久人さんより早く会社を出ることのできた私は、家に帰ってすぐ、樹生さんに電話をした。


『いや、そんな話は、まだない。少なくとも俺は聞いてない』

「そうですか…」


彼の入社がなくなるという話が、もしかして本当に進んでいるのではと思ったのだけれど、それは思い過ごしだったらしい。


『久人は、そうなると思ってる感じ?』


樹生さんが、気がかりそうに、慎重な声で聞く。


「たぶん」

『まあ、俺が久人でも、そのことは考えると思う。血の繋がった息子と繋がってない息子、どっちに跡を継がせたい?なんて、わかりきってるよね』

「樹生さん!」


思わず咎めた私に、『ごめん、冗談が過ぎた』と彼はすぐに謝った。


『伯父さんたちの考えはわからないけど、こんなに急いで会いに行く理由なんて、ほかに見つからない。久人が疑心暗鬼になるのもわかる』

「疑心暗鬼なら、まだいいんです」


リビングのソファに座り、冷房を強めた。日当たりのいいこの部屋は、昼間さんざん温められた室温が、帰る頃にも残っている。

樹生さんが『そうだね』とぽつりと言った。


『あいつは、あきらめるね』


はい、たぶんもう、あきらめています。

商社に行くことも、後継ぎとして高塚に必要とされることも。お義父さまたちの息子でいることも。

あきらめたという自覚もないままに。まるで最初から、自分にそんな資格はなかったのを、知っていたよ、って、そんなふうに。

通話を終え、携帯をテーブルに置いたとき、天板の下の棚板に、なにかが載っているのを見つけた。

お義父さまからいただいた、食事会のお礼状だった。

きちんとしまわなくちゃ、と思いつつ、何度か読んだそれを、また開いた。ブルーのインクでしたためられた、簡潔な手紙。

吸い寄せられるように、最後の一文に目が行った。