ふっと彼女の力が抜けて、朝陽は地面に倒れこみそうになる。

 しかし両足を大地に強く踏みしめ、なんとか踏ん張った。

 そして彩はすぐに目を覚ます。

 もう、夜空に花火は打ち上がっていない。

「……朝陽くん?」
「起きた……? 彩さん」
「……私っ……私っ!」

 彩が朝陽の背中で抵抗したため、彼女をすぐに地面に下ろした。それからすぐに彩は距離を取り、両腕で自分の身体を抱きしめたまま地面に膝をつく。

「どうして、私がここにいるの……?」

 声を震わせながら、彩はそう呟く。全身を小刻みに震わせながら、瞳からは大粒の涙が流れていた。

「……それは、紫乃が望んだからだよ」
「紫乃が……?」
「彩さんに生きていてほしいって、紫乃が願ったんだ。だから再び全てを投げ出して、彩さんに命を繋いだんだ」
「そんなの私、望んでないっ……紫乃が生きられるなら、私はそれでよかったのにっ!」

 その言葉を聞いて、思わず近付いて頬を引っ叩きたくなる衝動に駆られた。しかし、その衝動的な気持ちをなんとかして心の奥に押しとどめる。

 彩は生きなきゃいけない。彼女の心臓はまだ、元気にドクドクと脈打っているのだから。

 朝陽は彩に近づく。そして、その震える身体を抱きしめた。生きていくことに対する怯えが収まることを祈りながら。

「……やめてっ! 私が、朝陽くんに抱きしめられる資格なんてっ……!」
「それは僕が決めることだ。僕らは、生きなきゃいけない。消えて行った紫乃のためにも、最後まで。彼女は彩さんに命を繋いだ。僕は、彼女のことを助けることが出来なかった。だからその全てを背負って、これから先の人生を歩んでいかなきゃいけないんだ」

 抵抗を見せていた彩は、逃げられないことがわかったのか、強張らせていた身体からふっと力を抜く。ひっくひっくと、肩を揺らしながら彼女は泣き続ける。

 それが収まった頃、彩はぽつりと呟いた。

「今まで、嘘をついていてごめんなさい……」
「違うよ。彩さんは、ちゃんと紫乃との約束を守っていただけなんだから」

 紫乃を演じている時、彼女はとても辛かったのだろう。自分が提案したこととはいえ、ずっと素性を隠し続けていたのだから。

 彩は純粋ゆえに、背負いこむものが多すぎた。それを朝陽は、誰よりも先に気付いてあげるべきだったのだ。

「彩は、どうして僕の前からいなくなろうとしたの?」
「怖かったの……」

 彩は、ポツリポツリと話し始める。

「本当のことを話した時に、私が朝陽くんに必要とされないんじゃないかって……朝陽くんは、たぶん私より紫乃に生きていてほしいと思ってるから……私も、紫乃に生きていてほしかったから……私がいると、きっと紫乃が幸せになれない……だから、私の方からいなくなろうとしたの……」
「そうだったんだ……」

 彼女の話したことは、ほとんど乃々さんの言った通りだった。人一倍自己犠牲精神の強い、優しい女の子。彩の生き方は、とても危うい。

「確かに僕は、紫乃に生きていてほしいと思ったよ。だけどそれと同じぐらい、彩さんにも生きていて欲しいと思ったんだ。この気持ちは偽りなんかじゃない。気を使って言ってるわけでもない。だって僕は、彩さんのことが好きだから」
「っ……?!」

 また、彩は朝陽の腕の中で身体を強張らせる。しかし、今度のそれは怯えや逃げではなく、朝陽が告白したことによる羞恥のためなのだろう。

 これ以上抱きしめているのはよくないと思い、朝陽は彼女のことを解放する。すると彩は暗闇でもわかるぐらい顔を赤くさせて、朝陽から若干の距離を取った。

「そんな、朝陽くんが私のことを好きだなんて……」
「信じられないと思うけど、本当だよ。僕は、彩さんのことが好きだ」
「そんな……そんなの、信じられない……」

 彼女がそう思うのも当然のことだ。朝陽が彩のことを好きだと自覚した時には、彼女は深い眠りについていたのだから。

 彩にとっては、あのお祭りからしばらく、一秒も時間が進んではいなかったのだ。

「たぶん言葉でいくら説明しても、僕の気持ちは伝わらないと思う。だから、彩さん自身の目で見極めてほしいんだ。僕の気持ちが本当だって分かった時に、あらためて告白の返事をくれないかな。もし僕の気持ちが分からなかったら、遠慮なく振ってもらっても構わないから」

 それは一種の賭けだった。

 彩は今、精神的に不安定な状態にある。誰よりも生きたいと強く願う人だと乃々は言っていたが、ふとした拍子に突発的な行動を取りかねない。

 だから自分自身に向けられている気持ちに向き合わせることで、少しは彼女の気分を紛らわせることができるのではないかと思ったのだ。

 そして彩が朝陽の気持ちを知った時、彼女も朝陽に同じ気持ちを抱いてくれていたとしたなら、もう生きたくないという気持ちは抱いたりしなくなるだろう。

「時には後ろ向きに考えてもいいんだ。だけど、そういう時は僕の言葉を思い出してほしい。僕は、君の人生に関わりたい。だから悩みがあったりしたら、遠慮なく相談してほしい。大切なことは目には見えないからこそ、言葉にして伝えなきゃいけないから」

 その朝陽の言葉に、彩はようやく頷いた。

 きっとここから、二人の人生は始まるのだろう。紫乃を失ったこの場所で、再スタートを切るのだ。

 その時、二人を祝福するかのように笛の音が鳴った。まばゆい光は暗い世界を明るく明るく照らし出し、茶色い地面に二人分の影を作り出す。

 世界は、七色に色づき始めた。