「初めまして、と言った方がいいんですよね朝陽さん。私は綾坂彩の妹の、綾坂乃々と申します」
「あ、えっと、初めまして……」
「うちの姉が、これまたずいぶんとお世話になったようで」
乃々はチラリと布団にくるまっている彩を見た。突然視線を投げかけられた彩は、びっくりしたのか再び顔を布団の中へと隠してしまう。
そんな彼女の姿を見て、乃々は人差し指を唇の下に当てながら納得したように頷いた。
「こうやって面と向かってちゃんとお話しをするのは、朝陽さんと同じく初めてですよね。レシピエントとその家族は、ドナーの個人情報を一切知らされないのでわかりませんが、昨日の電話から察するに、あなたの名前は東雲紫乃さん?」
レシピエント、ドナー。その聞き慣れない単語に首をかしげる。しかしそんなことよりも、彼女が綾坂彩のことを東雲紫乃と呼んだことに朝陽は動揺を隠せなかった。
だって、彼女は……
「待って、乃々さん。彼女は綾坂彩さんだよ。だって東雲紫乃は……」
「東雲紫乃さんは、交通事故で死んでしまった。そういうことですよね?」
「あ、うん。そうなんだけど……」
「その辺の話をするために、乃々はこちらへやってきたんです。でもまずは、お姉ちゃんなのか、紫乃さんなのかをハッキリさせなきゃいけません。あなたは、東雲紫乃さんですか?」
そんなこと、あるはずがない。
昨日、彼女は東雲紫乃ではなく、綾坂彩であるという結論が出たのだから。だけどそんな結論を、布団にくるまっている彼女はいとも簡単に覆す。
――紫乃は、布団の中でコクリと頷いた。
「え……嘘でしょ?」
「ごめん、朝陽くん……ずっと、黙ってて」
「待ってよ……紫乃は、だって、紫乃は……」
「落ち着いてください朝陽さん」
そう言われても、落ち着いていられるはずがない。乃々だって、朝陽と同じはずだ。彼女が東雲紫乃であるならば、姉である綾坂彩はどこへ行ったのだという話になる。
しかし当の彼女は、この場にいる誰よりも落ち着いていた。
「そうですね。まず何から話しましょうか」
一度息を吐いた後、乃々は紫乃に視線を向ける。紫乃は、サッと彼女から視線を外した。
「では最初に、お姉ちゃんの病気についてお話ししますね。電話でもお伝えした通り、お姉ちゃんは幼い頃から拡張型心筋症を患っていました」
「それは、もう治ったんだよね?」
朝陽は医学の知識がないため、拡張型心筋症と言われても具体的な症状を思い浮かべたりすることはできない。ただ、とても重い病気だということは、学校の保険の授業でチラと耳にしたことがある。
「そうですね。拡張型心筋症は、今年めでたく完治いたしました。ところで、朝陽さんは拡張型心筋症の治療法をご存知ですか?」
「いや、名前ぐらいは聞いたことがあるけど……薬をずっと飲んでいれば、治るんじゃないの?」
「薬物治療は、基本的には悪化を遅らせるということしかできません。特にお姉ちゃんは年々病状が悪化していたので、薬を飲み続ければいずれは、というのは期待できませんでした」
「じゃあ、どうして完治したの?」
朝陽が質問すると、乃々はそれ以上もったいぶることをせずに、真面目に答えた。
「症状が悪化して、もうどうにもできないという重篤な患者には、心臓移植しか残された道はないんですよ」
「心臓移植……」
「といっても、そんな簡単に移植が出来るわけではありませんよ。いろいろな条件が適合して、初めて心臓移植が出来るんです。それに適合したのは、日本のどこかで交通事故に遭い、脳死状態になった女の子だとお医者様から聞いてます」
「まさか、それって」
「ご察しの通り、そういうことになりますね」
朝陽は布団にくるまったままの紫乃を見た。彼女はただ申し訳なさそうに、視線をそらす。心の奥に形容することのできないモヤモヤとした感情が溜まり、この気持ちをどこに吐き出せばいいのか朝陽には分からなかった。
