可能性の話として、いずれ××と結ばれることになれば、必ず彼女のことを大切にする。そう心に誓った。
しばらくすると、遠くの方から花火玉が打ち上がる時に鳴る笛の音が聞こえてくる。それは花火大会の始まりの合図を示していて、辺りがシンと静まり返った。
そして僅かな間の後に、大きな爆発音が響き渡る。暗い夜空は、一瞬にして赤色と黄色の花模様に染められた。静まり返っていた神社の中は、しばらく前の喧騒を思い出すかのように、一斉に歓喜の声が上がる。
「綺麗だね」
受付をしている彼女へ、朝陽は話しかける。××は、夜空に咲いた大きな花に見惚れていた。
「綺麗……」
やがて光を失っていく花火を追いかけるように、二発目の花火が打ち上がる。今度はいくつも笛の音が鳴り、夜空には赤青紫と、様々な色が浮かび上がった。
「君は、僕のことを花火みたいな人だって言ったけど、あれってどういう意味なの?」
あの日彼女に言われた言葉が、心の隅に引っかかっていた。実物を見てみれば理解できるかと思っていたが、やはり朝陽にはわからない。
彼女は花火から視線を外して、首を斜めにかしげた。
「花火みたいな人?」
「うん。言ってたよね、前に」
しばらく人差し指を唇の下に当てて考える仕草を取った後、彼女は申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめん。忘れちゃった」
忘れてしまったということは、それほど重要なことではないのだろう。朝陽もそれきりその言葉は頭の中から消え失せて、代わりに夜空に輝く綺麗な花火に染められた。
花火は畳み掛けるように何度も何度も夜空へ打ち上がる。お祭りの盛り上がりは最高潮を見せ、屋台の前は人で溢れていた。
もうそろそろ父の友人がやってきて、二人は花火大会を楽しめる。そんな時に、事件は起こった。
「はぁ?! 家の階段から落ちた?!」
朝陽がその父の大声を聞いたのは、おそらく生まれて初めてのことだった。そばにいたためびっくりしたものの、屋台の外はお祭りで賑わっているため、誰もこちらへ見向きはしない。
父は一昔前のガラケーを耳に当てて、険しい表情を浮かべていた。
「階段から落ちたってお前、怪我とかしてないのか?」
その安堵の表情から察するに、それほど重い怪我はしていないのだろう。しかし通話を切った後、その表情から一転、とても申し訳なさそうな顔で朝陽へ頭を下げた。
「すまん朝陽……手伝いに呼んでたやつが来れなくなった……」
「あ、うん……仕方ないよ」
朝陽はチラと屋台に並んでいる人を見た。今はちょうど誰も並んでいないが、この後に一人で唐揚げを揚げて接客をできるわけがない。
花火は向こうの河川で上がり続ける。ここからでも花火を見れるのが、不幸中の幸いだった。
朝陽は××へ事情を説明することにした。
「ごめん。ちょっといいかな」
「どうしたの?」
「お手伝いの人が来れなくなったから、最後まで手伝うことになっちゃって……」
「えっ……」
笑顔から一転、彼女の表情は悲しみの色へと変化する。瞳は今にも泣き出してしまいそうなぐらい揺れて、朝陽の心もしめつけられた。
きっと、間近で花火が見られるのをとても楽しみにしていたのだろう。
「花火が終わるまでに、なんとかならないの……?」
「たぶん、無理だと思う。準備してた食材が全部無くなれば終わりなんだけど、結構余裕を持って準備してきたらしいから……」
そんな話をしているうちに、また新しい客がやってきて唐揚げを注文する。先ほどまで笑顔を浮かべられていた彼女は、泣きそうな顔になりながら応対した。
しかし動揺してしまっているのか、受け取った小銭を地面に落としてしまう。朝陽はそれを拾い上げて、代わりに接客を代わった。
「ここからでも花火は見えるから、お手伝いしながら一緒に楽しもっか」
「でも……」
「ほんとにごめん」
一緒に間近で花火が見られないことを、朝陽も残念に思っている。彼女には、お祭りをめいっぱい楽しんでほしかった。そんな二人の気持ちを知らずに、花火は上がり続ける。
諦めるように、彼女は頷いてくれた。
それからは客足が途絶えることはなく、花火が打ち終わる五分前に全ての唐揚げが完売した。朝陽は片付けも手伝う気でいたが、父に後のことは任せろと言われたため、彼女の元へと戻る。
「もう少しで終わっちゃうけど、もっと近い場所まで歩こうか」
そう言って、彼女の手を握ろうとする。しかし朝陽が握るより前に、彼女はその手を握った。そのまま屋台の外へと走り出し、人混みの中へと迷わずに突っ込んでいく。
「ちょっと、そんなに早く走ったら危ないって」
「ごめん朝陽くん。でも、時間がないから……!」
時間がない。
