ホッとため息をつく紫乃は、どこか安心しているように見えた。珠樹みたいに初めての人でも遠慮なく話せる人もいれば、人見知りで上手く会話を出来ない人もいる。どちらかというと朝陽は後者のため、紫乃の気持ちを少しは理解することが出来た。
だから今はダメでも、ゆっくり仲良くなっていければいいなと朝陽は思った。
「それじゃあ行こっか。ちょっと歩くけど大丈夫?」
「うん。歩くのは大好きだから」
駅前のため、本当ならバスで向かってもいいような距離だが、紫乃と歩きながら話せればと思い、朝陽は黙っていることにした。完治したと紫乃は言っていたが、注意深く様子を見て、もし体調が悪そうであればバスを呼ぶかタクシーで帰ることも考えなければいけない。
しかし元気そうに歩く紫乃を見て、そんな心配は杞憂なのかもしれないと思うようになっていた。
道端に咲いている黄色のタンポポを見つけると、子どもみたいに走り寄って「これ、タンポポだよね!」と嬉々とした声を上げている。
まるで初めてタンポポを見るかのような反応だが、もしかすると実物を見たのは初めてなのかもしれない。
「タンポポってすごい綺麗だね、朝陽くん」
紫乃の隣で腰をかがめ、道端に咲いているタンポポを見つめた。花冠は花火のようにパッと開いていて、その黄色い部分を紫乃は指先でつついている。
「普段は景色に溶け込んで見逃しちゃうけど、立ち止まって見てみると、とっても綺麗だよね」
紫乃と同じように、タンポポの花冠を指でつつく。つついた方へ茎がしなり、風に吹かれたかのようにゆらゆらと黄色が揺らめいた。
朝陽がタンポポに触れたのは、小学生以来のことだった。
「きっと見逃しちゃうのは、タンポポ以外の景色も、とっても綺麗だからだよ」
その何気なく発したのであろう紫乃の言葉に、朝陽はハッとさせられた。たしかに綺麗なのはタンポポだけではない。タンポポを見逃すというのは、周りの草木も同じく綺麗だからなのかもしれない。
そういう考え方をしてみると、地面に生えている雑草の隙間から見える茶色い土も、朝陽の目には等しくハッキリと見えるようになった。
「紫乃の考え方って、とっても綺麗だね」
「え、そう?」
「うん。多分紫乃の目には、いろんなものがきれいに映ってるんだと思う」
きっとそれは、紫乃が外の世界へ憧れを持っていたからだ。だからこそ、全てのものが美しく見えるのかもしれないと朝陽は思った。
紫乃は朝陽の言葉にくすりと笑う。それから呟くように、言葉を漏らした。
「朝陽くんが、全部教えてくれたんだよ」
「えっ?」
思わず朝陽は聞き返したが、紫乃は立ち上がり「なんでもないよ」と言って微笑みを浮かべた。夏の太陽に照らされたその表情は底抜けに明るくて、朝陽の胸を知らず知らずのうちに打ち付ける。
しかしすぐに我に返り、朝陽も立ち上がった。その瞬間に一瞬立ちくらみが起きたのは、実は今日のお出かけが楽しみで、あまり眠れなかったせいでもあるのだろう。
そんな朝陽を驚かせるように、犬が吠える「ワン!」という声が突然響いた。慌てて振り返ると、小学生ぐらいの女の子が白いマルチーズのリードを掴んで散歩させている。
というよりマルチーズに引っ張られて、女の子が散歩をさせられているようだった。
「ちょっとアリス! お兄さんたちに吠えちゃダメだよ!」
「ワン! ワン!」
「だめだってばぁ!」
アリスと呼ばれたマルチーズは、女の子に逆らうようにジリジリと紫乃の方へと近付いていく。そんなアリスに対して、彼女は逃げたり怯えたりしなかった。
紫乃は迷いなく近付いて、アリスの頭を優しく撫でる。
「ほらほら、よしよし」
「くぅーん」
彼女がそうしてあげると、アリスはすぐに大人しくなり、リードを引っ張ることをしなくなった。しかもそれだけではなく、目の前でおすわりをして、気持ち良さそうに尻尾を左右に振り回している。
