改まってどうしたのだろうと思いつつ居間へ行くと、両親は真剣な面持ちで彼女を待っていた。
「お祖母ちゃんから、お前にだ」
そう言って、父が対面に座った菜乃華に渡したのは、一通の手紙だった。白い封筒には、祖母の字で『なっちゃんへ』と書かれている。
どうやらこれは、祖母から自分に宛てての遺言らしい。両親の態度と簡素な封筒から、そのように悟った。
祖母から手紙を受け取るなんて、菜乃華にとっても初めての経験だ。それがまさか遺言という形になるなんて思いもしなかった。
「開けてもいい?」
「もちろんだ」
菜乃華が窺うように目を向けると、父はゆっくりと頷いた。その隣で、母は黙って菜乃華を見つめている。
もしかしたら、両親はこの手紙の内容を知っているのかもしれない。何となく、そのように思った。
きちんと正座をして姿勢を正し、祖母からの最初で最後の手紙を受け取る。封筒を開けると、中には二枚の便箋が入っていた。折り畳まれていた便箋を、緊張しながらゆっくりと開く。
そこには祖母の字で、
【なっちゃんへ おばあちゃんからの最後のお願いです。神田堂と瑞葉を頼みます。】
とだけ書かれていた。
神田堂とは何のことか。瑞葉とは一体誰だろうか。疑問の渦に飲み込まれながら、もう一枚の便箋に目を移す。そこに書かれていたのは、祖母の手書きの地図と、どこかへの道順を示すメモだった。一枚目の内容から判断するに、おそらく『神田堂』という場所への行き方だろう。地図を見る限り、神田堂は町内、ここのえ商店街の近くにあるらしい。
「それが、お祖母ちゃんがお前に遺した遺産だ」
二枚の便箋を確認し終えたところで、父が口を開く。
便箋から父へと視線を戻した菜乃華は、不思議そうに首を傾げた。
「お祖母ちゃんの……遺産? それって、どういうこと。神田堂って何なの?」
「神田堂は、お祖母ちゃんが開いていた店の名前だ。お祖母ちゃんは、かねてからその店をお前に継いでほしいと考えていた」
「お祖母ちゃんが、お店を……」
祖母がお店をやっていたなんて初耳だ。昔からいつも祖母に遊んでもらっていたように思うが、まったく気が付かなかった。
いつから? 一体何の店を? と菜乃華の頭に様々な疑問が飛び交う。
ただ、今はそれよりも気になることがある。菜乃華はその疑問を、素直に父へぶつけた。
「でも、なんでわたしに継がせたいなんて……。なんでお父さんやお母さん、お兄ちゃんたちじゃなくて、私なの?」
「神田堂は、お祖母ちゃんの持っていたとある力によって成り立っていた店だ。私や母さん、衛(まもる)、健(たける)にはその力がない。今この家で――いや、この世界でお祖母ちゃんと同じ力を持つのは、お前だけだ」
父が淀みない口調で、菜乃華の疑問に答えた。
その内容は、はっきり言ってしまえば荒唐無稽の一言だ。祖母は何がしかの力を持っており、その力を使ってお店をやっていて、あまつさえ自分も同じ力を持っている。そんな絵空事、今時小学生だって信じないだろう。
だが、父が冗談を言っているようにも見えない。そもそも父は、このような場面で冗談を言うような人ではない。故に菜乃華は、何を信じてどう理解すればよいのかわからず、余計に混乱した。
眉をハの字にする菜乃華に、父は「もっとも……」と続ける。
「お祖母ちゃんがお前に継いでもらいたいと思ったのは、力云々以前にお前という個人を見込んでのことだと、父さんは思う。お前がお前だったから、お祖母ちゃんは店を畳むことはせず、お前に託そうと思ったんだろう」
「お祖母ちゃんが、わたしを見込んで……」
「ああ、そうだ。そうでなければ、長年苦楽を共にしてきた店と店員――親友を托したりなんかしないさ」
父と、隣で父の話を聞いていた母が、穏やかに微笑む。
父が言う祖母の『親友』というのが、手紙にあった『瑞葉』のことだろうか。祖母は、そんなにも大切な財産を菜乃華に託してくれたのだ。その信頼が、菜乃華にとっては堪らなくうれしいものだった。
「もちろん、神田堂を相続するかはお前の意思次第だ。もし、お前が相続を辞退したいなら……」
「――やる」