「……でも仮に、紫乃の心臓が綾坂さんに移植されていたとして、じゃあどうして紫乃はここにいるの。紫乃は……交通事故に遭ったんだよね……?」
「ここからは、全て乃々の憶測みたいな話になるのですが、それでも朝陽さんは聞きたいですか?」
「……聞きたいよ。聞かなきゃ、全然納得出来ないんだから」
「そうですよね。じゃあ、乃々が自分なりに調べたことを、朝陽さんにお伝えしたいと思います」
乃々は座布団の上に正座をして姿勢を正した。「これからは、少し長い話になります」そう彼女が前置きをしたため、朝陽も座布団の上に腰を下ろす。
彼女は一つ一つ、ゆっくりと語り始めた。
「これは心臓移植をした患者にたびたび見られる変化なのですが、手術をした前後では好きな食べ物や趣味、性格などに変化が起きることがあるらしいんです」
「それは、心臓を移植したことによって、ドナーの性格が患者に移るから?」
「そう言われていますが、どうしてそのような変化が起きるのかは未だ解明されていませんね。これは先ほど乃々が言ったように、レシピエント――この場合はお姉ちゃんのことになるのですが、お姉ちゃんとその家族には、ドナーの個人情報は一切知らされません。だから、確かめる術がないのです。
それに記憶が脳に宿るのか、それとも心に宿るかなんてのは、分かるはずがないんですから。でも、そういう事象が起こるということは、人の心には魂が存在する――かもしれない、ということなのでしょう」
朝陽はふと、あることを思い出す。それはネットの海を漂っていたときに偶然見つけた記事だった。
魂には重さがある。
昔、ある人が、人間の死の前後の体重を測ったところ、二十一グラムだけ重さが減っていたらしい。この結果から、人の魂の重さは二十一グラムだという仮説が生まれた。
その話自体に信憑性があるのか定かではないが、心臓移植をすることによって性格の転移が起きるというのならば、魂には重さがあると言えるのかもしれない。
「あ、えっと、初めまして……」
「うちの姉が、これまたずいぶんとお世話になったようで」
乃々はチラリと布団にくるまっている彩を見た。突然視線を投げかけられた彩は、びっくりしたのか再び顔を布団の中へと隠してしまう。
そんな彼女の姿を見て、乃々は人差し指を唇の下に当てながら納得したように頷いた。
「こうやって面と向かってちゃんとお話しをするのは、朝陽さんと同じく初めてですよね。レシピエントとその家族は、ドナーの個人情報を一切知らされないのでわかりませんが、昨日の電話から察するに、あなたの名前は東雲紫乃さん?」
レシピエント、ドナー。その聞き慣れない単語に首をかしげる。しかしそんなことよりも、彼女が綾坂彩のことを東雲紫乃と呼んだことに朝陽は動揺を隠せなかった。
だって、彼女は……
「待って、乃々さん。彼女は綾坂彩さんだよ。だって東雲紫乃は……」
「東雲紫乃さんは、交通事故で死んでしまった。そういうことですよね?」
「あ、うん。そうなんだけど……」
「その辺の話をするために、乃々はこちらへやってきたんです。でもまずは、お姉ちゃんなのか、紫乃さんなのかをハッキリさせなきゃいけません。あなたは、東雲紫乃さんですか?」
そんなこと、あるはずがない。
昨日、彼女は東雲紫乃ではなく、綾坂彩であるという結論が出たのだから。だけどそんな結論を、布団にくるまっている彼女はいとも簡単に覆す。
――紫乃は、布団の中でコクリと頷いた。
「え……嘘でしょ?」
「ごめん、朝陽くん……ずっと、黙ってて」
「待ってよ……紫乃は、だって、紫乃は……」
「落ち着いてください朝陽さん」
そう言われても、落ち着いていられるはずがない。乃々だって、朝陽と同じはずだ。彼女が東雲紫乃であるならば、姉である綾坂彩はどこへ行ったのだという話になる。
しかし当の彼女は、この場にいる誰よりも落ち着いていた。
