トシさんは台所仕事に戻り、入れ違いに迅がやってくる。迅用に麦茶は置かれてあるけれど、もうごまかして私が飲む必要はないんだなと思った。
トシさんに気づかれていることを迅に言おうか逡巡してやめた。トシさんは今まで通りの関係を望むだろうし、それは迅もまたそうだろう。

「勘太郎、今日は夕方散歩に行けるかぁ」

縁側にかけ、迅は呼びかける。寝転んだ姿勢になると勘太郎のスペースに手が届くのだ。
勘太郎はぼろぼろのぬいぐるみに鼻先を押しつけ、じっと迅を見ている。左目は白内障で少し濁っている。

勘太郎が弱っているのは、確かに明らかだった。
夏の暑さが堪えているのも事実だろうけれど、老いが勘太郎を連れて行こうとしている。
毛艶のなくなったボサボサの勘太郎を迅は寝転んだ姿勢で丹念に撫でる。

「向こうでも会えるかもなぁ」

心臓がずくんと痛んだ。
否定はできない。勘太郎にも迅にもその瞬間は確実に近づいている。ふたりはこれから、私には想像もつかないところへいくのだ。ここよりずっと遠くのおそらくは静かで安からな場所へ。
トシさんの前では全力で否定した私が、死に近いふたつの魂を見つめ、何も口にできなくなってしまう。

「先に帰ってるね」

かろうじて出た言葉は逃げ出すための言葉だった。


夕食のそうめんをゆでていると迅が帰宅した。
今日来ていた赤いTシャツを脱ぐと、デフォルトの白いTシャツにジーンズ姿になる。その手の先はもう透け始めていた。時刻は17時。日に寄って差はあるけれど、迅が“人間”を保っていられる姿は確実に短くなっていた。顕著になった身体の反応に、迅自身も気付いているだろう。