上げ、立候補する。菜乃華と二人きりになりたいのだろう。
だが、すぐに蔡倫が却下した。
「お前さんは大人しく、オイラと一緒に来い。相棒が風邪引いてもいいのか?」
「そこは蔡倫さんにお任せします。僕は、菜乃華さんと残りたい!」
「素直なのはいいが、お前さんも本当に懲りねえな……。いい加減、負けを認めろ」
「僕の辞書に、『諦め』の二文字はありません」
「はいはい、そうかい。言いたいことはそれだけだな。んじゃ、そろそろ行くぞ」
最後は力づくで、蔡倫が柊を引きずっていく。ぬれねずみ状態のクシャミも、名前の通りくしゃみをしながら、その後ろに続いた。柊はそれでも「菜乃華さーん」と手を伸ばして来るが、菜乃華は苦笑しながら見送った。
柊には悪いが、菜乃華としてもこれは願ったり叶ったりの状況だ。まさか、こんな都合良く瑞葉と二人きりになれるとは思わなかった。短い時間とはいえ、蔡倫に感謝である。
「それじゃあ、レジャーシート片付けちゃおうか。瑞葉、そっちの端、持ってくれる?」
シートの端を持ち上げながら、瑞葉に呼び掛ける。けれど、瑞葉からの返事はない。不思議に思って顔を上げると、瑞葉は何かを考えているような顔で、滝を見ていた。
「瑞葉、どうかしたの?」
「……ん? ああ、すまない。少し上の空になっていた」
「ふーん。瑞葉がぼーっとしているなんて、珍しいね」
きっと風流な景色に見惚れていたのだろう。取り繕う瑞葉がちょっと可愛くて、菜乃華が楽しそうに笑った。
すると、不意に瑞葉が菜乃華の方を向いた。
「なあ、菜乃華。少し話をしたいのだが、良いだろうか」
「どうしたの、改まって。別にいいよ」
心の中で「やった!」とガッツポーズをしながら頷く。折り畳んで二人が並んで座れるサイズにしたレジャーシートをもう一度敷き、瑞葉と並んで座った。
「で、話って何?」
「……以前、君が持つ力について、私が『理由はわからない』と言ったことを覚えているか?」
瑞葉は少し考えるように間を置き、話を切り出してきた。
問われたことについては、よく覚えている。菜乃華が神田堂の店主になった日に聞かされた話だ。確か、九ノ重神社が祀っている土地神と同じ力だとか。
「覚えてるよ。それがどうしたの」
「その理由がな、最近、ようやくわかったのだ」
「へえ、そうなんだ。ねえ、どんな理由なの? よければ聞かせてよ」
菜乃華がせがむと、瑞葉は滝の方を見つめながら、その理由とやらを明かしてくれた。
瑞葉は言う。土地神は人の子と恋に落ち、人としての一生を送った。菜乃華の家系は、土地神に連なった血筋である。そして、土地神と同じ女性の血族にだけ、土地神が持っていた力――本の付喪神を癒す力が宿った、と……。
「つまり、わたしの中には土地神様の血が流れているってことだよね。なんか、ちょっと信じられない……」
話を聞き終え、菜乃華が圧倒されたまま声を漏らす。
それも仕方がないことだと思う。なんたって、自分が神様の血縁と聞かされたのだ。これで驚かない方が、むしろどうかしている。
「でも、どうして理由がわかったの? もしかしてこれも、神力のおかげ?」
驚きのままに、瑞葉にさらなる質問を投げ掛ける。
こうなったらもう、好奇心の虜だ。疑問が次々と湧いてきて、知りたいという気持ちが止められなくなっていく。瑞葉はどうやってこの結論に辿り着いたのか。他にも、自分の血縁についてわかったことはあるのか。いや、それより何より、ご先祖様の恋バナについてわかっていることがあったら、できるだけ細かく教えてもらいたい。それは菜乃華の今後に、とても役立つはずだから。
