学校へ向かう前にスマホでニュースを調べた。慣れた操作でページを繰る。女子高生が行方不明という事件は一つも無い。
 三日間行方不明になって捜査もされていないのは、本当に華怜に何かがあるのではないかと思ったが、すぐに頭の隅っこへ追いやった。
 これからは一週間に一度ぐらいのペースでニュースを調べよう。
 バスに乗っている時にはもう、華怜の機嫌は治っていた。お昼に散策へ行くお城を見ながら目を輝かせている。
 僕といえば、そんな華怜を見ながら微笑んでいた。
 昨日の出来事があったため、華怜は講義中、必死にルーズリーフに内容を板書していた。
 まだ高校生なのだからそんなに必死にならなくてもと思ったけれど、恥ずかしかったのか結構なトラウマになったようだ。
 僕は適度に講義を聞きつつ、思い浮かんだストーリーやキャラクターの設定を紙に書き込んでいた。こういうのはキーボードで打つよりも、文字で書いた方が頭に入る。
 不真面目に見えるけれど、実際の大学生とはこういうものだ。
 ふと、華怜がこちらを見つめる。
「何書いてるんですか?」
「小説」
 そう言うと、今まで聴いていた社会学の講義に全く興味がなくなったのか、ルーズリーフを裏返して僕の方へと寄ってきた。
「見せてください」
 そう言われると思ったから、手軽に読める短編を書いて印刷しておいた。カバンの中から取り出して、彼女へと手渡す。
 しばらく華怜がそれに目を通している間、僕の心臓はどくんどくんと脈打っていた。どんな感想が飛んでくるのか、それを聞くのがちょっと怖い。
 だけどそんな心配は杞憂に終わった。
「面白いです」
 迷惑をかけないようにささやき声だったけれど、しっかり心がこもっているのが伝わってきた。
「最後はちょっと、うるっときました」
「そんなに?」
「そんなにです」
 その短編は、大学生の男が真っ白い子猫と出会う場面から始まる。 
 その子猫は首に小型のカメラを取り付けていて、町を自由に闊歩していた。その姿を偶然にも見つけた男は興味を持ち、カメラの主と会話を試みる。
 子猫の前足に手紙を括り付けて、まずは自己紹介から始めた。
 相手の女の子はその街に住む女子高生で、誕生日のお祝いで子猫を飼ってもらったらしい。
 だけど、それ以上の個人情報は何も話さなかった。
 男もその女の子に何も訊ねたりしなかった。いつも一人でいたから、話し相手が欲しかったのだ。
 でもそんなことを思っていたのは最初だけ。男は顔も知らない女の子に惹かれていき、ある時その手紙を書いてしまった。
『会いたいです』
 それから猫を見かけることはあっても、返事が返ってくることはなかった。
 男は自分の気持ちを伝えてしまったことを後悔した。
 だけどある時、子猫は慌てた様子で男のズボンを口で引っ張り、女の子の家へと連れて行ってくれた。そして裏口から女の子の部屋へ招かれて、初めてその少女と出会う。
 髪の長い、可愛らしい女の子だった。
 風邪を引いているのかうなされていて、心配に思った男は中へ入る。
 女の子は目を覚まし、驚いた顔で男を見た。
『来ちゃったんですね……』そう呟いた女の子は、どこか寂しそうで、どこか嬉しそうだった。
 そして、男は女の子の置かれていた現場を知る。
 数年前に交通事故に遭って、下半身が動かせないということ。
 だから、子猫にカメラを取り付けてレンズ越しに町を見ていたこと。
「運命的な出会いですね」華怜はうっとりした声で、そう言った。
「この先は考えていないんですか?」
「実は、まだ」
「じゃあ、今から私が考えます」
 華怜は人差し指を唇の下に当て、考える仕草を取った。その姿に少し見惚れていると、艶やかな唇が不意に開く。
「男の子が大学を卒業したら、女の子と結婚するんです」
「いきなりぶっ飛んだね」
「ずっと部屋の中でひとりぼっちだったんですから、すぐに男の人を好きになるはずですよ」
 それから、華怜は続けた。
「男の人は小説家になります」
「どうして小説家?」
「だって、外に仕事に行ったら女の子が寂しくなりますから。家で小説を書きながら、二人で一緒に仲良く暮らしていくんです」
 そしてくすりと笑う。
「そんな風になったら、いいですよね」
 たぶんこれが講義中じゃなかったら、僕は今すぐ彼女のことを抱きしめていたと思う。恥ずかしさを隠すために、今言ったストーリーを書き留めた。
 本当にこんな風になったらいいなと、僕も思う。まずそのためには、華怜を寂しくさせないよう小説家にならなきゃいけない。
 それからは真剣に講義を受け、学食でお昼を済ませた後に三コマ目を出た。その後、誰よりも早くキャンパスを出てバス停へ向かう。行き先はこの町の観光名所であるお城と城下町だ。
 手すりにつかまりながらバスに揺られ数分、高い石垣に囲まれたお城が見えてくる。ここら辺は観光客も多く、城下町ということもあり着物を着た人が多い。
