「ちょ、ちょっと」

凪は気持ちとは全然違う反応を示す自分自身に、少しあわてているようだった。

わたしは、ぶっちーのお腹を前と同じように指の関節を使って撫でてあげた時のことを思い出した。

『頭が忘れても体が覚えてるんだね』

わたしはあの時、そう言った。
脳が記憶をなくしても、体に染みついて記憶があるんだとうれしくなった。

だとしたら、今も心に染みついた記憶が凪に涙を流させているんだろうか。
それほど、凪の心はお母さんを求めているの?

すると凪は、自分の手が震えていることに気づき、反対の手で抑えた。
それはさっき満帆さんが握ったほうの手だった。

「どうしたの?」

「なんか、すごく懐かしい気がして、手を握られた時。でも、離れる時の感じが……」

小刻みに揺れる自分の手を見つめながら、凪は絞り出すように言った。

「すごい心細くて、悲しくてどうしようもなくて……」

やっぱり凪の体と心が覚えているんだ。


手をつないでいた時の、幸せに満たされた心。
愛しい気持ち。
そして、つないだ手を離した時の寂しさ、心細さ。
もう一度その手をつなぐことに思いを馳せていた十年という長い時間。

そのすべてが凪の体中に蓄積されて、再び手を離さなくてはならないなんて嫌だと暴れているのだと思った。

『行かないで』と叫ぶ子供の頃の凪の声が聞こえた気がした。

今わたしの横にいる凪は、もう嗚(お)咽(えつ)を漏らして泣いていた。
訳もわからず、ただただ押し寄せてくる悲しさに耐えきれずに、涙を流していた。

記憶をなくすまでの凪は、どれくらいお母さんと手をつないだ時のことを思い出していたんだろう。
別れた時の寂しさを引きずっていたんだろう。
今は見知らぬ他人のようにしか思えないのに、こんなに涙があふれてしまうほど、恋しく思う気持ちが心と体に染みついてしまっているなんて……。

やっぱりダメだ。凪はお母さんのことを思い出さなくちゃいけない。
こんなにも求めていた人にやっと会えたのに、なにも思い出せないまま、また離れ離れになるなんて。

そんなことさせちゃいけない。