「そうですね。まず何から話しましょうか」
一度息を吐いた後、乃々は紫乃に視線を向ける。紫乃は、サッと彼女から視線を外した。
「では最初に、お姉ちゃんの病気についてお話ししますね。電話でもお伝えした通り、お姉ちゃんは幼い頃から拡張型心筋症を患っていました」
「それは、もう治ったんだよね?」
朝陽は医学の知識がないため、拡張型心筋症と言われても具体的な症状を思い浮かべたりすることはできない。ただ、とても重い病気だということは、学校の保険の授業でチラと耳にしたことがある。
「そうですね。拡張型心筋症は、今年めでたく完治いたしました。ところで、朝陽さんは拡張型心筋症の治療法をご存知ですか?」
「いや、名前ぐらいは聞いたことがあるけど……薬をずっと飲んでいれば、治るんじゃないの?」
「薬物治療は、基本的には悪化を遅らせるということしかできません。特にお姉ちゃんは年々病状が悪化していたので、薬を飲み続ければいずれは、というのは期待できませんでした」
「じゃあ、どうして完治したの?」
朝陽が質問すると、乃々はそれ以上もったいぶることをせずに、真面目に答えた。
「症状が悪化して、もうどうにもできないという重篤な患者には、心臓移植しか残された道はないんですよ」
「心臓移植……」
「といっても、そんな簡単に移植が出来るわけではありませんよ。いろいろな条件が適合して、初めて心臓移植が出来るんです。それに適合したのは、日本のどこかで交通事故に遭い、脳死状態になった女の子だとお医者様から聞いてます」
「まさか、それって」
「ご察しの通り、そういうことになりますね」
朝陽は布団にくるまったままの紫乃を見た。彼女はただ申し訳なさそうに、視線をそらす。心の奥に形容することのできないモヤモヤとした感情が溜まり、この気持ちをどこに吐き出せばいいのか朝陽には分からなかった。
「……でも仮に、紫乃の心臓が綾坂さんに移植されていたとして、じゃあどうして紫乃はここにいるの。紫乃は……交通事故に遭ったんだよね……?」
「ここからは、全て乃々の憶測みたいな話になるのですが、それでも朝陽さんは聞きたいですか?」
「……聞きたいよ。聞かなきゃ、全然納得出来ないんだから」
「そうですよね。じゃあ、乃々が自分なりに調べたことを、朝陽さんにお伝えしたいと思います」
乃々は座布団の上に正座をして姿勢を正した。「これからは、少し長い話になります」そう彼女が前置きをしたため、朝陽も座布団の上に腰を下ろす。
彼女は一つ一つ、ゆっくりと語り始めた。
「これは心臓移植をした患者にたびたび見られる変化なのですが、手術をした前後では好きな食べ物や趣味、性格などに変化が起きることがあるらしいんです」
「それは、心臓を移植したことによって、ドナーの性格が患者に移るから?」
「そう言われていますが、どうしてそのような変化が起きるのかは未だ解明されていませんね。これは先ほど乃々が言ったように、レシピエント――この場合はお姉ちゃんのことになるのですが、お姉ちゃんとその家族には、ドナーの個人情報は一切知らされません。だから、確かめる術がないのです。
それに記憶が脳に宿るのか、それとも心に宿るかなんてのは、分かるはずがないんですから。でも、そういう事象が起こるということは、人の心には魂が存在する――かもしれない、ということなのでしょう」
朝陽はふと、あることを思い出す。それはネットの海を漂っていたときに偶然見つけた記事だった。
魂には重さがある。
昔、ある人が、人間の死の前後の体重を測ったところ、二十一グラムだけ重さが減っていたらしい。この結果から、人の魂の重さは二十一グラムだという仮説が生まれた。
その話自体に信憑性があるのか定かではないが、心臓移植をすることによって性格の転移が起きるというのならば、魂には重さがあると言えるのかもしれない。