 なんだか一昔前へタイムスリップしたような気分になる。
 華怜は着物を着た女性を羨ましそうに見ていたけれど、すぐに別の方向へと興味が移ったようだ。
 交差点の端に、ソフトクリームを販売している甘味処が見える。だけど、そこのソフトクリームは通常のそれとは違っていた。
「公生さん、あのソフトクリーム金色ですよ?」
「あぁ、あれは金箔が乗ってるんだよ」
「きんぱく?」
「えっと、金を薄く延ばしたもので……せっかくだから食べてみる?」
「食べれるんですか?!」
「ただの飾りみたいなものだからね」
 説明が難しいと思った僕は、華怜と一緒にそちらへ向かった。
 二、三人ほど道にお客さんが並んでいたけれど、すぐに僕らの番はやってきて、二人ぶんのソフトクリームを購入する。
 近くにちょうどいい緑地の広場があったため、そこのベンチへと腰掛けた。華怜は乗っている金箔と同じく、目をキラキラと輝かせている。
「金色です」
「金だからね」
「どんな味なんですか?」
「実際に食べてみなよ」
 華怜はおっかなびっくりといった風に、ソフトクリームへかぶりついた。甘いものを食べたことにより、口元がほころんでいる。
「甘いです! でも……」
 釈然としないといった表情を浮かべている。多分初めはみんな、そんな表情をするのだろう。
「金箔って全然味がないんだよ」
「じゃあなんで乗せてるんですか?」
「乗せた方が高級に見えるし、華怜みたいな子が興味を持って買ってくれるからじゃないかな」
「たしかに、なるほどです」
 納得すると、金箔の乗ったソフトクリームをまた食べ始める。
 僕も食べ始めようとすると、不意に、隣から同じものが伸びてきた。
「どっちも同じ味だよ?」
「こうした方が、恋人っぽくないですか?」
 それから華怜は頬を染めた後「こういう経験をした方が、小説は書きやすいですよ……?」と突然しおらしくなる。
 昨日みたいな気持ちにはならなくて、純粋に嬉しかった。
 ただ、素直にならないのがなんだか面白くて、くすりと微笑む。
 華怜の気分が変わらないうちに、食べかけのソフトクリームをパクリと食べた。
「どうですか?」
「うん、美味しい」
「じゃあ、次は……」
 口元を寄せてきた。
 可愛らしいおねだりに、僕はまた微笑む。まだ一つも口をつけていないソフトクリームを華怜へ近付けると、僕と同じくパクリと食べてくれた。
 彼女の顔を見て、思わずまた笑みがこぼれた。その意味がわからなかったのか、華怜は唇を尖らせる。
「どうして笑うんですか?」
「いや、鼻先に金箔が付いてて。どうしたらそこに付いちゃうのかな」
 指摘するとパッと耳まで赤くなって、鼻先を手の甲で拭った。しかし金粉になって広がっただけで、先ほどよりも面白い形相になっている。
「と、とれましたか?」
「待っててね」
 華怜にソフトクリームを持ってもらい、ポケットティッシュを取り出し拭いてあげる。くすぐったそうに身をよじってとても拭きにくいから、頬を優しく押さえつけると、おとなしくなってくれた。
「取れたよ」
 そう言っても、華怜はどこか上の空だった。どこか遠くを見つめているような。
「……華怜?」
「へ?」
「どうしたの?」
「あ、いえ……」
 誤魔化しに失敗したと分かったのか、素直に話した。
「実は前にも、同じようなことがあった気がして……」
「前にも?」
「記憶を失くす前かもしれません」
 どくんと、心臓が大きく跳ねたのが分かった。
 以前まではこのままでいいと思っていたけれど、今は違う。純粋に、記憶が戻ればいいなと思えている自分がいて安堵した。
「きっと、前にもここに来たことがあるんだよ。それで、ソフトクリームを食べたんだ」
「そう、なんですかね」
「きっとそうだよ。何か、他に思い出したことはない?」
「他には、なにも……」
 失った記憶を掘り起こそうとしているのか、思いつめたように俯いてしまう。ちょっと、急ぎすぎたかもと思った。
 代わりに頭を撫でてあげる。
「ゆっくりでいいから、思い出してこうよ」そう励ますと、少しだけ華怜は笑顔になった。
 一応ここを離れる時に、先ほど応対してくれた店員さんにこの女の子を見たことがあるかと訊ねたけれど、首をかしげるだけで収穫は得られなかった。
「こんな可愛い子なら、一度見れば忘れないけどねえ」と言っていたから、たぶん忘れたわけではないんだろう。
 僕も、一度華怜が店先にやってきたら忘れたりしないと思うから。
 だとしたら別の場所、ということだろうか。
 ソフトクリームに金箔を乗せている甘味処は、探せばいくつかはあるだろうし。
 考え込んでいると、そばにいた華怜が袖を引っ張っていた。
「そろそろ行きましょう」そう言って、向こうに見える大きなお城を指差した。
 華怜としては、そっちの方が気になって仕方ないんだろう。
「ごめん、じゃあ行こうか」
「はいっ」