うそつきラブレター








それ以来私は、彼との手紙のやりとりを続けながらも、校内で彼の姿を無意識のうちに探してしまうようになった。


でも、本当は、見つけたくなかった。

だって、彼はいつも、吉岡さんのことを遠くから見つめていたから。


分かっていたことだ。

彼が好きなのは私じゃない。

可愛くて明るくて美人な吉岡さん。


あの手紙だって、彼は、彼女のために書いているのだ。


私はただ彼を騙して彼女への手紙を横取りしているだけ。

最低なことをしているだけ。


放課後、誰もいなくなった教室の片隅で、私はぼんやりと窓の外を見る。


何気なく校門へと向かう道のほうに視線を投げたら、木佐貫くんの姿を見つけた。

いつも一緒にいる仲良しの彼とならんで歩いている。


木佐貫くんが、ふいに首を横に向けた。

その視線の先には、吉岡さん。

じっと見つめている。


隣の彼が、励ますように木佐貫くんの背中を叩いた。

二人が校門に向かって歩き出す。


一部始終を見つめていた私は、がたんと立ち上がった。

荷物をつかんで、教室から飛び出す。


やっぱり、だめだ。

こんなことしてちゃ、だめだ。


大好きな彼を欺くようなこと、してちゃだめだ。


謝ろう。

謝って、全てを打ち明けて、そして……。


廊下を駆け抜けて、生徒玄関に飛び込んで、しゃがんで靴箱からローファーを取りだし履き替える。


それから校舎の外へ飛び出して、校門に向かって全速力で走った。


二人の背中が見えてきた。


「――木佐貫くん!」


自分でもびっくりするくらいの大声が出た。

二人が驚いた顔で振り向く。


私は、はあはあと肩で息をしながら、彼に向かって頭を下げた。


「……ごめんなさい! ずっと、騙してました……」


しいん、と静まり返る空気。

木佐貫くんも、隣の彼も、周囲にいたたくさんの生徒たちも、みんなが唖然として私を見ているのが気配で分かった。


私はそろそろと顔をあげて、木佐貫くんを見る。

彼は目をまんまるに見開いて、硬直したように私を見ていた。


そうか、彼は私の顔を知らないんだ、と気がついて、私は慌てて、


「あの、手紙!」


と口を開く。


「桜のポストの手紙……私が書いてました。吉岡さんへの手紙も、勝手に、読んで……ごめんなさい」


言いながら、声が震えてくる。


「本当に……ごめんなさい。ずっと、嘘ついてました……」


ああ、もう、終わりだ。

絶対に、嫌われる。

こんな最低なことをしてしまった私を、誠実な彼はきっと心底軽蔑するだろう。


泣きたい気持ちを必死に押さえていると。


「……桜のポストの手紙? ……ごめん、なんの話?」


木佐貫くんが困ったように笑いながら首をかしげた。


「……へ?」


思わず間抜けな声をあげてしまってから、はっと気づく。

もしかして、嘘をついていた私に怒って、手紙のやりとりをしていたという事実さえ、なかったことにしたいとか。


そう考えた瞬間、目の奥のほうがぎゅうっと痛くなって、目頭が熱くなった。

やばい、泣いちゃいそう。

ぐっと唇を噛んでこらえる。


とにかく、謝ろう。

許してもらえるかは分からないけど、せめて彼の怒りがおさまるまでは。


「ごめんなさい……嘘をついて、騙して、ごめんなさい」

「ええと……ごめん、本当に分からない。騙された覚えなんてないんだけど」

「……え?」

「人違いじゃないかな」


……人違い?