夜空に打ち上がる花火がそれを知らせてくれていた。花火大会は最後の盛り上がりを見せて、数え切れないほど何発も火花を散らせている。
紫、青、黄色、ピンク、緑、赤。
黒と星のキャンバスに、様々な色が浮かび上がっていく。花火が、綺麗だった。
しかしそんな花火を見向きもせずに、彼女はただ神社の外へ向かって走り続ける。ここからでも、十分美しい景色は見えるというのに。
やがて、神社の鳥居が見えてくる。あの赤い門を抜けてしばらく下れば、河川敷へと出る。
だが、鳥居まで後少しというところで、彼女の身体が地面から浮き上がった。速度を付けすぎて、地面に足を取られてしまったのだ。朝陽も彼女の勢いにつられそうになったが、咄嗟の判断で足を踏ん張る。
それにより最悪の事態は回避できたものの、彼女の勢いを全て殺すことが出来ずに、勢いよく地面へと落下した。
「大丈夫?!」
朝陽は慌てて彼女へ駆け寄る。なんとか受け身は取れていたようだが、足から血が流れていて、とても歩ける状態ではない。
苦悶の表情を浮かべながら、彼女は呟く。
「早く、行かなきゃ……」
「もう無理だよ。この足じゃ」
「でも……!」
立ち上がって歩き出そうとした彼女を、朝陽は慌てて制止させる。こんな状況で走り回ったりすれば、傷はさらに悪化してしまうだろう。
怪我をした彼女の姿を見て、周りの人が二人の元へ駆け寄ってきた。血を止めるためにタオルをくれたおばさんにお礼を言って、朝陽は彼女をおぶる。
「とりあえず、すぐに傷口を洗わなきゃ。ばい菌が入ったら大変だから」
「私のことは、大丈夫だから!」
「大丈夫なんかじゃないよ。血が出てるのに、放ってなんかおけない」
おぶっているとき、彼女はジタバタと少しだけ暴れたが、挫いた足が痛かったのか、すぐにおとなしくなった。ひとまず蛇口のある場所を探していると、社務所の裏に簡易的な水場があるのを見つける。
こちらは屋台が立ち並んでいる区画からは離れているため、お祭りの喧騒は届かない。
花火の音は、いつのまにかやんでいた。
「ちょっと染みるかもしれないけど、我慢してね」
「いつっ……!」
直接ではなく、蛇口から水を出して手のひらですくい、なるべく優しく彼女の傷口へと流した。赤い血は水と混ざり合って、地面へとサラサラ流れていく。
やはり水が染みたのか、彼女は涙目になっていた。
足についた砂利などが取れたため、おばさんからもらったハンカチを傷口へ当てる。応急処置は出来たものの、すぐに家へと戻り大きめの絆創膏を貼らなければいけない。
彼女の瞳からは、涙が溢れていた。
「私のせいで……」
「君のせいじゃないよ。転んだのは仕方ないことなんだから」
「違うの……! 私のせいなのっ」
涙を流しながら、彼女は首を振る。
朝陽には分からなかった。
花火なら、神社の中からでも十分見えたというのに。
泣きじゃくる彼女を支えてあげたくて、朝陽は横から抱きしめる。手のひらで、頭を撫でてあげた。しばらくそうしてあげると、彼女は泣きやみ、だんだんと落ち着いてくる。
朝陽は、覚悟を決めた。
「君と、話したいことがたくさんあるんだ」
「……話したいこと?」
彼女の不安を取り除くためには、彼女自身の秘密と向き合わなければいけない。きっと自分にしている隠し事が、××を追い込んでいるのだと朝陽は考えている。
「僕に、隠し事をしてるよね?」
「隠し事……?」
「君は、紫乃じゃない」
瞬間、朝陽の抱きしめている彼女の身体が強張った。
「紫乃じゃないって、どういうこと……? 私は、紫乃だよ……?」
「違う」
今度はハッキリと、彼女の目を見て告げた。君は、東雲紫乃じゃない。
「紫乃は、交通事故に遭って死んだはずなんだ。だから、紫乃がここにいるはずがない」
その真実を朝陽は知らないと思っていたのだろう。だから彼女は突然のことに驚き、大きな瞳を丸めた。
「ど、どうして……どうして知ってるの……?」
「偶然、君のスマホの画面が見えたんだ。そこに春樹の名前があって、懐かしくなって電話をかけた。その時に、全部聞いた」
東雲紫乃は、この世界に存在しない。それは確かな真実となり、朝陽の心をしめつける。何かの間違いという希望的観測は、あっけなくも打ち砕かれた。
しかし、そんなことを今考えていても仕方がない。朝陽は、紫乃ではない彼女の手をもう一度握った。
「僕は、怒ってないよ。でも、全部話してほしい。どうして君が、僕の前に現れたのか」
「嫌……」
消え入りそうな、震える声で彼女は呟く。嫌と言って首を振り、朝陽の手を振りほどいた。
「私の、私のせいでっ……!」
「君のせいじゃない!」
「嫌っ!!」
彼女の大声に、朝陽は思わず怯んだ。
そして、彼女は涙声になりながら、呟いた。
「私がいなくなれば、紫乃ちゃんは幸せになれるんだよね……」
「何を……」
何を言ってるの?
