「マナカ」

小さな声が聞こえた。見れば、迅が窓の外にいる。
私は言葉にならない声をあげた。慌てて窓をあけると、窓の下のわずかなでっぱりに足をかけている迅がいる。いないと思ったらこんなところに隠れていたのだ。

「迅、ここ10階!」
「幽霊だしなぁ。落ちてもたぶん大丈夫だと思うけど」
「でも駄目!」

私が手を貸すまでもなく、迅は身軽に室内に戻ってくる。声をひそめて、私に言うのだ。

「ごめんな。おまえと春香おばちゃんの言い合い、だいたい聞こえちゃってたわ」
「……迅、ごめんなさい。うちのお母さんがあんな言い方」
「いや、春香おばちゃんはおまえの幸せを思って、今は勉強してほしいんだろ?俺の死とかそういうのも邪魔っちゃ邪魔だよな。空気読めずに死んじゃってスミマセン」

迅は母が揶揄していた私の恋心には気づかずに言う。

「マナカとおばちゃんはさ、女ふたりで長く暮らしてきて、少し関係が煮詰まっちゃってるんじゃないか?一度、つかみ合って殴り合いの喧嘩でもしてみたら?」
「変なこと言わないで。……昔から、私はお母さんの気に入るようにはできないんだもん」
「でもたったふたりの家族だろう?お互いがお互いへのリスペクトを忘れちゃってるように見えるぞ~」

迅はこんなときも明るい。への字になっている私の唇をぎゅっと人差し指で押して言った。

「マナカ、ひいばあちゃんちって覚えてるか?」
「ひいおばあちゃんちって、隣の県の?」

だしぬけに話題を転換され驚く。
ひいおばあちゃんの家……小さい頃、迅の家族と行ったことがある。隣県の山間の町にぽつんとある小さな家だ。ひいおばあちゃんが亡くなるまで三度くらい遊びに行ったような記憶があるけれど、どんな家だったかとかどうやって行ったかはまるで覚えていない。