父の言葉を最後まで聞くことなく、まっすぐな声音で返事をする。
祖母が何の店をやっていたのかなんてわからない。自分に何の力があるのか、そもそもそんな力を本当に持っているかも知らない。それでも、祖母が自分を信じて托してくれたことだけはわかった。
ならば、それだけで十分だ。祖母の遺産を――遺志を受け継ぐのに、それ以上の理由はいらない。
両親の目を見つめ、もう一度はっきり自分の意思を示す。
「わたしが、お祖母ちゃんのお店を守る。神田堂は、わたしが継ぐ」
「……そうか」
「なら、精一杯やってみなさい。応援しているわ、菜乃華」
娘の意思を受け止め、両親がその答えを尊重するように優しく頷いた。
菜乃華なら、そう答えるとわかっていた。二人とも、そんな表情だ。
「お前の意思はよくわかった。とりあえず明日にでも、一度神田堂へ行ってきなさい。そこに住み込みで働いている瑞葉という店員がいるから、お前が店を継ぐということを伝えるんだ」
父の言葉から、『瑞葉』の正体についても確認が取れた。やはり、祖母の手紙に書かれていた『瑞葉』とは、神田堂の店員にして祖母の親友のことだったようだ。
「お前の力や神田堂については、その時にでも瑞葉に訊くといい。私が話してもいいのだが、おそらく長年神田堂の店員をやってきた彼の方が適任だ」
「わかった。それなら明日、話を聞きに行ってみる」
やや強張った面持ちで背筋を伸ばしながら、菜乃華が頷く。一人で神田堂へ赴き、件の『瑞葉』と会うことに緊張しているのだ。
娘の緊張を感じ取り、母が父の言葉に付け加える。
「安心しなさい、菜乃華。瑞葉は私がこれまでに出会った中で最高の人格者よ。きっとあんたを助け、教え導いてくれるはずだから」
「お母さん……。ありがとう。大丈夫だよ。こう見えても、コミュ力には自信ある方だから」
母に向かって微笑みつつ、自分に対しても大丈夫だと言い聞かせる。
祖母が親友とまで言った『瑞葉』とは、どんな人か。神田堂とは、一体どんな店なのか。
様々な謎を気にしつつも心を躍らせ、菜乃華は祖母の手紙と共に自室へと戻った。
「お祖母ちゃんから、お前にだ」
そう言って、父が対面に座った菜乃華に渡したのは、一通の手紙だった。白い封筒には、祖母の字で『なっちゃんへ』と書かれている。
どうやらこれは、祖母から自分に宛てての遺言らしい。両親の態度と簡素な封筒から、そのように悟った。
祖母から手紙を受け取るなんて、菜乃華にとっても初めての経験だ。それがまさか遺言という形になるなんて思いもしなかった。
「開けてもいい?」
「もちろんだ」
菜乃華が窺うように目を向けると、父はゆっくりと頷いた。その隣で、母は黙って菜乃華を見つめている。
もしかしたら、両親はこの手紙の内容を知っているのかもしれない。何となく、そのように思った。
きちんと正座をして姿勢を正し、祖母からの最初で最後の手紙を受け取る。封筒を開けると、中には二枚の便箋が入っていた。折り畳まれていた便箋を、緊張しながらゆっくりと開く。
そこには祖母の字で、
【なっちゃんへ おばあちゃんからの最後のお願いです。神田堂と瑞葉を頼みます。】
とだけ書かれていた。
神田堂とは何のことか。瑞葉とは一体誰だろうか。疑問の渦に飲み込まれながら、もう一枚の便箋に目を移す。そこに書かれていたのは、祖母の手書きの地図と、どこかへの道順を示すメモだった。一枚目の内容から判断するに、おそらく『神田堂』という場所への行き方だろう。地図を見る限り、神田堂は町内、ここのえ商店街の近くにあるらしい。
「それが、お祖母ちゃんがお前に遺した遺産だ」
二枚の便箋を確認し終えたところで、父が口を開く。
便箋から父へと視線を戻した菜乃華は、不思議そうに首を傾げた。
「お祖母ちゃんの……遺産? それって、どういうこと。神田堂って何なの?」
「神田堂は、お祖母ちゃんが開いていた店の名前だ。お祖母ちゃんは、かねてからその店をお前に継いでほしいと考えていた」
「お祖母ちゃんが、お店を……」
祖母がお店をやっていたなんて初耳だ。昔からいつも祖母に遊んでもらっていたように思うが、まったく気が付かなかった。
