「こんにちは、菜乃華さん! お邪魔してます!」
「な~」
「あ、柊さん。それに、クシャミちゃんも。いらっしゃい」
昼下がり、神田堂に顔を出した菜乃華を出迎えたのは、柊とクシャミの凸凹コンビだった。クシャミの文庫本を直してからというもの、彼らは本当によく遊びに来てくれる。最近では、二~三日に一回は顔を見ているくらいだ。今ではすっかり常連さんである。
それは良いとして、いつも出迎えてくれるあの人の姿が見当たらなかった。
「あの、柊さん。瑞葉はいないんですか?」
「瑞葉さんなら、買い物に出ています。僕らは、留守番を頼まれました」
菜乃華が奥を覗いていると、柊が朗らかに笑って教えてくれた。
瑞葉の買い物とは、修復に使う資材の購入だろう。彼は月に何度か、隣町にあるという神様が経営する問屋へ買い出しに出掛ける。つまり、これはいつものことだ。
ただ、先程の唯子とのやり取りの所為か知らないが、瑞葉がいないとわかった瞬間、菜乃華の気分は少し盛り下がった。
「そうそう、今日はお土産に三日月屋の豆大福を持ってきたんですよ。菜乃華さん、前にこれが好きだって言っていましたよね」
「ああ、はい。えっと、その……いつもありがとうござます」
三日月屋の紙袋を掲げた柊へ、菜乃華は顔を赤くしながらぎこちない笑顔を見せた。柊を意識しているのが丸わかりだ。
同時に、お礼を言われた柊の顔が幸せそうに緩む。
そんな柊のこの世の春のような表情を見ながら、菜乃華は数日前のことを思い出した。
* * *
柊は、神田堂に来る時は決まってお土産を持ってきてくれる。しかも、彼が持ってくるものは、決まって菜乃華の好物だ。
恋愛経験のない菜乃華でも、ここまで露骨であればさすがにわかる。どうやら自分は、柊に好意を持たれたらしい。つまり柊は、菜乃華のために毎度お土産を用意してきてくれているわけだ。
と、ここまで思い至ったのが、およそ二週間前のことだ。
一度気が付いてしまうと、次に来たのは申し訳なさだった。
今の状況は、柊の好意に付け込んで貢がせてみたいで菜乃華としても心苦しい。よって、何とかしなければならない。そこでつい先日、柊と二人きりになったタイミングで、それとなくもうお土産を持ってこなくていいと言ってみたのだ。
すると柊は、「ああ、すみません。ちょっと露骨過ぎましたよね」と頬を掻きながら照れくさそうに笑った。
その上で彼は、大人しそうな外見に似合わない恐るべき行動力を発揮してみせた。
「すでにお察しのことと思いますが、僕はあなたのことが好きです。つきましては、僕とお付き合いしていただけないでしょうか」
そう。なんと彼は、これが好機とばかりに突然告白してきたのだ。
もちろん、この返しは菜乃華の予想の範囲外だ。一瞬、何を言われたのかわからず、呆けてしまった。
しかし、すぐに頭が回転し出して、状況を整理していく。その行き着く先は、もちろん自分が告白されたという事実だ。瞬間、菜乃華の顔が一気に赤く染まった。
「あ、あ、その……ええと……」
菜乃華にとっては、生まれて初めてされた告白だ。頭の中では色々な感情が飛び交い、何か言おうにも言葉が上手く出てこない。
ただ、様々な感情の奥に一人の青年の後ろ姿が浮かんだ。それと共に、胸が締め付けられるような、加えてなぜか後ろめたいような気持ちが芽生えて、菜乃華の眉尻が下がっていった。
「……なんて、いきなり言われても困りますよね」
菜乃華が押し黙る中、沈黙の時間を打ち破ったのはこの状況を作った張本人、柊だった。
「今の菜乃華さんの顔を見て、よくわかりました。まあ、最初から勝算は薄いかなとは思っていたんですけどね。やっぱり今のままでは、あの人には敵いませんか」
表情は、時に言葉以上に感情を物語る。柊は菜乃華の表情の変化から、彼女の心情を読み取ったようだ。残念そうに苦笑しながら、頬を掻いている。
きちんと言葉で返事をできなかったことに、菜乃華は大きな罪悪感を覚えた。今さら遅いと思いつつも「ごめんなさい」と頭を下げる。
けれど、柊は「顔を上げてください」とどこかさっぱりした声音で返してきた。
