花火は夜の七時三十分から、九時の間に打ち上げられる。打ち上がる場所は河川敷からで、出店を行なっている浜織神社からは花火がよく見える。そのため、打ち上がる時間帯は屋台の書き入れ時となる。

 その時間帯は朝陽も屋台を手伝わなければいけないが、朝早く家を出て行った父が「八時過ぎからはゆっくり花火でも見てこい」と言っていた。二人に気を使って、その時間からは一人知り合いを手伝いに入れることにしていたらしい。

 朝陽は玄関を出る父の背中にお礼を言った。

 手伝いに行くのは午後からのため、それまで随分と時間が余っている。着替えが終わったのか、白のワンピースに薄いピンクのカーディガンというおしゃれな服装で、紫乃が二階から降りてきた。長い髪は珠樹のようにポニーテールでまとめられていて、普段とは違う彼女に朝陽の鼓動は早くなる。

 紫乃は朝陽を見つけると、頬を朱色に染めた。しかしその赤みはすぐに引いていき、悲しげな表情へと変化する。

 不思議に思い、朝陽は首をかしげた。

「どうしたの?」
「ううん……なんでもない」

 何かあったのかと思ったが、朝陽に思い当たる節はない。しかし、紫乃がスマホを握りしめていることに気付いて、ある一つの予想が浮かんだ。

「もしかして、綾坂さんと何かあった?」

 その予想は当たっていたのだろう。彼女は不器用に微笑んで、人差し指で頬をかいた。

「ちょっと、彩ちゃんに隠し事しちゃって」
「隠し事?」
「うん。話しちゃったら、きっとダメだって怒られるから……」
「怒られることなら、やったらダメだよ」
「大丈夫だよ。紫乃、朝陽くんに迷惑はかけないから」
「僕に迷惑がかからなくても、綾坂さんに迷惑かけるのもよくないって」

 お節介なのかもしれないが、純粋に紫乃のことが気になった。何か良からぬことを考えているのではないかと思うと、朝陽はそれだけで不安になってしまう。

 しかし、紫乃は。

「彩ちゃんにも、迷惑はかからないよ。むしろ、紫乃が迷惑をかけちゃってるから……」
「……それって、どういうこと?」

 そう訊ねると、紫乃は曖昧に微笑んだ。つまり、朝陽には話せないということだ。

「ごめんね。朝陽くんにも隠し事しちゃって」
「隠し事……」

 それはもしかすると、春樹の言っていたことなのだろうか。もしそうだとしても、今この場で面と向かって訊いてしまうにはあまりにも重すぎる話だ。朝陽は呟いたきり、口をつぐんでしまう。

 しかしこの空気をどうにかしなければと思い、口元に笑顔を貼り付けた。

「ちょっと今から出かけない?」
「え、あ、うん……えっと、今日はどこに行くの?」
「学校に行こうかなと思って」
「学校?」

 紫乃は首を斜めにかしげる。興味はあるのか、瞳がいつもよりキラキラと輝いているように朝陽には見えた。

「珠樹が吹奏楽部で練習してると思うから。紫乃、そういうの興味ない?」
「あ、珠樹さんが……」

 突然紫乃は表情に影を落とす。どうしたのかと思い、今度は朝陽が首をかしげた。

「どうしたの?」
「うん、ちょっと……」

 その紫乃の表情に、朝陽はデジャヴのようなものを感じる。そう、あれは彼女と初めて出かけた時。初めて紫乃と出かけたあの日、彼女は涙を流していた。その時にも珠樹の話題が上ると、今のように微妙な表情を浮かべていた。

 しかし暗い表情を見せたのはあの時だけで、それ以降はむしろ、花火をしている時などは笑顔で一緒にはしゃいでいた。

 紫乃の気持ちは、どっちなのだろう。珠樹といるのが楽しいのか、それとも苦手意識を持っているのか。朝陽は、出来ることならば、二人がもっと仲良くなってほしいと思った。

 でもそれが、紫乃にとっては苦痛であるのかもしれない。仲良くすることを、強要なんて出来ない。

「……珠樹は、たぶんずっと演奏に集中してるから、話すことはできないと思うんだけど」

 珠樹を使って、紫乃の気持ちに確認を取った。朝陽にとってその行動は、チクリと心が痛む。そして張り詰めていた表情を彼女が解いた事実にも、大きく心が揺れ動いた。

 つまりはそういうことなのだろう。

 朝陽に聞こえないように呟いたのだろうその声は、しっかりと聞こえてしまっていた。紫乃は小さな声で「よかった……」と呟いていた。