やっぱり、私のことなんて、なかったことにしたいのかな。


言葉もなく木佐貫くんを見つめていたとき、突然横から「ごめん!」という声がした。

反射的にそちらに目を向ける。

木佐貫くんの友達の彼が、私をまっすぐに見つめていた。


「ごめん、俺のせいだ」


そう言って彼が私に頭を下げる。

わけがわからず、ぼんやりと見ていたら、彼は木佐貫くんに目を向けた。


「ごめん木佐貫、詳しいことは今度説明するから」

「あ、うん……」

「俺、たぶん今日は行けないから、あいつらによろしく。じゃ」


彼は早口にそう言って、私に向き直ると、


「はじめまして」


と微笑んだ。それから、


「―――ちょっと、時間、いい?」


私は混乱したまま、無意識に頷いた。









「本当に……ごめん」


目の前の彼は、心から申し訳なさそうに眉を寄せて私に謝った。

見知らぬ彼になぜ謝られているのか理解できなくて、私は反射的に答える。


「いいよ、そんな謝らなくて……顔あげて」


彼が眉をさげて微笑んだ。

優しい顔だな、と思った。


頭上で梢の揺れる音がする。

私たちは今、校門の桜の木の下にいた。

もちろん、もう花は散って、今は柔らかそうな明るい緑の葉がついている。


「あのさ……俺なんだ」


ぽつりと彼が言った。

なんのことか分からず、言葉の続きを待って彼を見つめる。


「手紙書いてたの、俺なんだ」

「え……っ?」


予想さえしていなかった言葉に、私は目を見開いた。

彼は頭をくしゃりとかきながら、ぽつぽつと話を続ける。


「ずっと嘘ついててごめん……」


心から申し訳なさそうな表情と声音だった。


「最初の一通目の手紙だけは、木佐貫に頼まれて代筆したんだ。あいつ、字が下手だからとか言って気にしててさ、告白するならきれいな字のほうがいいから頼むって言われて」

「うん……」

「でも、あいつに頼まれて書いたのは、最初の『一目惚れしました』ってやつだけ。あとの手紙は、あいつにも黙って、俺が書いてた」

「なんで……そんなこと」


思わず訊ね返すと、彼は気まずそうにちらりと私を見て、言った。


「好きに……なったから」


彼はまっすぐに私を見つめて言った。


澄みきった、とてもきれいな瞳。

思わず見とれてしまう。


「君のこと、好きになったから。だから、せめて手紙だけでもつながってたくて」


好き、なんて言葉を言われたのは初めてで、途端に心臓が暴れだし、顔が火照ってくるのを自覚する。


でも、次の瞬間には冷静になった。

頭から冷水をかけられたように。


勘違いしたらいけない。

彼が好きになったのは、吉岡さんのことだ。


ふうっと息を吐き出して、唇を開く。


「……ごめんなさい。私、吉岡さんじゃないの」


一気に言うと、彼はきょとんとしたように目を見開いた。


ああ、びっくりしてる。

やっぱり、そうなんだ。

私が吉岡さんじゃないってこと……。


「………え? うん、知ってるよ」


今度は私が「え?」と言う番だった。


「俺、吉岡さんの顔、知ってるし」

「え、え……」

「ほら、木佐貫が吉岡さんのこと好きだったから。あいつが見るから俺も自然と顔覚えて」

「……え、じゃあ」


じっと彼を見つめ返していると、彼はふっと目を細めて笑った。


「俺が好きになったのは、君だよ。綺麗な写真をつけて手紙を送ってくれた、君」


言葉が出なかった。


「木佐貫は俺に代筆を頼んで吉岡さんにラブレターを送ったんだけど、結局、やっぱり告白は直接すべきだよなって言って、その日のうちに吉岡さんを呼び出して告白したんだ」

「そうだったの……」

「残念ながらふられたけど。あいつはまだ未練あるみたいで、チャンスがあればまた告白するつもりらしい」


今でもいつも吉岡さんのことを目でおっている木佐貫くんの姿が目に浮かぶ。

本当に彼女のことが好きなんだ。


「で、木佐貫がふられちゃったし、手紙のことはもう終わりだなって思ってたんだけど、いちおう確認、と思って、次の朝、俺ひとりで桜の木を見に来てみたんだ」

「………」

「そしたら、手紙があったから……驚いたよ。それで、思わず開いてみたら、」


彼は柔らかく微笑みながら私を見る。


「君からの手紙だった」


一度落ち着いたはずの鼓動が、また高鳴ってくる。


「吉岡さんじゃないのはすぐに分かったよ。筆跡が違うし、内容も、前日に木佐貫をふった女子のものとは思えなかったし」

「………」

「だから、おかしいなと思いながら玄関に行ったら、吉岡さんの場所のはずの靴箱から上履きを取り出してる君を見つけた。それでやっと、手紙を違うひとに送っちゃったことに気がついたんだ」