「僕としては、気持ちを伝えるきっかけがもらえてラッキーでしたよ。おかげで、すっきりしました。これで……明日からはより一層菜乃華さんにアタックできるというものです」
「……え?」
何だかふられた直後とは思えない前向き発言が聞こえてきて、首を傾げてしまう。
困惑する菜乃華の前で、柊は自信満々に胸を張った。
「確かに今は負けを認めますが、僕は別に菜乃華さんのことを諦めたわけではありません。きちんと好意を示せたというのは、僕にとって大きな成果です。こうなったら、菜乃華さんも僕のことを意識せざるを得ないでしょう。これから菜乃華さんにいいところをいっぱい見せて、必ず振り向かせてみせます」
態度同様に自信満々な柊の物言いに、菜乃華も思わず吹き出してしまった。
本当にこの歴史書の付喪神は、外見と中身のギャップがあり過ぎる。見た目は完全な草食系なのに、内面は今時珍しいくらいの肉食系だ。
もっとも、ここでビシッと終われないのも、柊の柊たる所以だ。
「もちろん、お店や仕事の迷惑にはならないようにはしますよ。だから……これからも遊びに来ていいですか?」
慌てて付け加えた柊が、迷子の子犬のような目で菜乃華を見つめる。顔がいいと、こういうちょっと甘えた仕草も様になるから得だと思う。
ともあれ、「遊びに来てください」と最初に言ったのは、他ならぬ自分だ。さすがに今の話を理由に翻したくはない。
拝み倒すような表情になった柊に、菜乃華は「お手柔らかにお願いします」と苦笑したのだった。
* * *
――と、数日前にそんなことがあったわけで、菜乃華としても柊との距離を測りかねている今日この頃である。
菜乃華だって、健全な十七歳の女の子だ。純粋な好意を向けられるのはうれしいし、少しだけど優越感のようなものも感じている。
それでもやはり、人から好かれるという状況に対する戸惑いの方が大きいのだ。あと、その気持ちに答えられない罪悪感も……。そう簡単に割り切って考えられるほど、菜乃華の恋愛経験値は高くないのである。
と、その時だ。菜乃華の背後で、ガラス戸が開く音がした。
「な~」
「あ、柊さん。それに、クシャミちゃんも。いらっしゃい」
昼下がり、神田堂に顔を出した菜乃華を出迎えたのは、柊とクシャミの凸凹コンビだった。クシャミの文庫本を直してからというもの、彼らは本当によく遊びに来てくれる。最近では、二~三日に一回は顔を見ているくらいだ。今ではすっかり常連さんである。
それは良いとして、いつも出迎えてくれるあの人の姿が見当たらなかった。
「あの、柊さん。瑞葉はいないんですか?」
「瑞葉さんなら、買い物に出ています。僕らは、留守番を頼まれました」
菜乃華が奥を覗いていると、柊が朗らかに笑って教えてくれた。
瑞葉の買い物とは、修復に使う資材の購入だろう。彼は月に何度か、隣町にあるという神様が経営する問屋へ買い出しに出掛ける。つまり、これはいつものことだ。
ただ、先程の唯子とのやり取りの所為か知らないが、瑞葉がいないとわかった瞬間、菜乃華の気分は少し盛り下がった。
「そうそう、今日はお土産に三日月屋の豆大福を持ってきたんですよ。菜乃華さん、前にこれが好きだって言っていましたよね」
「ああ、はい。えっと、その……いつもありがとうござます」
三日月屋の紙袋を掲げた柊へ、菜乃華は顔を赤くしながらぎこちない笑顔を見せた。柊を意識しているのが丸わかりだ。
同時に、お礼を言われた柊の顔が幸せそうに緩む。
そんな柊のこの世の春のような表情を見ながら、菜乃華は数日前のことを思い出した。
* * *
柊は、神田堂に来る時は決まってお土産を持ってきてくれる。しかも、彼が持ってくるものは、決まって菜乃華の好物だ。
恋愛経験のない菜乃華でも、ここまで露骨であればさすがにわかる。どうやら自分は、柊に好意を持たれたらしい。つまり柊は、菜乃華のために毎度お土産を用意してきてくれているわけだ。
と、ここまで思い至ったのが、およそ二週間前のことだ。
一度気が付いてしまうと、次に来たのは申し訳なさだった。
