つられて声をひそめると、園子ちゃんはしばらく迷ったように口を閉じてから言った。

「さっき言ってたやろ。柏木穂香、って名前」

「はい?」

これはまずい展開かもしれない。

ひそひそ声で話さなくてはならないような秘密の話だとしたら聞かないほうが無難だろう。

私の想像が正しければ、雄也と穂香という人は離婚している。あの無愛想だもの、その推理はけっこう真に迫っていそう。

だけど、せっかく働き始めたのに余計なことは知りたくなかった。

「あ、別にいいんです。ちょっと気になっただけですから」

情報をシャットアウトしようと手を横に振るけれど、園子ちゃんの口は堅くはないらしい。

一度だけ店内を振りかえってから、私を外に連れ出すと長いつけまつげが引っつくくらい顔を寄せてきた。

「これ、私が言ったって言わんといてよ」

「私ほんとにもう─」

「妹さんなの」

園子ちゃんの言葉にぽかん、と口を開けたまま時間が止まった。

妹……。

「へぇ、そうだったんですか……」

柏木穂香さんは雄也の妹の名前だったのか。じゃあ兄妹でこの店、というか会社をやっているんだ。

「でも、もういない」

静かに言った園子ちゃんの顔を見た。

「いない?」

聞いちゃダメだとわかっているのに、好奇心に負けて聞きかえしてしまった。うなずいたその顔にいつもの笑みはなかった。

「雄ちゃんがこの店をやってるんは、妹さんのためなんや」

そう言うと「じゃあ、またな」足早に帰ってゆく園子ちゃん。

「あ……。待ってください」

「なんや」

振り向いた園子ちゃんに、すう、と息を吸った。

「今日が園子ちゃんにとって・新しい一日・でありますように」

「はは。ありがとうな」

軽く手を上げて去ってゆく後ろ姿を見ながらも、頭の中は初めて知った情報に混乱したままだった。



出納帳をつけながらお客さんを待つ午後。

あと三時間で今日のお店は閉店。カウンターに座ってレシートをトランプゲームでもするみたいに並べてゆく。

無造作に重ねられたそれらは、日付順にするだけでもひと苦労だ。ここのところこればっかりやっているけれど、いっこうに減る気配のないレシートにうんざりしてしまう。

雄也はさっきから厨房の丸イスに座って本を読んでいるようで、ひと言も発さない。

「ねぇ」

声をかけてみても返事はなし。