ただ、瑞葉はなかなか質問に答えてくれない。どうしたのかと思って瑞葉の顔を覗き込めば、珍しいことに逡巡するような表情を見せていた。それに、心なしか頬が少し赤い気がする。こんなこと、初めてだ。何だか見ているこちらまで、胸が高鳴ってくる。
菜乃華がどぎまぎしていると、瑞葉はまっすぐ正面を見つめ、覚悟を決めた様子で口を開いた。
「それは――私が菜乃華に恋をしたから……。九重の土地神とまったく同じ感情を持つことができたから、気付くことができた」
「え……?」
無意識のうちに、疑問の声が喉の奥から漏れ出た。
何を言われたのかわからなかった。何かとても大切で、とてもうれしくて、とても幸せなことを言われた気がする。
頭の中は、真っ白だ。何も考えられない。ただ驚きと、得も言わぬ喜びだけが、心と体を支配している。
すると、疑問の言葉を発したまま黙ってしまった菜乃華を見て、意図がうまく伝わらなかったと思ったのだろう。瑞葉が改めて、菜乃華が求める言葉を口にする。
「すまない、少々遠回しな言い方だっただろうか。平たく言うと、私は君のことが好きなのだ。君のことを……愛している」
懸命で、どこか不器用な瑞葉の声が、再び菜乃華の鼓膜を震わせた。
もう、聞き間違えたということはない。自分は瑞葉に告白された。自分の恋心は、一方通行の報われない片思いではなかったのだ。いつか自分から言わなければならないと思っていたのに、うれしいことにあっさりと先を越されてしまった。
気が付けば、菜乃華の目からは大粒の涙が零れていた。笑っていたいと思うのに、幸せ過ぎて感情がうまくコントロールできない。口元を両手で覆い、子供のようにしゃくりあげてしまう。
「どうした、菜乃華。やはり、私のような者に好かれるのは、迷惑だっただろうか」
菜乃華が突然泣き出したため、瑞葉が見当違いな勘違いをして慌てふためく。瑞葉が取り乱すなんて、相当のことだ。それだけ彼も、いっぱいいっぱいになりながらの告白だったのだろう。普段の泰然自若振りからはほど遠いその姿はどこか微笑ましく、同時にそこまで必死になって告白してくれたことが堪らなくうれしい。
心を落ち着け、涙を拭い、目を赤く腫らしたまま、瑞葉に精一杯の笑顔を向ける。
「ううん、違うの。ごめんなさい、急に泣いちゃって。うれしいのと驚いたので、感情が言うこと聞かなくなっちゃっただけ」
そう。これ以上幸せなことなんて、きっとこの世のどこを探しても見つからない。少なくとも、今の菜乃華にはどうやっても見つけられそうにない。
いや、見つける必要もないのだろう。だって、それほど大切なものを、今の自分は手にすることができたのだから。
「でも、いいの? わたし、たぶん面倒くさい女だよ」
「奇遇だな。私も昔から、堅物だの融通が利かないだの、面倒くさがられていたよ」
「たぶん、嫉妬深いよ。色々、我が儘言っちゃうかもしれないよ」
「では、あまりに程度がひどくなった時は、きちんと諌めるとしよう」
瑞葉が少し冗談めかした口調で答えた。
菜乃華は、そんな瑞葉の手を自身の両手で包み込むように握る。もう残された言葉は、一つしかない。心の底から溢れてくる想いを素直に自らの声に乗せた。
「ありがとう、瑞葉。わたしも――あなたのことが世界で一番大好きです!」
「ご迷惑おかけしてすみません、菜乃華さん。ほらクシャミ、お前も謝れ」
「な~む」
瑞葉と蔡倫の会話が一段落してしばらくすると、菜乃華たちが川辺から戻って来た。濡れそぼったぬいぐるみみたいになったクシャミは、どこか元気なさげだ。ため息でもつきたそうな顔をしている。そんなクシャミを見て、菜乃華と柊はおかしそうに笑っていた。
