「人の心に魂があると仮定した場合、もちろん生きたいと望めば魂は強く反応するでしょう。紫乃さんは、心の底で生きたいと願った。もしくはやり残したことがあったのかもしれません。その思いがこんな奇跡を起こしたのだとすれば、ちょっとロマンチックじゃないですか?」

 唐突に年頃の女の子のような笑み浮かべたため、朝陽は反応に戸惑った。

「……どうして君は、そこまで詳しいの?」
「乃々は、ずっとそばでお姉ちゃんのことを見てきたからですよ。心臓移植が成功して数日が経ったとき、お姉ちゃんは突然病院のベッドの上で悲鳴をあげました。そして、今の紫乃さんのように布団へくるまって、誰とも話をしようとしなかったんです。かと思えば、しばらく経てば元通りになっていて、お姉ちゃんにその時の記憶はありませんでした。こんなことが起きれば、さすがに不安になっていろんな可能性を検討しますよね」
「あの時は、本当にびっくりしちゃって……」

 今まであまり喋らなかった紫乃が、控えめに話に入ってくる。ここから先は、彼女からも話を聞かなければいけない。

「それじゃあ、綾坂さんは二重人格になったってこと?」
「二重人格という言い方は、実はあまり正しくはありません。正確にはDID、解離性同一性障害といいます。乃々も初めはお姉ちゃんがこの病気になったのかなと思ったんですけど、おそらく違いますね」

「どうしてそう言い切れるの?」

「お姉ちゃんは心臓病を患ってはいましたが、いつも前向きで笑顔を絶やさない人でしたから。周りにいた入院患者の方も良い人たちばかりで、DIDを発症する原因になる心的外傷を負うことは、ただの一度もありませんでした」

 つまり、彩と紫乃は病気などではなく、偶然にもそういうことが起こってしまったと捉えるのが正しいのだろう。

「紫乃は、どうやって綾坂さんと連絡を取ってたのかな。今までの話を聞いた限りだと、直接お互いに話すことはできないよね」
「……これ」

 紫乃はガサゴソと身じろぎして、布団の中からあるものを取り出した。それを見て、朝陽はなるほどとすぐに納得する。

 それは彼女が頻繁に操作していたスマホだった。

「彩ちゃんが、紫乃にこれで話しかけてくれたの」

 つまり、身の回りで起きた出来事をスマホを介してお互いに伝え、意思の疎通を行なっていたのだろう。

「そうですね。お姉ちゃんは、最初こそみんなに不審がられていましたが、それもすぐに気にならなくなりました。乃々は、それからも疑ってたんですけどね。ところで一つ訊きたいのですが、今からお姉ちゃんと話すことはできないでしょうか。入れ替わりの方法が分からないので、待ってくださいと言われれば待ちますよ」

 乃々は決して怖い顔をせずに、常に人懐っこい笑みを浮かべている。きっとどんな人にでも、その笑顔を振りまいているのだろうと朝陽は思った。

 しかし、紫乃はそんな乃々を見て途端に唇を引き結び、今にも泣き出しそうな表情を浮かべる、

「交代は紫乃の意識を沈めるようにしたら、すぐに出来るの。でも朝起きた時から、全然彩ちゃんが出てこなくて……!ねえ朝陽くん。昨日、彩ちゃんと何があったの……?」
「昨日……」

 朝陽は未だ色濃く覚えている昨日の出来事を、二人へ話した。

「昨日は、紫乃……綾坂さんと一緒に、学校の吹奏楽を見に行ったんだ。その後はお祭りを楽しんで、父さんのやってる屋台の手伝いをして……本当は途中から花火を見に行けるはずだったんだけど、代わりの人が来れなくなって……」

 それから手伝いが終わった後、二人で川辺の方まで走った。だけど彩が転んでしまい、花火は終わってしまう。そして彼女の正体を聞こうとしたら、突然倒れるように眠ってしまった。

 その一連の出来事を、朝陽は説明した。

 話を聞いていた紫乃は、だんだんと表情がけわしくなっていったが、乃々はどこまでも落ち着き払っている。自分の姉の話だというのに。

「そういうことが、あったんだ……」
「綾坂さんが出てこなくなった理由、紫乃にはわかる?」

 紫乃はコクリと頷いた。

「お祭りの時は、元々紫乃が表に出てくるはずだったの。だけどそれを彩ちゃんに譲って、紫乃は花火だけ見られればいいと思ってた。それでいいと、思ってた……」

「だけど事情があって、紫乃さんに花火を見せることができなくなった。それどころか正体まで知られることになって、きっとお姉ちゃんはパニックになったんでしょう。そして、自分さえいなければと思ってしまったのかもしれません」

「そんな、綾坂さんは何も悪くないのに……」

「そうですね。お姉ちゃんは何も悪くありません。だけどお姉ちゃんは、そういう人なんです。人一倍自己犠牲精神が強くて、優しくて、だけど……」

 そこで初めて乃々は言い淀む。だから朝陽にはその姿がとても印象強く残ったが、彼女はすぐに笑ったため、意識はそちらへと向けられた。

「彩ちゃんは、もう戻ってこないのかな……」

「そんなことはないと思いますよ。お姉ちゃんの身体はどこまで行ってもお姉ちゃんの身体ですし、きっとどこかで引っかかっていると思います」

「そうだったらいいんだけど……そうじゃなかったら、紫乃は……」

 ポロリと、綺麗な瞳から一筋の涙が落ちる。

「大丈夫だよ。綾坂さんは、きっとまた戻ってくるから。だから、一緒に解決策を考えよう」
「そうですね。乃々もしばらくはここにいるので、三人でお姉ちゃんのことを考えましょうか」

 乃々はそう言ったが、聡明な彼女ならばもう答えは出ているのだろう。朝陽にも、彩を救う手立てはすでに思い付いているのだから。