想像も及ばなかった展開についていくのがやっとで、私は黙って話を聞いていることしかできなかった。


「それで、君に真実を打ち明けて終わりにしようと思ったんだけど……君の手紙があんまり素敵だったから、それで終わりにするのが惜しくなって」


風が吹いて、彼の前髪をさらりと揺らしていく。


「君のことをもっと知りたくなって。だから、なにも知らないふりをして、俺が返事を書いちゃったんだ。ごめんな」


「君を騙してるのは申し訳ないと思ったけど、君との文通がすごく楽しくて……なかなか打ち明ける覚悟が決まらなかった。どんどん君のこと好きになっちゃって、嫌われたくないって思っちゃってさ」


私はこくりと頷いた。


「私も……」


囁くように言う。


「私も、手紙をやりとりするうちに、どんどん惹かれていって……。吉岡さんのことが好きって分かってるのに、好きになっちゃって」


声が震えた。

彼が「ごめん」と小さく呟く。


「俺、自分のことで頭がいっぱいだった。君からの手紙が嬉しくて、楽しくて、君の気持ちは全然考えてなかった」

「え?」

「つらい思いさせて、ごめん。もっと早く言えば良かった。手紙を書いてるのは俺で、俺が好きなのは君だって」


嬉しいのに、なぜだか泣けてきて、視界が滲んできた。

私はハンカチをとりだそうと鞄を開く。

その拍子に、しおりが落ちた。

桜の花びらを押し花にしたしおり。


「あ、それ」


彼が嬉しそうに声をあげる。


「本当にとっててくれたんだ。嬉しい。がんばってきれいな花びら選んでよかった」


心から嬉しそうに、顔をくしゃくしゃにして笑う彼。


手紙のやりとりをしながら思い浮かべていた顔と、まったく同じだった。

穏やかで優しくて。


私は、彼が好きだ。


「ばかだよなあ、俺たち」


彼がくすくすと笑う。

私もつられてふふっと笑った。


「お互いに他人のふりして、相手に嘘ついてると思いながらずっと手紙を交換してたなんて」

「ほんと……驚いた」

「間抜けだよな」


彼が校門のほうへ歩き出したので、私はその背中を追う。


「でもさ……俺、思うんだ」


明るい笑顔で初夏の空を見上げながら、彼が言った。


「俺たちは、どっちも嘘つきだったけど」

「……うん」

「でも、手紙のなかには、真実があったんだよな」


隣に並んで彼を見上げると、柔らかい微笑みに包まれた。


「俺は、手紙のなかの君の優しさとか繊細さとかを好きになったんだ。それって、君の心がそのまま現れたものだろ? だから、俺は君の心そのものを好きになったんだよ」


私は大きくうなずき、「私も」と答えた。


「顔も声も知らなくても、あなたのこと好きになったの。丁寧な字とか、優しい言葉とか、素敵な贈り物といっしょに手紙をくれるところとか、そういうところを好きになったの」


彼は照れたように「ありがとう」と言った。


「じゃあ、俺たち、両想いってことか」


その言葉が妙に気恥ずかしくて、すこし俯く。

すると彼は笑って、「こっち向いてよ」と言った。


「まずは、お互いの名前から教え合おうか」

「あ……そっか」


名前も知らずにお互いに好きになったのだと思うとおかしくて、私は笑った。

彼も笑った。


二人ぶんの笑い声が、空へと弾けていく。


「一緒に……帰ろうか」

「うん」


照れたような彼の言葉に、私は大きく頷く。

こんな幸せが自分に訪れるなんて、ついさっきまでは思いも寄らなかった。

こんな不思議なことってあるんだ。


手紙がつなげてくれた縁だと思った。

嘘から始まった手紙だったけれど、その中には真実だけが詰まっていた。

そして、きっと出会わなかったはずの私たちが出会った。


家に帰ったら、ちゃんとお礼を言おう。

私たちをつなげてくれた手紙たちに。

私たちに幸せをくれた手紙たちに。


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