「では次、抜け落ちたページの修復に入ろう。早くしないと、あの心配性が戻ってきてしまうからな」
瑞葉につられて時計を見れば、柊が店を出て、もうニ十分近く時間が経っていた。初めての修復ということで、想像以上に慎重になっていたようだ。
これは確かに、てきぱきと作業をした方がいいだろう。戻ってきた柊が作業を目にしたら、心配のあまり気絶でもしかねない。瑞葉へ「うん」と短く返事をして、すぐに次の修復の手順を頭の中で整理した。
文庫のような無線綴じの本のページが抜け落ちた場合は、その量によって対応が変わってくる。今回は、幸いにも抜け落ちたのが二枚ということなので、糊を塗って元の場所へ差し込むやり方で修復していくことになる。一番容易な直し方だ。
「ページがごっそり抜け落ちてなくてよかったよ。その場合は、本を再製本しなくちゃいけないんだよね? そうなっていたら、わたしにはどうしようもなかった」
「確かに。そこは不幸中の幸いだった」
菜乃華の所感に、瑞葉が同意を示す。何はともあれ、まずは取れてしまったページへ、糊をつけるところからだ。
作業台を汚さないように大きな紙を敷き、その上に取れたページを載せる。そして、ページの上にさらにもう一枚、紙を重ねた。ページの上に重ねたこの紙は、ピンポイントで糊を塗るためのカバーだ。上に重ねた紙をずらし、ページの端がニ~三ミリくらい飛び出るように調整する。
これで準備は完了だ。あとは、糊を塗っていくだけである。
「先程と同じで、糊は塗り過ぎないように注意するんだ。糊がはみ出て、他のページが開かなくなったら大変だ」
「大丈夫。わかってるよ、瑞葉」
瑞葉の忠告を胸に止め、筆を滑らせる。
多過ぎず、少な過ぎず。先程の修復を思い出しながら糊を塗り、終わったらページをひっくり返す。そして、裏側も同じように糊を塗っていく。
「……よし! こんなものかな」
「塗り終わったか。それでは、糊が乾かないうちに本へ差し込んでしまおう」
ページを差し込みやすいよう、瑞葉が再び文庫本を開いたまま支える。菜乃華はそこへ、下敷きを添えたページをゆっくりと下ろしていった。
「ページが弛まないようにピンと引っ張る……」
「そうだ。そして、ページが本の天と地からはみ出ないよう、下ろしながら微調整していけ」
菜乃華の呟きに相槌を打つように、瑞葉が言う。
それを聞きながら感覚を尖らせ、菜乃華は指先に全神経を集中させた。菜乃華の頭の中に、余計な考えが入る隙間は一切ない。今行っている作業だけに、全身全霊を注ぐ。
「いいぞ、菜乃華。そのまま慎重に、だ」
瑞葉の声が、隣から聞こえてきた。
ただ、それはどこか遠く、言うならばテレビから流れてくる音声を聞き流している感じだ。無意識にうちに、外からの音をシャットアウトしているのだろう。
震えそうになる手を精一杯抑えながら、ゆっくりとページを差し込んでいく。慎重に差し込まれたページは、下敷きを支えにして本の背の付近まで到達した。
最後に、ヘラでこするようにして差し込んだページをくっつけ、本を閉じる。
同様の作業をもう一回繰り返し、最後に本の上に重しを乗せて、修復完了だ。
「……終わったぁ~」
菜乃華が崩れるようにイスへ座り、大きく息を吐いた。無事に作業が完了して、緊張の糸が解けたのだ。瑞葉も「お疲れ様」と、無事に修復を終えた菜乃華を労うように、彼女の肩を軽く叩いた。
すると、その時だ。菜乃華の目の前で突然、大人しく作業を見守っていたクシャミが光り始めた。
「み、瑞葉、クシャミちゃんがまた光ってるよ!」