「おう、戻ったか。そんじゃあ、そろそろ帰るとするか。もう少しすると、ここら辺は結構冷えてくるし、クシャミが風邪引いちまうぜ」
すでに重箱やごみの片付けを済ませた蔡倫が、菜乃華たちを迎える。
そして、戻ってきたばかりの柊にゴミ袋を渡すと、菜乃華に向かってこう言った。
「嬢ちゃん、オイラたちは先に朧車に戻ってる。悪いが、瑞葉と一緒にレジャーシートを片付けてきてくれ」
「え! それなら僕が一緒に片付けますよ。菜乃華さんと一緒に!」
すぐに柊が手を上げ、立候補する。菜乃華と二人きりになりたいのだろう。
だが、すぐに蔡倫が却下した。
「お前さんは大人しく、オイラと一緒に来い。相棒が風邪引いてもいいのか?」
「そこは蔡倫さんにお任せします。僕は、菜乃華さんと残りたい!」
「素直なのはいいが、お前さんも本当に懲りねえな……。いい加減、負けを認めろ」
「僕の辞書に、『諦め』の二文字はありません」
「はいはい、そうかい。言いたいことはそれだけだな。んじゃ、そろそろ行くぞ」
最後は力づくで、蔡倫が柊を引きずっていく。ぬれねずみ状態のクシャミも、名前の通りくしゃみをしながら、その後ろに続いた。柊はそれでも「菜乃華さーん」と手を伸ばして来るが、菜乃華は苦笑しながら見送った。
柊には悪いが、菜乃華としてもこれは願ったり叶ったりの状況だ。まさか、こんな都合良く瑞葉と二人きりになれるとは思わなかった。短い時間とはいえ、蔡倫に感謝である。
「それじゃあ、レジャーシート片付けちゃおうか。瑞葉、そっちの端、持ってくれる?」
シートの端を持ち上げながら、瑞葉に呼び掛ける。けれど、瑞葉からの返事はない。不思議に思って顔を上げると、瑞葉は何かを考えているような顔で、滝を見ていた。
「瑞葉、どうかしたの?」
「……ん? ああ、すまない。少し上の空になっていた」
「ふーん。瑞葉がぼーっとしているなんて、珍しいね」
きっと風流な景色に見惚れていたのだろう。取り繕う瑞葉がちょっと可愛くて、菜乃華が楽しそうに笑った。
すると、不意に瑞葉が菜乃華の方を向いた。
「なあ、菜乃華。少し話をしたいのだが、良いだろうか」
「どうしたの、改まって。別にいいよ」
心の中で「やった!」とガッツポーズをしながら頷く。折り畳んで二人が並んで座れるサイズにしたレジャーシートをもう一度敷き、瑞葉と並んで座った。
「で、話って何?」
「……以前、君が持つ力について、私が『理由はわからない』と言ったことを覚えているか?」
瑞葉は少し考えるように間を置き、話を切り出してきた。
問われたことについては、よく覚えている。菜乃華が神田堂の店主になった日に聞かされた話だ。確か、九ノ重神社が祀っている土地神と同じ力だとか。
「覚えてるよ。それがどうしたの」
「その理由がな、最近、ようやくわかったのだ」
「へえ、そうなんだ。ねえ、どんな理由なの? よければ聞かせてよ」
菜乃華がせがむと、瑞葉は滝の方を見つめながら、その理由とやらを明かしてくれた。
瑞葉は言う。土地神は人の子と恋に落ち、人としての一生を送った。菜乃華の家系は、土地神に連なった血筋である。そして、土地神と同じ女性の血族にだけ、土地神が持っていた力――本の付喪神を癒す力が宿った、と……。
「つまり、わたしの中には土地神様の血が流れているってことだよね。なんか、ちょっと信じられない……」
話を聞き終え、菜乃華が圧倒されたまま声を漏らす。
それも仕方がないことだと思う。なんたって、自分が神様の血縁と聞かされたのだ。これで驚かない方が、むしろどうかしている。
「でも、どうして理由がわかったの? もしかしてこれも、神力のおかげ?」
驚きのままに、瑞葉にさらなる質問を投げ掛ける。