「ねえ朝陽くん、この子かわいいね!」
「可愛いね」
「おめめがクリクリしてる! 毛もフサフサしてて、やっぱりかわいい!」
すぐにアリスを手なずけてしまった紫乃を見て、飼い主である女の子は目を丸めていた。それもそうだろう。先ほどまで吠えていたのに、彼女が撫でたことによって突然大人しくなったのだから。
「おねえさん、すごい! アリスってば、全然私の言うこと聞かないのに!」
女の子は紫乃に対して賞賛の声を上げる。
しかし当の彼女は、たった今飼い主の存在に気がついたのか、ようやくアリスから視線を外した。
「あ、ごめ、ごめんなさい……勝手に触っちゃって……」
「? そんなの気にしないよ。おねえさん、すごいアリスに懐かれてるもん」
紫乃は助け舟を求めるように朝陽を見る。
そんな彼女のことを察して、小さく頷いてあげた。
「懐いてるみたいだし、もうちょっと触ってあげなよ。その方がアリスも喜んでくれると思うし」
「あ、うん。そうする……」
それから紫乃は、先ほどよりも遠慮がちにアリスのことを撫でる。しかし我慢が出来なくなったのか、頭から頬へ、気付いた時には首元を優しく撫でて、幸せそうな表情を浮かべていた。
五分ほど自由にさせた後、女の子もそろそろ行かなきゃいけないだろうと思い、紫乃に声をかけた。
「そろそろ行こっか。ありがとね、アリスちゃんを触らせてくれて」
「あ、いえ。こちらこそ、アリスを可愛がってくれてありがとうございます!」
そう言って女の子は頭を下げると、先ほどよりも大人しくなったアリスと向こうへ歩いていく。その後ろ姿を眺める紫乃は、ほんの少しだけ物足りないような表情をしていた。
「それじゃあ行こっか朝陽くん」
「うん、そうだね」
それからも紫乃は、道行く途中で綺麗なものを見つけては立ち止まり、それを眺めていた。たとえばそれは真っ青な空に線を引く飛行機雲であったり、真っ黒なな子猫であったり。
当初お昼時にはまだ早いと思っていたが、目的のお店に着く頃にはお昼を少し過ぎたぐらいの時間になっていた。
だから今はダメでも、ゆっくり仲良くなっていければいいなと朝陽は思った。
「それじゃあ行こっか。ちょっと歩くけど大丈夫?」
「うん。歩くのは大好きだから」
駅前のため、本当ならバスで向かってもいいような距離だが、紫乃と歩きながら話せればと思い、朝陽は黙っていることにした。完治したと紫乃は言っていたが、注意深く様子を見て、もし体調が悪そうであればバスを呼ぶかタクシーで帰ることも考えなければいけない。
しかし元気そうに歩く紫乃を見て、そんな心配は杞憂なのかもしれないと思うようになっていた。
道端に咲いている黄色のタンポポを見つけると、子どもみたいに走り寄って「これ、タンポポだよね!」と嬉々とした声を上げている。
まるで初めてタンポポを見るかのような反応だが、もしかすると実物を見たのは初めてなのかもしれない。
「タンポポってすごい綺麗だね、朝陽くん」
紫乃の隣で腰をかがめ、道端に咲いているタンポポを見つめた。花冠は花火のようにパッと開いていて、その黄色い部分を紫乃は指先でつついている。
「普段は景色に溶け込んで見逃しちゃうけど、立ち止まって見てみると、とっても綺麗だよね」
紫乃と同じように、タンポポの花冠を指でつつく。つついた方へ茎がしなり、風に吹かれたかのようにゆらゆらと黄色が揺らめいた。
朝陽がタンポポに触れたのは、小学生以来のことだった。
「きっと見逃しちゃうのは、タンポポ以外の景色も、とっても綺麗だからだよ」
その何気なく発したのであろう紫乃の言葉に、朝陽はハッとさせられた。たしかに綺麗なのはタンポポだけではない。タンポポを見逃すというのは、周りの草木も同じく綺麗だからなのかもしれない。
そういう考え方をしてみると、地面に生えている雑草の隙間から見える茶色い土も、朝陽の目には等しくハッキリと見えるようになった。