いつから? 一体何の店を? と菜乃華の頭に様々な疑問が飛び交う。
ただ、今はそれよりも気になることがある。菜乃華はその疑問を、素直に父へぶつけた。
「でも、なんでわたしに継がせたいなんて……。なんでお父さんやお母さん、お兄ちゃんたちじゃなくて、私なの?」
「神田堂は、お祖母ちゃんの持っていたとある力によって成り立っていた店だ。私や母さん、衛(まもる)、健(たける)にはその力がない。今この家で――いや、この世界でお祖母ちゃんと同じ力を持つのは、お前だけだ」
父が淀みない口調で、菜乃華の疑問に答えた。
その内容は、はっきり言ってしまえば荒唐無稽の一言だ。祖母は何がしかの力を持っており、その力を使ってお店をやっていて、あまつさえ自分も同じ力を持っている。そんな絵空事、今時小学生だって信じないだろう。
だが、父が冗談を言っているようにも見えない。そもそも父は、このような場面で冗談を言うような人ではない。故に菜乃華は、何を信じてどう理解すればよいのかわからず、余計に混乱した。
眉をハの字にする菜乃華に、父は「もっとも……」と続ける。
「お祖母ちゃんがお前に継いでもらいたいと思ったのは、力云々以前にお前という個人を見込んでのことだと、父さんは思う。お前がお前だったから、お祖母ちゃんは店を畳むことはせず、お前に託そうと思ったんだろう」
「お祖母ちゃんが、わたしを見込んで……」
「ああ、そうだ。そうでなければ、長年苦楽を共にしてきた店と店員――親友を托したりなんかしないさ」
父と、隣で父の話を聞いていた母が、穏やかに微笑む。
父が言う祖母の『親友』というのが、手紙にあった『瑞葉』のことだろうか。祖母は、そんなにも大切な財産を菜乃華に託してくれたのだ。その信頼が、菜乃華にとっては堪らなくうれしいものだった。
「もちろん、神田堂を相続するかはお前の意思次第だ。もし、お前が相続を辞退したいなら……」
「――やる」
父の言葉を最後まで聞くことなく、まっすぐな声音で返事をする。
祖母が何の店をやっていたのかなんてわからない。自分に何の力があるのか、そもそもそんな力を本当に持っているかも知らない。それでも、祖母が自分を信じて托してくれたことだけはわかった。
ならば、それだけで十分だ。祖母の遺産を――遺志を受け継ぐのに、それ以上の理由はいらない。
両親の目を見つめ、もう一度はっきり自分の意思を示す。
「わたしが、お祖母ちゃんのお店を守る。神田堂は、わたしが継ぐ」
「……そうか」
「なら、精一杯やってみなさい。応援しているわ、菜乃華」
娘の意思を受け止め、両親がその答えを尊重するように優しく頷いた。
菜乃華なら、そう答えるとわかっていた。二人とも、そんな表情だ。
「お前の意思はよくわかった。とりあえず明日にでも、一度神田堂へ行ってきなさい。そこに住み込みで働いている瑞葉という店員がいるから、お前が店を継ぐということを伝えるんだ」
父の言葉から、『瑞葉』の正体についても確認が取れた。やはり、祖母の手紙に書かれていた『瑞葉』とは、神田堂の店員にして祖母の親友のことだったようだ。
「お前の力や神田堂については、その時にでも瑞葉に訊くといい。私が話してもいいのだが、おそらく長年神田堂の店員をやってきた彼の方が適任だ」
「わかった。それなら明日、話を聞きに行ってみる」
やや強張った面持ちで背筋を伸ばしながら、菜乃華が頷く。一人で神田堂へ赴き、件の『瑞葉』と会うことに緊張しているのだ。
娘の緊張を感じ取り、母が父の言葉に付け加える。
「安心しなさい、菜乃華。瑞葉は私がこれまでに出会った中で最高の人格者よ。きっとあんたを助け、教え導いてくれるはずだから」
「お母さん……。ありがとう。大丈夫だよ。こう見えても、コミュ力には自信ある方だから」
母に向かって微笑みつつ、自分に対しても大丈夫だと言い聞かせる。
祖母が親友とまで言った『瑞葉』とは、どんな人か。神田堂とは、一体どんな店なのか。
様々な謎を気にしつつも心を躍らせ、菜乃華は祖母の手紙と共に自室へと戻った。