「まあ見ていろ」
焦る菜乃華に、瑞葉は意味深な笑みを浮かべて答える。
そのやり取りの間にもクシャミを包む光は強さを増していき、やがて軽い破裂音と共に弾けた。飛び散った光の粒に驚いた菜乃華は、「きゃっ!」と声を上げ、目を閉じる。
「菜乃華、もう大丈夫だ。目を開けてみろ」
おかしそうに笑っている瑞葉に従い、ゆっくり目を開ける。
そして、自らの目に飛びこんできた光景に、菜乃華はうれしそうな声を上げた。
「クシャミちゃんの前脚がくっついてる! ハゲもなくなってる!」
光が治まった後、そこには怪我がすべて治ったクシャミが座っていた。
クシャミは「な~」とあくびをし、くっついた前脚で顔を洗っている。相変わらずのん気なものだが、心なしか前脚がくっついて喜んでいるように見えた。
「お邪魔します。菜乃華さん、クシャミの本の修復はどんな感じですか?」
と、そこに外へ出ていた柊が戻ってきた。彼は顔を洗うクシャミを見るや、涙を滝のように流して、相棒の体を抱き上げた。
「クシャミ、元気になったんだね! ああ、良かった。本当に良かった!」
よほどうれしかったのだろう。柊はクシャミを高い高いしながら、踊るようにその場で回っている。
なお、クシャミは高い高いがうっとうしいのか、不満げに「な~む」と鳴いていた。本当に、変てこな凸凹コンビである。
そのまま菜乃華たちが見守っていると、いい加減、柊の方も体力が尽きたのだろう。全力疾走した後のように呼吸を荒くしながら、彼はクシャミを机に下ろした。
「あ、そうだ……。お代、お代……」
息も絶え絶えな柊が、瑞葉に修復のお代を渡す。
お金の管理は、昔からの担当ということで瑞葉の役目だ。菜乃華は、隣で見ているだけである。瑞葉は土間の片隅ある帳場へ行って、慣れた手つきで帳簿を付け、柊にお釣りを返した。
瑞葉につられて時計を見れば、柊が店を出て、もうニ十分近く時間が経っていた。初めての修復ということで、想像以上に慎重になっていたようだ。
これは確かに、てきぱきと作業をした方がいいだろう。戻ってきた柊が作業を目にしたら、心配のあまり気絶でもしかねない。瑞葉へ「うん」と短く返事をして、すぐに次の修復の手順を頭の中で整理した。
文庫のような無線綴じの本のページが抜け落ちた場合は、その量によって対応が変わってくる。今回は、幸いにも抜け落ちたのが二枚ということなので、糊を塗って元の場所へ差し込むやり方で修復していくことになる。一番容易な直し方だ。
「ページがごっそり抜け落ちてなくてよかったよ。その場合は、本を再製本しなくちゃいけないんだよね? そうなっていたら、わたしにはどうしようもなかった」
「確かに。そこは不幸中の幸いだった」
菜乃華の所感に、瑞葉が同意を示す。何はともあれ、まずは取れてしまったページへ、糊をつけるところからだ。
作業台を汚さないように大きな紙を敷き、その上に取れたページを載せる。そして、ページの上にさらにもう一枚、紙を重ねた。ページの上に重ねたこの紙は、ピンポイントで糊を塗るためのカバーだ。上に重ねた紙をずらし、ページの端がニ~三ミリくらい飛び出るように調整する。
これで準備は完了だ。あとは、糊を塗っていくだけである。
「先程と同じで、糊は塗り過ぎないように注意するんだ。糊がはみ出て、他のページが開かなくなったら大変だ」
「大丈夫。わかってるよ、瑞葉」
瑞葉の忠告を胸に止め、筆を滑らせる。
多過ぎず、少な過ぎず。先程の修復を思い出しながら糊を塗り、終わったらページをひっくり返す。そして、裏側も同じように糊を塗っていく。