その言葉を言い終わる前に、彼女の身体がゆらりと揺れる。そして地面に倒れこみそうになったところを、慌てて抱きとめた。
以前にも、こんな風に突然倒れこみそうになったことがあるのを、朝陽は思い出す。確かあれは、珠樹を含めた三人で遊びに行った日。
彼女は珠樹を認識した瞬間に、今のようにゆらりと倒れ込んでいた。
「ねえ」
名前を呼びたかったが、彼女の名前を朝陽は知らない。
「大丈夫……?」
返事はなかった。彼女は目をつぶったまま、朝陽の腕の中に収まっている。心臓がどくんと大きく跳ねた。最悪の想像が頭をよぎり、喉がカラカラに乾燥していく。
しかし、さすがにその想像は当たらなかった。
腕の中の彼女は、小さな息を吐いてしっかりと身体を揺らしている。口元から、安らかな寝息の音が響く。
「……寝てるの?」
問いかけても、もちろん返事は返ってこない。スーと息を吸って、気持ちよさそうに吐いている。あんなことがあった後だというのに、朝陽は身体全体に脱力感を覚えた。
彼女を起こさないようにして、もう一度おぶりなおす。これからのことは、彼女が起きた時に考えればいいだろう。その頃には、お互いに落ち着いているはずだ。
そう、思っていた。
ふと気になって、朝陽はスマホで時刻を確認する。
今は、夜の九時を回ったところだった――
しばらくすると、遠くの方から花火玉が打ち上がる時に鳴る笛の音が聞こえてくる。それは花火大会の始まりの合図を示していて、辺りがシンと静まり返った。
そして僅かな間の後に、大きな爆発音が響き渡る。暗い夜空は、一瞬にして赤色と黄色の花模様に染められた。静まり返っていた神社の中は、しばらく前の喧騒を思い出すかのように、一斉に歓喜の声が上がる。
「綺麗だね」
受付をしている彼女へ、朝陽は話しかける。××は、夜空に咲いた大きな花に見惚れていた。
「綺麗……」
やがて光を失っていく花火を追いかけるように、二発目の花火が打ち上がる。今度はいくつも笛の音が鳴り、夜空には赤青紫と、様々な色が浮かび上がった。
「君は、僕のことを花火みたいな人だって言ったけど、あれってどういう意味なの?」
あの日彼女に言われた言葉が、心の隅に引っかかっていた。実物を見てみれば理解できるかと思っていたが、やはり朝陽にはわからない。
彼女は花火から視線を外して、首を斜めにかしげた。
「花火みたいな人?」
「うん。言ってたよね、前に」
しばらく人差し指を唇の下に当てて考える仕草を取った後、彼女は申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめん。忘れちゃった」
忘れてしまったということは、それほど重要なことではないのだろう。朝陽もそれきりその言葉は頭の中から消え失せて、代わりに夜空に輝く綺麗な花火に染められた。
花火は畳み掛けるように何度も何度も夜空へ打ち上がる。お祭りの盛り上がりは最高潮を見せ、屋台の前は人で溢れていた。
もうそろそろ父の友人がやってきて、二人は花火大会を楽しめる。そんな時に、事件は起こった。
「はぁ?! 家の階段から落ちた?!」
朝陽がその父の大声を聞いたのは、おそらく生まれて初めてのことだった。そばにいたためびっくりしたものの、屋台の外はお祭りで賑わっているため、誰もこちらへ見向きはしない。
父は一昔前のガラケーを耳に当てて、険しい表情を浮かべていた。
「階段から落ちたってお前、怪我とかしてないのか?」
その安堵の表情から察するに、それほど重い怪我はしていないのだろう。しかし通話を切った後、その表情から一転、とても申し訳なさそうな顔で朝陽へ頭を下げた。
「すまん朝陽……手伝いに呼んでたやつが来れなくなった……」
「あ、うん……仕方ないよ」
朝陽はチラと屋台に並んでいる人を見た。今はちょうど誰も並んでいないが、この後に一人で唐揚げを揚げて接客をできるわけがない。
花火は向こうの河川で上がり続ける。ここからでも花火を見れるのが、不幸中の幸いだった。
朝陽は××へ事情を説明することにした。