こうなったらもう、好奇心の虜だ。疑問が次々と湧いてきて、知りたいという気持ちが止められなくなっていく。瑞葉はどうやってこの結論に辿り着いたのか。他にも、自分の血縁についてわかったことはあるのか。いや、それより何より、ご先祖様の恋バナについてわかっていることがあったら、できるだけ細かく教えてもらいたい。それは菜乃華の今後に、とても役立つはずだから。
ただ、瑞葉はなかなか質問に答えてくれない。どうしたのかと思って瑞葉の顔を覗き込めば、珍しいことに逡巡するような表情を見せていた。それに、心なしか頬が少し赤い気がする。こんなこと、初めてだ。何だか見ているこちらまで、胸が高鳴ってくる。
菜乃華がどぎまぎしていると、瑞葉はまっすぐ正面を見つめ、覚悟を決めた様子で口を開いた。
「それは――私が菜乃華に恋をしたから……。九重の土地神とまったく同じ感情を持つことができたから、気付くことができた」
「え……?」
無意識のうちに、疑問の声が喉の奥から漏れ出た。
何を言われたのかわからなかった。何かとても大切で、とてもうれしくて、とても幸せなことを言われた気がする。
頭の中は、真っ白だ。何も考えられない。ただ驚きと、得も言わぬ喜びだけが、心と体を支配している。
すると、疑問の言葉を発したまま黙ってしまった菜乃華を見て、意図がうまく伝わらなかったと思ったのだろう。瑞葉が改めて、菜乃華が求める言葉を口にする。
「すまない、少々遠回しな言い方だっただろうか。平たく言うと、私は君のことが好きなのだ。君のことを……愛している」
懸命で、どこか不器用な瑞葉の声が、再び菜乃華の鼓膜を震わせた。
もう、聞き間違えたということはない。自分は瑞葉に告白された。自分の恋心は、一方通行の報われない片思いではなかったのだ。いつか自分から言わなければならないと思っていたのに、うれしいことにあっさりと先を越されてしまった。
気が付けば、菜乃華の目からは大粒の涙が零れていた。笑っていたいと思うのに、幸せ過ぎて感情がうまくコントロールできない。口元を両手で覆い、子供のようにしゃくりあげてしまう。
「どうした、菜乃華。やはり、私のような者に好かれるのは、迷惑だっただろうか」
菜乃華が突然泣き出したため、瑞葉が見当違いな勘違いをして慌てふためく。瑞葉が取り乱すなんて、相当のことだ。それだけ彼も、いっぱいいっぱいになりながらの告白だったのだろう。普段の泰然自若振りからはほど遠いその姿はどこか微笑ましく、同時にそこまで必死になって告白してくれたことが堪らなくうれしい。
心を落ち着け、涙を拭い、目を赤く腫らしたまま、瑞葉に精一杯の笑顔を向ける。
「ううん、違うの。ごめんなさい、急に泣いちゃって。うれしいのと驚いたので、感情が言うこと聞かなくなっちゃっただけ」
そう。これ以上幸せなことなんて、きっとこの世のどこを探しても見つからない。少なくとも、今の菜乃華にはどうやっても見つけられそうにない。
いや、見つける必要もないのだろう。だって、それほど大切なものを、今の自分は手にすることができたのだから。
「でも、いいの? わたし、たぶん面倒くさい女だよ」
「奇遇だな。私も昔から、堅物だの融通が利かないだの、面倒くさがられていたよ」
「たぶん、嫉妬深いよ。色々、我が儘言っちゃうかもしれないよ」
「では、あまりに程度がひどくなった時は、きちんと諌めるとしよう」
瑞葉が少し冗談めかした口調で答えた。
菜乃華は、そんな瑞葉の手を自身の両手で包み込むように握る。もう残された言葉は、一つしかない。心の底から溢れてくる想いを素直に自らの声に乗せた。
「ありがとう、瑞葉。わたしも――あなたのことが世界で一番大好きです!」