今の状況は、柊の好意に付け込んで貢がせてみたいで菜乃華としても心苦しい。よって、何とかしなければならない。そこでつい先日、柊と二人きりになったタイミングで、それとなくもうお土産を持ってこなくていいと言ってみたのだ。
すると柊は、「ああ、すみません。ちょっと露骨過ぎましたよね」と頬を掻きながら照れくさそうに笑った。
その上で彼は、大人しそうな外見に似合わない恐るべき行動力を発揮してみせた。
「すでにお察しのことと思いますが、僕はあなたのことが好きです。つきましては、僕とお付き合いしていただけないでしょうか」
そう。なんと彼は、これが好機とばかりに突然告白してきたのだ。
もちろん、この返しは菜乃華の予想の範囲外だ。一瞬、何を言われたのかわからず、呆けてしまった。
しかし、すぐに頭が回転し出して、状況を整理していく。その行き着く先は、もちろん自分が告白されたという事実だ。瞬間、菜乃華の顔が一気に赤く染まった。
「あ、あ、その……ええと……」
菜乃華にとっては、生まれて初めてされた告白だ。頭の中では色々な感情が飛び交い、何か言おうにも言葉が上手く出てこない。
ただ、様々な感情の奥に一人の青年の後ろ姿が浮かんだ。それと共に、胸が締め付けられるような、加えてなぜか後ろめたいような気持ちが芽生えて、菜乃華の眉尻が下がっていった。
「……なんて、いきなり言われても困りますよね」
菜乃華が押し黙る中、沈黙の時間を打ち破ったのはこの状況を作った張本人、柊だった。
「今の菜乃華さんの顔を見て、よくわかりました。まあ、最初から勝算は薄いかなとは思っていたんですけどね。やっぱり今のままでは、あの人には敵いませんか」
表情は、時に言葉以上に感情を物語る。柊は菜乃華の表情の変化から、彼女の心情を読み取ったようだ。残念そうに苦笑しながら、頬を掻いている。
きちんと言葉で返事をできなかったことに、菜乃華は大きな罪悪感を覚えた。今さら遅いと思いつつも「ごめんなさい」と頭を下げる。
けれど、柊は「顔を上げてください」とどこかさっぱりした声音で返してきた。
「僕としては、気持ちを伝えるきっかけがもらえてラッキーでしたよ。おかげで、すっきりしました。これで……明日からはより一層菜乃華さんにアタックできるというものです」
「……え?」
何だかふられた直後とは思えない前向き発言が聞こえてきて、首を傾げてしまう。
困惑する菜乃華の前で、柊は自信満々に胸を張った。
「確かに今は負けを認めますが、僕は別に菜乃華さんのことを諦めたわけではありません。きちんと好意を示せたというのは、僕にとって大きな成果です。こうなったら、菜乃華さんも僕のことを意識せざるを得ないでしょう。これから菜乃華さんにいいところをいっぱい見せて、必ず振り向かせてみせます」
態度同様に自信満々な柊の物言いに、菜乃華も思わず吹き出してしまった。
本当にこの歴史書の付喪神は、外見と中身のギャップがあり過ぎる。見た目は完全な草食系なのに、内面は今時珍しいくらいの肉食系だ。
もっとも、ここでビシッと終われないのも、柊の柊たる所以だ。
「もちろん、お店や仕事の迷惑にはならないようにはしますよ。だから……これからも遊びに来ていいですか?」
慌てて付け加えた柊が、迷子の子犬のような目で菜乃華を見つめる。顔がいいと、こういうちょっと甘えた仕草も様になるから得だと思う。
ともあれ、「遊びに来てください」と最初に言ったのは、他ならぬ自分だ。さすがに今の話を理由に翻したくはない。
拝み倒すような表情になった柊に、菜乃華は「お手柔らかにお願いします」と苦笑したのだった。
* * *
――と、数日前にそんなことがあったわけで、菜乃華としても柊との距離を測りかねている今日この頃である。
菜乃華だって、健全な十七歳の女の子だ。純粋な好意を向けられるのはうれしいし、少しだけど優越感のようなものも感じている。
それでもやはり、人から好かれるという状況に対する戸惑いの方が大きいのだ。あと、その気持ちに答えられない罪悪感も……。そう簡単に割り切って考えられるほど、菜乃華の恋愛経験値は高くないのである。
と、その時だ。菜乃華の背後で、ガラス戸が開く音がした。