「ええ。こんな幸せな気持ちで逝けるなんて思わなかった。本当にありがとうございます」

「友季子さん……」

「友季子」

小野さんが、私が顔を向けた方向に声をかけた。

「僕は新しい毎日をちゃんと自分の足で歩き出すよ。いつか、空の上できみに会うときに笑われないように生きてゆくから」

「ええ。その日を楽しみにしてます」

目じりを下げてから、思い出したように友季子さんは、

「そうだ」と、私を見てクスクス笑った。

「茶粥に砂糖を入れるのは体に悪いから、って伝えてください。長生きして、それから会いましょうって」

「あ、前に言ってましたね」

きょとんとする小野さん。

「友季子さんが、茶粥に砂糖を入れるのは良くないです、って」

「ああ……」

一瞬で瞳に涙が浮かんだ小野さんは、震えるあごを何度も縦に振った。

「そうだね。ああ、やめるよ。約束する」

涙をこぼしながら、それでも笑顔でそう言った。

「さようなら、小野さん」

友季子さんも泣きながら笑う。

悲しくて、うれしくてやさしい涙。

光が雲間からスポットライトのように友季子さんを照らした。

徐々に薄くなる体に、彼女が消えることを知る。

「ありがとう、詩織さん。ありがとう、小野さん」

「さようなら友季子さん」

「友季子、ありがとう」

最後まで笑顔で彼女は光に溶けていった。

いつしか濡れていた頬をぬぐうと、

「行ってしまったのですね」

すべてを受け入れたように、落ち着いた口調で小野さんが言ったのでうなずく。

「はい」

「そうか。僕もひと目友季子に会いたかったな」

「いつか、眠りにつく日が来たなら、きっと会えます」

そう言った私に、少し目を丸くしてから小野さんはうなずいた。

「そうだね。いつか、きっと」

観光客の姿が池の周りにまた現れだした。

「小野さんお元気で」

私の言葉に小野さんは、

「ええ。またお店に行かせてもらいますね」

頭を下げてから彼は礼をして去ってゆく。彼を待つ家族のもとへしっかりと足を踏みしめて。

すぐに雑踏に紛れてゆく背中を見て私は願った。

今日が小野さんにとって・新しい一日・でありますように。



「雨の日が見せた幻だったのよねぇ」

カウンターで頬杖をついてうっとりする和豆を、雄也は鼻で笑った。

「なに言ってんだ、気持ち悪い」