「ごめん。ちょっといいかな」
「どうしたの?」
「お手伝いの人が来れなくなったから、最後まで手伝うことになっちゃって……」
「えっ……」
笑顔から一転、彼女の表情は悲しみの色へと変化する。瞳は今にも泣き出してしまいそうなぐらい揺れて、朝陽の心もしめつけられた。
きっと、間近で花火が見られるのをとても楽しみにしていたのだろう。
「花火が終わるまでに、なんとかならないの……?」
「たぶん、無理だと思う。準備してた食材が全部無くなれば終わりなんだけど、結構余裕を持って準備してきたらしいから……」
そんな話をしているうちに、また新しい客がやってきて唐揚げを注文する。先ほどまで笑顔を浮かべられていた彼女は、泣きそうな顔になりながら応対した。
しかし動揺してしまっているのか、受け取った小銭を地面に落としてしまう。朝陽はそれを拾い上げて、代わりに接客を代わった。
「ここからでも花火は見えるから、お手伝いしながら一緒に楽しもっか」
「でも……」
「ほんとにごめん」
一緒に間近で花火が見られないことを、朝陽も残念に思っている。彼女には、お祭りをめいっぱい楽しんでほしかった。そんな二人の気持ちを知らずに、花火は上がり続ける。
諦めるように、彼女は頷いてくれた。
それからは客足が途絶えることはなく、花火が打ち終わる五分前に全ての唐揚げが完売した。朝陽は片付けも手伝う気でいたが、父に後のことは任せろと言われたため、彼女の元へと戻る。
「もう少しで終わっちゃうけど、もっと近い場所まで歩こうか」
そう言って、彼女の手を握ろうとする。しかし朝陽が握るより前に、彼女はその手を握った。そのまま屋台の外へと走り出し、人混みの中へと迷わずに突っ込んでいく。
「ちょっと、そんなに早く走ったら危ないって」
「ごめん朝陽くん。でも、時間がないから……!」
時間がない。
夜空に打ち上がる花火がそれを知らせてくれていた。花火大会は最後の盛り上がりを見せて、数え切れないほど何発も火花を散らせている。
紫、青、黄色、ピンク、緑、赤。
黒と星のキャンバスに、様々な色が浮かび上がっていく。花火が、綺麗だった。
しかしそんな花火を見向きもせずに、彼女はただ神社の外へ向かって走り続ける。ここからでも、十分美しい景色は見えるというのに。
やがて、神社の鳥居が見えてくる。あの赤い門を抜けてしばらく下れば、河川敷へと出る。
だが、鳥居まで後少しというところで、彼女の身体が地面から浮き上がった。速度を付けすぎて、地面に足を取られてしまったのだ。朝陽も彼女の勢いにつられそうになったが、咄嗟の判断で足を踏ん張る。
それにより最悪の事態は回避できたものの、彼女の勢いを全て殺すことが出来ずに、勢いよく地面へと落下した。
「大丈夫?!」
朝陽は慌てて彼女へ駆け寄る。なんとか受け身は取れていたようだが、足から血が流れていて、とても歩ける状態ではない。
苦悶の表情を浮かべながら、彼女は呟く。
「早く、行かなきゃ……」
「もう無理だよ。この足じゃ」
「でも……!」
立ち上がって歩き出そうとした彼女を、朝陽は慌てて制止させる。こんな状況で走り回ったりすれば、傷はさらに悪化してしまうだろう。
怪我をした彼女の姿を見て、周りの人が二人の元へ駆け寄ってきた。血を止めるためにタオルをくれたおばさんにお礼を言って、朝陽は彼女をおぶる。
「とりあえず、すぐに傷口を洗わなきゃ。ばい菌が入ったら大変だから」
「私のことは、大丈夫だから!」
「大丈夫なんかじゃないよ。血が出てるのに、放ってなんかおけない」
おぶっているとき、彼女はジタバタと少しだけ暴れたが、挫いた足が痛かったのか、すぐにおとなしくなった。ひとまず蛇口のある場所を探していると、社務所の裏に簡易的な水場があるのを見つける。
こちらは屋台が立ち並んでいる区画からは離れているため、お祭りの喧騒は届かない。
花火の音は、いつのまにかやんでいた。
「ちょっと染みるかもしれないけど、我慢してね」
「いつっ……!」
