私はお母さんの期待に応えられない自分が嫌いだった。そして、お母さんもまた私に期待を託すことで、自分の子育てを正当化したいのだと思う。

迅に言われたことを思い出す。『つかみ合って殴り合いの喧嘩でもしてみたら?』それは極論だけど、ある意味正しいかもしれない。
喧嘩する勇気。自分の意思を通す気力。
私にはなかった強さだ。

お母さんは自分の意思通りに扱える私を望みながら、その無気力な態度に苛立っていた。たぶん、お母さんも気づいているのだろう。自分自身の歪みに。矛盾に。
わかっているからこそ、私本人に連絡できないのだ。聖を使ったり、優衣に聞いたりするほかないのだ。

私たちは決定的に互いへのリスペクトを欠いていた。
今、帰って、お母さんとの関係がすぐさま良好になるとは思えない。長い時間かけて深まった溝だ。一朝一夕でどうにかなるものじゃない。だけど、私たちは一度離れることで本来の親子の形に想いを馳せることはできたのかもしれない。
今なら、私は自分の気持ちを言えるかもしれない。
たぶん、お母さんよりトシさんの方が怖いし、トシさんの方が百倍気難しい。だけど、そんなトシさんに、私は意見できたし、ちょっと好きだと思っている。

不思議だ。煮詰まっていた私とお母さんの関係をほぐすきっかけがこんな形で降ってくるなんて。

ごはんを食べたら、優衣にメッセージを返して、それから久し振りにお母さんにメッセージを送ってみよう。
朝晩こちらは涼しいこと、知り合ったおばあさんの作る野菜が美味しいこと、登山にチャレンジしたこと。
お母さんはどんなことを思うだろう。勉強もしているって言わないと怒り出すかもしれない。遊びに行っているのかって。