「……よし! こんなものかな」
「塗り終わったか。それでは、糊が乾かないうちに本へ差し込んでしまおう」
ページを差し込みやすいよう、瑞葉が再び文庫本を開いたまま支える。菜乃華はそこへ、下敷きを添えたページをゆっくりと下ろしていった。
「ページが弛まないようにピンと引っ張る……」
「そうだ。そして、ページが本の天と地からはみ出ないよう、下ろしながら微調整していけ」
菜乃華の呟きに相槌を打つように、瑞葉が言う。
それを聞きながら感覚を尖らせ、菜乃華は指先に全神経を集中させた。菜乃華の頭の中に、余計な考えが入る隙間は一切ない。今行っている作業だけに、全身全霊を注ぐ。
「いいぞ、菜乃華。そのまま慎重に、だ」
瑞葉の声が、隣から聞こえてきた。
ただ、それはどこか遠く、言うならばテレビから流れてくる音声を聞き流している感じだ。無意識にうちに、外からの音をシャットアウトしているのだろう。
震えそうになる手を精一杯抑えながら、ゆっくりとページを差し込んでいく。慎重に差し込まれたページは、下敷きを支えにして本の背の付近まで到達した。
最後に、ヘラでこするようにして差し込んだページをくっつけ、本を閉じる。
同様の作業をもう一回繰り返し、最後に本の上に重しを乗せて、修復完了だ。
「……終わったぁ~」
菜乃華が崩れるようにイスへ座り、大きく息を吐いた。無事に作業が完了して、緊張の糸が解けたのだ。瑞葉も「お疲れ様」と、無事に修復を終えた菜乃華を労うように、彼女の肩を軽く叩いた。
すると、その時だ。菜乃華の目の前で突然、大人しく作業を見守っていたクシャミが光り始めた。
「み、瑞葉、クシャミちゃんがまた光ってるよ!」
「まあ見ていろ」
焦る菜乃華に、瑞葉は意味深な笑みを浮かべて答える。
そのやり取りの間にもクシャミを包む光は強さを増していき、やがて軽い破裂音と共に弾けた。飛び散った光の粒に驚いた菜乃華は、「きゃっ!」と声を上げ、目を閉じる。
「菜乃華、もう大丈夫だ。目を開けてみろ」
おかしそうに笑っている瑞葉に従い、ゆっくり目を開ける。
そして、自らの目に飛びこんできた光景に、菜乃華はうれしそうな声を上げた。
「クシャミちゃんの前脚がくっついてる! ハゲもなくなってる!」
光が治まった後、そこには怪我がすべて治ったクシャミが座っていた。
クシャミは「な~」とあくびをし、くっついた前脚で顔を洗っている。相変わらずのん気なものだが、心なしか前脚がくっついて喜んでいるように見えた。
「お邪魔します。菜乃華さん、クシャミの本の修復はどんな感じですか?」
と、そこに外へ出ていた柊が戻ってきた。彼は顔を洗うクシャミを見るや、涙を滝のように流して、相棒の体を抱き上げた。
「クシャミ、元気になったんだね! ああ、良かった。本当に良かった!」
よほどうれしかったのだろう。柊はクシャミを高い高いしながら、踊るようにその場で回っている。
なお、クシャミは高い高いがうっとうしいのか、不満げに「な~む」と鳴いていた。本当に、変てこな凸凹コンビである。
そのまま菜乃華たちが見守っていると、いい加減、柊の方も体力が尽きたのだろう。全力疾走した後のように呼吸を荒くしながら、彼はクシャミを机に下ろした。
「あ、そうだ……。お代、お代……」
息も絶え絶えな柊が、瑞葉に修復のお代を渡す。
お金の管理は、昔からの担当ということで瑞葉の役目だ。菜乃華は、隣で見ているだけである。瑞葉は土間の片隅ある帳場へ行って、慣れた手つきで帳簿を付け、柊にお釣りを返した。