直接ではなく、蛇口から水を出して手のひらですくい、なるべく優しく彼女の傷口へと流した。赤い血は水と混ざり合って、地面へとサラサラ流れていく。
やはり水が染みたのか、彼女は涙目になっていた。
足についた砂利などが取れたため、おばさんからもらったハンカチを傷口へ当てる。応急処置は出来たものの、すぐに家へと戻り大きめの絆創膏を貼らなければいけない。
彼女の瞳からは、涙が溢れていた。
「私のせいで……」
「君のせいじゃないよ。転んだのは仕方ないことなんだから」
「違うの……! 私のせいなのっ」
涙を流しながら、彼女は首を振る。
朝陽には分からなかった。
花火なら、神社の中からでも十分見えたというのに。
泣きじゃくる彼女を支えてあげたくて、朝陽は横から抱きしめる。手のひらで、頭を撫でてあげた。しばらくそうしてあげると、彼女は泣きやみ、だんだんと落ち着いてくる。
朝陽は、覚悟を決めた。
「君と、話したいことがたくさんあるんだ」
「……話したいこと?」
彼女の不安を取り除くためには、彼女自身の秘密と向き合わなければいけない。きっと自分にしている隠し事が、××を追い込んでいるのだと朝陽は考えている。
「僕に、隠し事をしてるよね?」
「隠し事……?」
「君は、紫乃じゃない」
瞬間、朝陽の抱きしめている彼女の身体が強張った。
「紫乃じゃないって、どういうこと……? 私は、紫乃だよ……?」
「違う」
今度はハッキリと、彼女の目を見て告げた。君は、東雲紫乃じゃない。
「紫乃は、交通事故に遭って死んだはずなんだ。だから、紫乃がここにいるはずがない」
その真実を朝陽は知らないと思っていたのだろう。だから彼女は突然のことに驚き、大きな瞳を丸めた。
「ど、どうして……どうして知ってるの……?」
「偶然、君のスマホの画面が見えたんだ。そこに春樹の名前があって、懐かしくなって電話をかけた。その時に、全部聞いた」
東雲紫乃は、この世界に存在しない。それは確かな真実となり、朝陽の心をしめつける。何かの間違いという希望的観測は、あっけなくも打ち砕かれた。
しかし、そんなことを今考えていても仕方がない。朝陽は、紫乃ではない彼女の手をもう一度握った。
「僕は、怒ってないよ。でも、全部話してほしい。どうして君が、僕の前に現れたのか」
「嫌……」
消え入りそうな、震える声で彼女は呟く。嫌と言って首を振り、朝陽の手を振りほどいた。
「私の、私のせいでっ……!」
「君のせいじゃない!」
「嫌っ!!」
彼女の大声に、朝陽は思わず怯んだ。
そして、彼女は涙声になりながら、呟いた。
「私がいなくなれば、紫乃ちゃんは幸せになれるんだよね……」
「何を……」
何を言ってるの?
その言葉を言い終わる前に、彼女の身体がゆらりと揺れる。そして地面に倒れこみそうになったところを、慌てて抱きとめた。
以前にも、こんな風に突然倒れこみそうになったことがあるのを、朝陽は思い出す。確かあれは、珠樹を含めた三人で遊びに行った日。
彼女は珠樹を認識した瞬間に、今のようにゆらりと倒れ込んでいた。
「ねえ」
名前を呼びたかったが、彼女の名前を朝陽は知らない。
「大丈夫……?」
返事はなかった。彼女は目をつぶったまま、朝陽の腕の中に収まっている。心臓がどくんと大きく跳ねた。最悪の想像が頭をよぎり、喉がカラカラに乾燥していく。
しかし、さすがにその想像は当たらなかった。
腕の中の彼女は、小さな息を吐いてしっかりと身体を揺らしている。口元から、安らかな寝息の音が響く。
「……寝てるの?」
問いかけても、もちろん返事は返ってこない。スーと息を吸って、気持ちよさそうに吐いている。あんなことがあった後だというのに、朝陽は身体全体に脱力感を覚えた。
彼女を起こさないようにして、もう一度おぶりなおす。これからのことは、彼女が起きた時に考えればいいだろう。その頃には、お互いに落ち着いているはずだ。
そう、思っていた。
ふと気になって、朝陽はスマホで時刻を確認する。
今は、夜の九時を回ったところだった――