「紫乃の考え方って、とっても綺麗だね」
「え、そう?」
「うん。多分紫乃の目には、いろんなものがきれいに映ってるんだと思う」
きっとそれは、紫乃が外の世界へ憧れを持っていたからだ。だからこそ、全てのものが美しく見えるのかもしれないと朝陽は思った。
紫乃は朝陽の言葉にくすりと笑う。それから呟くように、言葉を漏らした。
「朝陽くんが、全部教えてくれたんだよ」
「えっ?」
思わず朝陽は聞き返したが、紫乃は立ち上がり「なんでもないよ」と言って微笑みを浮かべた。夏の太陽に照らされたその表情は底抜けに明るくて、朝陽の胸を知らず知らずのうちに打ち付ける。
しかしすぐに我に返り、朝陽も立ち上がった。その瞬間に一瞬立ちくらみが起きたのは、実は今日のお出かけが楽しみで、あまり眠れなかったせいでもあるのだろう。
そんな朝陽を驚かせるように、犬が吠える「ワン!」という声が突然響いた。慌てて振り返ると、小学生ぐらいの女の子が白いマルチーズのリードを掴んで散歩させている。
というよりマルチーズに引っ張られて、女の子が散歩をさせられているようだった。
「ちょっとアリス! お兄さんたちに吠えちゃダメだよ!」
「ワン! ワン!」
「だめだってばぁ!」
アリスと呼ばれたマルチーズは、女の子に逆らうようにジリジリと紫乃の方へと近付いていく。そんなアリスに対して、彼女は逃げたり怯えたりしなかった。
紫乃は迷いなく近付いて、アリスの頭を優しく撫でる。
「ほらほら、よしよし」
「くぅーん」
彼女がそうしてあげると、アリスはすぐに大人しくなり、リードを引っ張ることをしなくなった。しかもそれだけではなく、目の前でおすわりをして、気持ち良さそうに尻尾を左右に振り回している。
「ねえ朝陽くん、この子かわいいね!」
「可愛いね」
「おめめがクリクリしてる! 毛もフサフサしてて、やっぱりかわいい!」
すぐにアリスを手なずけてしまった紫乃を見て、飼い主である女の子は目を丸めていた。それもそうだろう。先ほどまで吠えていたのに、彼女が撫でたことによって突然大人しくなったのだから。
「おねえさん、すごい! アリスってば、全然私の言うこと聞かないのに!」
女の子は紫乃に対して賞賛の声を上げる。
しかし当の彼女は、たった今飼い主の存在に気がついたのか、ようやくアリスから視線を外した。
「あ、ごめ、ごめんなさい……勝手に触っちゃって……」
「? そんなの気にしないよ。おねえさん、すごいアリスに懐かれてるもん」
紫乃は助け舟を求めるように朝陽を見る。
そんな彼女のことを察して、小さく頷いてあげた。
「懐いてるみたいだし、もうちょっと触ってあげなよ。その方がアリスも喜んでくれると思うし」
「あ、うん。そうする……」
それから紫乃は、先ほどよりも遠慮がちにアリスのことを撫でる。しかし我慢が出来なくなったのか、頭から頬へ、気付いた時には首元を優しく撫でて、幸せそうな表情を浮かべていた。
五分ほど自由にさせた後、女の子もそろそろ行かなきゃいけないだろうと思い、紫乃に声をかけた。
「そろそろ行こっか。ありがとね、アリスちゃんを触らせてくれて」
「あ、いえ。こちらこそ、アリスを可愛がってくれてありがとうございます!」
そう言って女の子は頭を下げると、先ほどよりも大人しくなったアリスと向こうへ歩いていく。その後ろ姿を眺める紫乃は、ほんの少しだけ物足りないような表情をしていた。
「それじゃあ行こっか朝陽くん」
「うん、そうだね」
それからも紫乃は、道行く途中で綺麗なものを見つけては立ち止まり、それを眺めていた。たとえばそれは真っ青な空に線を引く飛行機雲であったり、真っ黒なな子猫であったり。
当初お昼時にはまだ早いと思っていたが、目的のお店に着く頃にはお昼を少し過ぎたぐらいの時間になっていた。