「あー、緊張する……」

「落ち着け、菜乃華。別に取って食われるわけではないのだ。この間会った時と同じように、普通にしていればいい」

「それはわかってるけど……。それでも、自分の作品を評価してもらうと思うと、やっぱり緊張する~」

 夫婦箱が入った風呂敷を胸に抱いたまま、緊張のあまり天を仰ぐ。今、菜乃華と瑞葉が立っているのは高峰村の最奥、他の民家から少し離れたところにある一軒家の前だ。吟の家である。元は彼女の本の持ち主が住んでいたそうだが、その人が亡くなってからは吟が一人で暮らしているらしい。

 蔡倫たちには朧車で待っていてもらい、菜乃華は瑞葉と二人で吟の家を訪ねていた。

「大丈夫。君は神田堂の名に恥じない夫婦箱を作った。私が保証する。自信を持って行け」

「うん……」

 瑞葉に背中を押され、緊張に固まったまま呼び鈴を鳴らす。しばらく待つと、家の中から足音と共に「はいはい」という声が聞こえてきた。

「あら、いらっしゃい、店主さん。待っていたのよ」

「こんにちは、吟さん」

 玄関先に出てきた吟が、満面の笑みで菜乃華たちを迎える。お誕生日会で友達が来るのを待っていた子供のようだ。
 菜乃華も、強張りそうになる顔に精一杯の笑顔を浮かべ、吟に頭を下げた。

「ご注文いただいた品物を持ってきました」

「はい、確かに」

 菜乃華が差し出した風呂敷包みを、吟はうれしそうに受け取った。

「開けてもいいかしら?」

「ええ、どうぞ」

 吟から向けられる期待の眼差しに、今度は緊張を隠せないままに頷いてしまった。
 そんな菜乃華の前で、吟はプレゼントの包装紙を開けるように、手に持った包みを大事そうに広げていく。そして、現れた夫婦箱を驚きの表情でまじまじと見つめた。

「あらあら。これはまた、随分と可愛らしい箱が出てきたわね」

「……お気に召しませんでしたか?」

 緊張から一転、不安げな声で菜乃華が訊く。驚く吟の顔を目の当たりにして、自分のデザインが吟の趣味に合わなかったのかと思ったのだ。

 一方、表情を曇らせた菜乃華とは逆に、吟は「とんでもない」と軽やかに首を振った。

「一目で気に入りましたよ。特にこの飾りのリボン、とても素敵。結わえ付けてあるのは、クローバーかしら」

「はい。四つ葉のクローバーは幸せを呼ぶと言いますから、吟さんに幸せが舞い込むようにと思って付けました」

 菜乃華が答えると、吟は「にくい演出ね」と感心したように唸った。
 どうやら言葉の通り、気に入ってはもらえたらしい。不安が一蹴されて、一安心だ。ひとまず、ほっと胸を撫で下ろす。

「ねえ店主さん、一つ聞かせてくださいな。あなたはどうして、あたしへ納める箱をこのデザインにしようと思ったの?」

 安心して少し気が緩んだところに、吟から試すような質問が飛んできた。見れば、吟の表情は悪戯を仕掛ける女の子のようだ。

 ただ、この質問は菜乃華も予想していた。もちろん、答えは用意してある。少し驚いたことで回答が頭から飛びかけたが、気を取り直して口を開いた。

「……最初はわたしも、大人っぽい落ち着いたデザインにしようと思っていました。まるで、そうするのが当然であるかのように。けど、途中で友人たちがわたしに気付かせてくれたんです。それは、『わたしらしい』じゃないって」

 理由を言葉にしながら、菜乃華は思う。箱のデザインを考え始めた当初は、瑞葉や亡き祖母に勝つことで頭がいっぱいだった。その所為で、考え方が思い切り狭まってしまっていた。瑞葉たちも作ったであろうデザインを考え、彼らと同じ土俵で戦うことばかりを意識してしまったのだ。吟に言われた、「あなたらしい」という言葉を忘れて……。

 そんな菜乃華を引き戻してくれたのは、柊とクシャミだった。練習のために作った夫婦箱を、彼らは心の底から喜んでくれた。柊に至っては、オーバー過ぎるくらいに。

 その姿を見て、ようやく気が付くことができたのだ。
 わたしが目指すべきは、瑞葉たちに勝つことではない。吟に喜んでもらうことだ。そのために、わたしはわたしにしかできない別の切り口を見つけなければならない、と……。

 間違いを自覚した菜乃華は、それまでのデザインを捨てて、一から考え直した。

「それでわたし、吟さんと話した時のことをもう一度思い返したんです。その時にふと思い当たったのが、吟さんは時折すごく可愛らしく笑うってことでした。それこそ、大人の女性というよりも女の子みたいに……。その顔を思い出した瞬間、『これだ!』って閃いたんです」

 微笑みながら吟を見つめると、吟も菜乃華を見て笑っていた。そう、菜乃華が女の子みたいと評した、あの可愛らしい笑顔だ。

「吟さんのその笑顔にピッタリの箱を作りたい。それなら、いっそのことメチャクチャ可愛い箱にしてみよう。そう思いました。だから、わたしらしく可愛さを追求してみて……最終的にこのデザインにしようと決めました」

 話を終え、吟の様子を窺う。
 すると吟は、納得したと思しきすっきりとした表情で頷いた。

「そう……。それが、あなたの答えなのね。よくわかったわ」

 楽しそうな声音で、吟が呟く。彼女はそのまま、菜乃華の隣に立つ瑞葉へと目を向けた。

「瑞葉さん、今度の店主さんもとても面白い方ね。ユニークで、からかい甲斐があって、孫みたいに可愛くて……そして、とても一途で一生懸命な頑張り屋さん」

「ええ。うちの自慢の店主です」

 吟の評価に、瑞葉も自信を持って肯定するように、力強く頷く。

 二人のやり取りを横で聞いていた菜乃華は、恥かしそうに頬を染めて俯いた。ただ、その顔に浮かぶのは誇らしげな笑顔だ。二人の言葉がうれしくて堪らない。そう書いてあった。
 そんな菜乃華に、吟は優しく、どこか親愛を感じさせる声で語り掛けた。

「店主さん――いえ、菜乃華ちゃん。今日は、素敵な夫婦箱を届けてくれてありがとう。それと、またあなたに夫婦箱の注文をさせてもらってもいいかしら?」

「はい! ぜひ!」

 吟からの申し出に、菜乃華の笑顔が弾ける。
 また一人、付喪神が自分のことを認めてくれた。また一歩、祖母に近付けた。それがうれしくて、菜乃華は勢いよくお辞儀をした。

「またいつでも、神田堂に入らしてください。吟さんとまたお話しできるのを、ずっと楽しみにしています!」

 菜乃華の弾んだ声は、秋の高い空にどこまでも響き渡るのだった。