「ちゃんと守るべきものをその両手でつかんでいないと、ある日突然失うんだ。消えてからいくら後悔しても遅い」

眉間を寄せたその表情はなにかを思い出しているよう。雄也は……ひょっとして穂香さんのことを……?

お腹のあたりが熱くなるほどの重みのある言葉に感じたのは私だけでなく、小野さんも同じだったようでじっと雄也を見ている。

「お前のせいでないにしても、一度大事なものを手放してしまったのだろう。だったらなおさら、今度、お前が守るべきその手を離すな。しっかりとつかんで、幸せになれ。そのためにも茶粥を食べるんだよ」

ザーという雨の音だけが空間を満たしている。

やがて、小野さんがゆっくりと土鍋の蓋を開けた。

初めて友季子さんに出したのと同じ茶粥が湯気の向こうに顔を出す。

ためらいながらレンゲを手に取ろうとして、だけどつかむ勇気がまだ出ない彼に、

「小野さん」

友季子さんが声をかけた。静かで、落ち着いた声はふんわりと小野さんを包みこむよう。

「ありがとう。私が作った茶粥を覚えていてくれてうれしかった」

聞こえているわけもないのに、小野さんの手が導かれるようにレンゲをつかんだ。

「小野さんには・新しい一日・を踏み出してほしい。だから、茶粥を食べてください」

湯気を吸いこむと小野さんはしばらく目を閉じた。

「友季子、ありがとう」

つぶやくように言う小野さんの声に、彼が今、長年背負ってきた重荷をおろすのを感じた。

息を吹きかけてからゆっくりと口に運ぶと、小野さんは茶粥を食べだす。

「ああ、なつかしいなぁ」

心の奥からこぼれたような声を出してから、彼は声を押し殺して泣いた。

それでも彼は食べ続ける。涙をこぼしながらひと口ひと口をかみしめるように止めることなくレンゲと口を動かしている。

友季子さんを想って、そして、新たなる旅立ちを憂えている姿に、隣の友季子さんもほほ笑みながら泣いている。

永い想いは、今、本当の終わりを迎えるのだろうか。



猿沢池まで小野さんを送るころには、雨は激しさを増していた。

雨がカサを打つ音だけを聞きながら、池のほとりへ。後ろからついてくる友季子さんを気にしながらも足を止めた。

「こういう雨のことを昔は『篠突く雨』、って言ったんですよ」

ずいぶん元気を取り戻したように見える小野さんが教えてくれた。

「へぇ」